家族はだいたい人の話を聞いてないっていうちょっと雑な時間の趣深さ(映画『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』)
家族って話聞いてないけど話成り立ってることって、ないですか?
どうも。
純日本人ですが、ネットでもリアル世界でも
キャサリンと呼ばれているネイティブ博多人です。
昨年末のNetflix加入をきっかけに
2017年、10年ぶりに洋画オタクの世界に帰還しておりまして
今年だけで150本以上映画を観ている状況でして。
しかも大半を英語字幕か字幕なしで観ております故(劇場鑑賞はもちろん日本語字幕)。
本業の中間管理職みある会社員業がちょっと落ち着いて来たのを機に
noteにつらつらと映画愛&英語萌えをぶちまけていこうと思っております。
で、ででで!
早速今回紹介するのは先日10月13日(金)にNetflixで配信開始の
今年のカンヌ映画祭でも話題になったこちらの映画についてご紹介。
『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』
いや~~~~~これがほんとに良かったんですよ。
Netflixオリジナル映画なので劇場公開は
日本では行われないんですが
もし劇場公開するとすればシネコンではなく
単館系のしかもちょっとレトロな映画館とかでの上映が似合う
派手さはないけども心にじわっとそしてツンと刺さる作品です。
福岡だとKBCとか中洲大洋あたりで
限定上映とかしてくれないかな~土日の朝とかで。
家族がテーマだといわゆる「全米が泣いた!」的な
お涙ちょうだい映画を想像してしまいがちですけれども
ハンカチよりバスタオルいるんじゃないか
っていうノリの映画かな~なんて思ってしまいがちですけれども。
この映画はそういうんじゃ全然ないんですよね。
家族と過ごしてて、
現実的に言えば
結構な頻度でお涙ちょうだいモーメントに
出会うことってなかなかないじゃないですか。
そこらへんを今回上手に汲み取ってくれた
ノア・バームバック監督はわかってらっしゃるなとしみじみ思うわけです。
だってこの映画、
タイトルもそのまま
マイヤーウィッツさん家を
ちょっとのぞき見して2時間に詰め込んだ感じのお話。
なんですよ。
まんま一部始終を切り抜いて来ました。
って感じのストーリーなんです。
ストーリーというかもうその瞬間のその瞬間の
重ね技な印象さえある。
ひさびさにあるきっかけで集うことになった
マイヤーウィッツさん家の皆さん。
ピアニストを志すも諦め主夫として生きてきた劣等感モリモリなダニー(アダム・サンドラー) と
過去の栄光にすがるこじらせ芸術家の父であり、こじらせ具合がもはやクソジジイの域なハロルド(ダスティン・ホフマン)
ダニーの異母弟で常に紺色のパリッとスーツを着てるコンサルティング会社経営マシュー(ベン・スティラー)
物静かで心の内は明かさない不思議系、おそらく数十年髪型変わってなさそうな姉ジーン(エリザベス・マーベル)
ハロルドの3人目の妻にしてマシューの母にして一瞬ジョン・レノンかと空目するアル中のモリーン(エマ・トンプソン)
そんで親元を離れて芸術系の大学に進学するピュアで人生まさにこれからって感じのダニーの娘(グレイス・ヴァン・パッテン)
それぞれのキャラの粒立ちが予告を見るだけでも伝わってきますよね。
これ、ついつい「芸術家一家ならキャラが濃いはずだよね」と
自分と一線を置きつつ他人事として見ちゃいそうなんです。
多少ぶっ飛んでいても、まあ芸術家ならありかなと。
じゃあ、キャラが濃いから現実味がないかというと
実はこの作品に関しては全然そうではないのですよね。
どちらかというとキャラの濃さというよりも
それぞれの立場と関係性と
何より会話の瞬間瞬間の切り取り方が
きっと見ている観客の自身の家族の
アレコレと似てたりするんですよね絶妙に。
家族のあり方が多様化しつつあるとはいえ
まだまだ血のつながった家族というのは
家族の枠としては強いと思います。
家族だからこそ嬉しいし楽しいし
家族だからこそ歯がゆいし
家族だからこそムカつくし
家族はたくさんの感情と経験をシェアしてるしし続けてる。
予告でも印象的なのは
クソ頑固爺さんのハロルドが
隣の席の人のワインを飲んじゃうところ。
予告だけだとなんでそんなことをするの、
この爺さんクソだなと思うんですが、
本編見ると
あーーーーーハロルドなら、やるね。わかるわ。
っていう名優ダスティン・ホフマンが素晴らしいクソジジイっぷり。
でもこれが、ムカつきつつも
ある種、ハロルドだから
父さんだから、それも財産だったりするんですよね。
写真にもない動画にもない。
でも、確かにそこにいた
その人との時間。
どうでも良い話もたくさんしたし
というか家族との会話なんて
大半がどうでも良い脈絡のない話だったりする。
家族も結局は個人の集まり。
それぞれがそれぞれの思いで生きていて
お互いを知ってるようで知らなくて。
家族という枠にある意味おさめられてしまったからこその
いざこざや喜びや楽しみや窮屈さ。
それを絶妙な間の取り方とバランスで
観てる私たちに終始軽いノリで伝えてくる。
思ったほどドラマチックでもないのが家族。
一見無駄なセリフのように思えるシーンでも
あとあと、ツンと沁みてくるのは唸る。
監督はノア・バームバック。
私はこの方の作品を全部見ているわけではないので
詳しいことはあまり知りませんが
前作「ヤング・アダルト・ニューヨーク」は見ておりまして。 (こちらもオススメ)
こちらの作品もそうでしたけど、
心温まるもどこかツンとした感情が残るのがノア・バームバック流なのかなと。
家族っていいねっていうのを
シニカルに本音で見せつつ魅せる。
嫌味もなく努めて軽やかに。
コメディ要素たくさんあるんだけど、
笑い転げるおかしさ的なコメディというよりも
あーーーあるある家族といたらこういうのある!
っていうのがふんだんに盛り込まれていて
家族に会いたくなる。
そんで一瞬にして
でも会ったら会ったでイラっとすることもあるんやろうな。
でもそれでも、
何か、今、めんどくさくても
会って何をするでもなくどうでも良い会話をしておきたいな。
どうせ向こうだって大して私の話聞いてないし。
でも、その人生のガサガサとした雑さが
あとあと振り返ると
宝箱にしまいたくなるような大事な時間だったりするんだよね。
そう思わせてくれる映画です。
なんだかとりとめもない内容になっちゃいましたけど、
Netflix加入されてる方はぜひご覧くださいませ。
《おまけ》
70%くらい英語字幕で見ました。
わからないところは日本語字幕で鑑賞。
TOEIC735点のキャサリン的に本作の
英語難易度は★★★★☆
やや難しいです。
早口だったり専門用語はちょっと難。
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