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自分を瘉す ~ トラウマ

小学生の高学年か中学生の頃
クッキーが作りたくて、ホットケーキミックスを使ってオーブントースターで焼くのにハマっていた
アルミホイルにクッキー型にくり抜いた生地をのせて焼く作業を繰り返していたとき、トースターの扉が膝小僧にあたり火傷してしまった

近くに母親がいたけれど、手当てして貰った記憶はない
母のことだから『そーーら、みたことか(日頃から親の言うことを聞かないから火傷して当然だ)』とか言ったのかもしれない
わたしが階段から落ちたときも同じように言われて、怪我がないか聞いたり心配なんて一ミリもしない

もっと幼い頃には、インスタントコーヒーを床にぶちまけてしまい、酷く怒られお風呂場に閉じ込められた
泣き叫んでもそのドアは開くことはなく、ある時には家の裏にある暗い物置小屋に閉じ込められ、出られないように鍵や突っ張り棒で塞がれる
この影響か、閉所恐怖症である

振り返るといつも一人で何かをしなければならなかった
手伝ってくれることはなく、できなければ『そんなこともできないのか!』とバカにされ叱責される
子どもなのにできることを当たり前に要求された
手取り足取り教えてくれる人ではなく、『あーら、そんなこと人に教えてもらうことじゃないのよ、自分で覚えるのよ』と言い放つ

母親は何十年経ってもスマホの操作が覚えられないw
ガラケーも覚えられなかったからスマホにしたらもっと大変だよ?と何度言っても聞かなかった
「なんで覚えられないの?」と聞くと、『あんたに聞けるからよ』と素知らぬ顔して言い放つw

スマホが使いこなせなくてガラケーに戻す人もいると言ってもその気はなく、なぜか考えてみたら、周りがスマホに変えている中、ガラケーを持っているのは恥ずかしいのと流行り物は使いたい性格だとわかった


トースターの扉で火傷してしまったときも、一人で怪我の手当をしのだろうか
絆創膏を剥がして張り替える作業を一人でやっていたのは覚えている
どんなに、そーーっと絆創膏を剝がしても火傷のジュクジュクした傷は痛くて痛くて辛かった
少しは母も手当してくれたのだったら記憶に残っていてもよさそうだけど、残念ながら蘇ってこない

火傷の痕は4センチくらいのケロイド状になって残った
膝上のスカートを履くとき、膝小僧にある火傷の痕をいつも気になっていた

20代になってから母の実家で短期間、生活していたことがあった
新しいパンフスを履いて会社に出勤した日、帰り着くと足から出血していた
足に合うパンフスなんてなかったので、毎回新しいパンフスをおろすと絆創膏だらけの足になる

いつものことなので、足に軟膏を塗って絆創膏を貼っていたら、伯母に『まぁー、〇〇ちゃん、どうしたの?大丈夫?痛かったでしょ』と声を掛けられ、呆気に取られた

「怪我をするとこんなに心配してくれるんだ」と初めての経験だった
母はわたしが足から血を流していてもこんな言葉は掛けてこないw
そんなことを言われたら、「どどどーしたの?」と思ってしまう
今までにこんなことは一度もないし、これからもない

伯母は口うるさい母の娘だから優しくしてくれたんだよ、と勘ぐったが、意地悪をするような人ではないことはわかっていた
母のような意地悪なことをする人ではなかった

父が母のことを『底意地の悪い女だ』と言っていた意味がわかったのはまだかなり先のこと
まだ何も気が付いていなかった

わたしが入院したときも、病気になったことを咎めるような人
老いた母は、会う度に病気アピールを欠かさなくなり、わたしが思うような態度や言葉を掛けないと露骨に拗ねるようになる
『冷たい娘だね!』と言われることもある
親に悲しさと哀れさを感じてしまう


同僚に『冷たいよ!なんでそんなに突き放すようなことを言うの?』と言われたとき、ハッとした

人が怪我したとき、母親と同じような態度でしか接することができない自分がいた
怪我をした人にどう接していいかわからず、冷たい態度をとってしまう自分に気が付いた
(と言っても絆創膏をあげたり、それなりの気遣いはするけれど)

自分は冷たいなんて思っていないんだよね
それが当たりまえ、普通の態度であって冷たくしているわけじゃない
適当な塩梅がわからなくて極端に心配するか、クールな対応になってしまう


『いい年してまだ親のせいにしてるの?』と言う人もいるでしょう

いい年になれば勝手に解決するわけじゃない
もしそうであれば、もっと世の中はマシになっているし、毒親なんて言葉も生まれず、連日ワイドショーを賑わす醜聞もない

自分が思っている以上に育てられた家庭というのは人格形成とその後の人生に大きな影響を与えているし、人の本質を見ていないと思う

自立し、独立した後に出会う人によって修正されていこともあるけれど、わたしは残念ながら恩師や恩人のような人に出会うこともなかった
人間関係を家族の中でうまく築けていないので、外でもうまく築けなかった


オーブントースターで火傷した痕が酷く残ってしまったこと、痛みが引くまで時間が掛かったこと、同じように辛くあたられた出来ごと等々、いろいろ思い出してしまい涙が出た
インナーチャイルドが痛みを言葉にできず泣きじゃくっている姿も視えた

今のわたしなら、このときの自分になんと声を掛けるだろう?
何ができるか、どうしたらいいか考えた

やさしく声をかけ、できるだけやさしく手当をした
今のわたしは怪我に即効性のあるものを持っているから、それを連日、塗布して慰めた

現実のわたしにも同じように特効薬を塗ろうと膝にあるケロイド状の火傷の痕を探した
右膝を見ると傷痕がなく、左膝かな?と見ても見当たらない
あれ?もしかしてインチャを癒した効果で消えちゃった?と思ったら、一センチくらいの長さの傷痕が薄っすら見えた

膝を見る度に消えないもんだなぁーと悲しい気持ちになっていたけど、今はよーく見ないとわからないくらい小さくなっていた

もう成長は止まり年老いていく日々だけれど、長い年月を掛けて傷痕は消えていったことが嬉しくて、泣いたw
30年以上を掛けて傷痕は小さくなっていった
退化しているようで進化している身体でもあることが嬉しかった
身体ってのは不思議

おぎゃーと生まれてから死へ向かって進んでいるのに



母も同じようにお母さん=おばあちゃんにやさしい言葉を掛けて貰えなかったのでしょう
戦後を生き抜いて必死だったことでしょう
おばあちゃんも意地の悪い人だったから想像に難くない

年よりを悪く言うな!という人は老害という言葉を知らないのかな?
年よりでも精神年齢が低く、成熟してない人はうんざりするほどいる
年齢と比例して人格者になっていくわけじゃないのでね

成功体験というのは厄介でもある





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