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ヨーガンレール農園に学ぶ

2011年に初めてヨーガンレール農園を訪ねた時のメモが見つかったので、ここにアップしておきます。(2011年10月31日)

今日は、ヨーガンレール農園の管理をされている知花さんと連絡がとれ、午前中掛けて農園を案内してもらった。広大な敷地に、点々と畑が点在しており、そこで自然と沖縄を活かした野菜や果実作りが行われていた。ヨーガンさんのお宅も案内してもらったが、デザイナーとしての生き方やこだわり,思想など,とても多くのことを学ぶことができた。

そのこだわりが、農業にまで深く関わっており、土作り、種作り、景観作りまで、一寸の隙もないほどの手の掛け様だった。いきること、たべること、すまうこと、くらすことのどれに対しても妥協を許さず、しかし人間の手をどこまでどうやって加えたら良いのかを模索しているようだった。

知花さんもヨーガンさんのやり方に従いながらも、やはり沖縄の風土や歴史にこだわり,時には議論しながら畑作りをしている姿勢は、とても素晴らしかった。「自然」とは、手をかけないことではなくて、人と調和しながら、いきもの全体が自分のいのちを全うすることだという強い信念が感じられた。

人と自然との調和のための信念

1)家を造る時の職人さんも地元の方しか選ばないのは、その土地の石の性質、木の性質を知り尽くしているからだと、それでも造形とのこだわりで衝突しながら作っていくと、結局良いものができ職人はさらに自信を持つ。

2)
土地は狭い範囲でも一様ではない。だからそこら中に種をまいてみると、その種が一番好きなところにだけ生育する。そうやって本来の生き場所を見つける手伝いをする。

3)
草は、抜きすぎない、でも放っておかない。作物も草も一番バランスよく育つ環境を見つけてあげる。それが手入れ。

4)
収穫は一度に全部しない。少し残すことで、そこに生きていた虫が生活の場を確保できる。そうしないと別のところで悪さをする。しかも、残した作物の種が落ちると、それが次の世代の力となる。

5)土は堆肥で隠してあげる。その堆肥はその場所で育った草や作物の茎や根などで作る。それを畑に戻すと生き生きとする。

6)水やりはしない。多少しおれても、土がそれを助けてくれる。毎日水やりして育った作物は根性が亡くなり美味しくならない。少しいじめるというか環境の変化に自ら対応する力を与えてあげる。それでも自然が過酷すぎる時だけ、そっと助けてあげる、その見極めが大切。でもだんだんそれが分かってきて、向こうから語りかけて来る。

7)土は作物を育てるのに懸命になって働く。だから収穫の後は休ませてあげなくては良い土にならない。二期作ではなく、二毛作が理にかなっている。

8)無農薬だから良い作物とは限らない。痩せて無理させた土にできた作物は、すぐに腐る。もちろん無農薬、露地栽培が基本。でもこれでは農家としては採算が取れない。だから安定供給を望むところには出荷できない。

9)収穫は、お礼と「感謝」そのもの。

10)人が手を貸すのは、ぎりぎりのところ。あくまでも作物の力を信じ、その作物が一番喜ぶ環境づくりをしてあげる。

11)山が海を育て、海が山を育てる。だから海藻を畑に戻してやると生命が循環する。

12)畑の草も必要があれば抜くけれど、それは捨てるのではなく抜いたところで畑に戻してやると元気な土ができる。

13)石垣島の風土では、作物は多少の塩も生きる力として利用している。だから堆肥として少し塩を混ぜてあげると、この島で生きていくことができる。

14)稲は手植えが基本。下草の映える密度と土の状態を見極めながら、一本一本の間隔を決めていく。すると苗を支えるように小さな水草が育ち、風で苗が倒れるのを防いでくれる。

15)ブーゲンビリアは、花がきれいだからといって入り口や玄関そばには植えない。トゲのある木なので、来客を傷つけてはいけないから。

16)沖縄の3大薬草は、ウコンとグァバそして猫のひげを思わせる花が咲くクミスクチン。

注)その後、何度かヨーガンレールさんにお会いする機会に恵まれ、台所の前でお話を伺ったけれど、農園に対する思いは、全く上記の通りだった。そもそも、この地を選んだ時には、普通のさとうきび畑だったところを、昔の島の植生を取り戻そうと、山に入って、島に固有の植物や樹木を集めて育てていき、今の林を作られたとも言われていました。2014年9月23日、石垣島で事故のため急逝。


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渡辺仁史 / WATANABE, Hitoshi
東京と石垣島との2拠点居住を始めて20年になります。それぞれの土地と情報との中で人生を豊かにする暮らし方「スマートライフ」を実現しようと試行錯誤しています。それぞれの場所で日常の中に見つけた「暮らし」を発信しようと思います。