「白銀の輪舞」第三章「新たな指令」
第3章 「新たな指令」
田森本部長は病室に入るなり、顔をしかめた。
「匂いもひどいし、何とも寒い……」
コートの襟を立て、魅雪と華多岡に会釈をする。
「美しい女性がおふたりで、夜遅くにご苦労様ですな」
「本部長こそ、お疲れ様でございます」
華多岡がドアを閉めながら優雅に一礼し、魅雪は無表情な目で本部長を見返した。本部長は、床にうつ伏せに倒れた裸の大男に目を留めた。
「華多岡さん、この男は?」
「鬼の魂は離れました。今はもう、体が大きいだけの普通の人間です」
「……ほう」
「とは言え、鬼が憑依するくらいですので、ロクな人間ではないでしょう。類は友を呼ぶ、という諺通りです。叩けば、いくらでもホコリが出てくる筈ですから、どうぞ逮捕なさってください。桂木巡査を撃った拳銃もどこかに隠しているでしょう」
「了解。すぐに手配しよう」
本部長は頷いた。
「それにしても華多岡さん。結界とは大したものだな」
本部長は、鬼が抉った壁や、壊れたインターホンを眺めながら話し続ける。
「この病室内で、相当の大捕り物があったと推察するが……そんな物音は、病室の外へは全く聞こえていなかったよ……一体、どういう仕組みなのかね?」
「田森本部長。この病室には、テレビカメラとマイクが仕掛けてあるようでございますが?」
華多岡は本部長の質問には答えず、慇懃無礼に尋ね返した。そんな彼女には、クール・ビューティという言葉がよく似合う。
「おや、気づいていたか」
本部長は動じることなく答えた。
「なあに、スイッチは切ってある。録画も録音もしとらんよ。嘘じゃない……どうせ録画しても、鬼やら結界やらが映らないことは、承知しているからねぇ」
「恐れ入ります」
「いやいや。何しろ君たちには、本庁から全面的かつ秘密裏に協力するよう、指令が来ているんだ……悪いようにはしないさ」
本部長は薄く笑った。
「で、鬼退治はこれで終わったということになるのかな?」
「はい。一応は」
「一応? 引っかかる言い方だが」
「予想していた以上に、順調に封印が終わりましたので」
本部長は肩をすくめた。
「順調に解決したからこそ、敢えて疑うとはね。その慎重さ、ウチの捜査陣に爪の垢でも飲ませてやりたいよ」
「恐れ入ります」
「君たち一族の長年の努力が身を結んだ……それでいいじゃないか」
「だと良いのですが」
本部長は真顔になり、華多岡の前に立った。
「で、鬼はどこに?」
華多岡はポケットから小さな瓶を取り出し、本部長に見せた。
「この中に封印しました。強化ガラス製の特殊な瓶です」
「ほう……それが」
本部長は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「見てもかまわんかね?」
「くれぐれも、お取り扱いにはお気をつけて」
本部長は華多岡の忠告に一瞬躊躇したが、恐る恐る瓶を両手で受け取るとベッドサイドの光にかざして見た。
「この黒い球が?」
「鬼の魂の残滓です。先程、活動を停止しました」
本部長は、黒い塊をまじまじと覗き込む。
「こんな小さなモノが、伝説の鬼だというのか……」
「鬼というのは、遥か遠い昔に肉体を失った、魂だけの存在です。だから正体はそんなものです。どんなに力が強大でも、所詮は人間に取り憑いていないと何も出来ないのが、鬼と呼ばれる魔族なのです」
本部長が、背の高い華多岡を仰ぎ見る。
「自分の肉体を持っている鬼は、いないのか?」
「鬼は人間への憑依を繰り返しながら、生体エネルギーを蓄えていきます。やがて魂の受け皿になれるような頑健な肉体を見つけると、その人間を喰って完全に同化し、世界を滅ぼす程の巨大な魔力を持つと言われます」
「ふむ……恐ろしいことだ」
本部長は、床に倒れた大男を見て言った。
「その男では駄目だったのかね? 見たところ、かなりいい体格だが」
「役不足でしょう」
「これ程の巨体でも? 大した筋肉だが……」
華多岡は紫の唇に小さく笑みを浮かべた。
「見た目の大きさではないのです。『號羅童子』クラスの凶悪な魂を受け止められるような強靭な体は、そうそう見つかるものではありません。この男の体も、そろそろ限界だったと思われます」
「限界?」
「肉体の崩壊です。鬼に憑依された者の肉体は、限界を迎えると内側からバラバラに引き裂かれ、のたうちまわりながら死ぬことになるのです」
本部長は眉をひそめた。
「なんとも恐ろしい話だ。じゃあこいつは、鬼が離れて命拾いした訳か……。まあ何しろ、それほどの被害を出すこともなく、伝説の鬼とやらを封印出来たのは、幸いだった」
本部長は小さく溜息をついた。
「じゃあ、このビンは返そう。いくら封印されたとは言え、赤く光って気味が悪いしな」
「……!?」
田森本部長以外の、全員が凍りついた。
「どうしたのかね?」
いつの間にか、本部長の手のガラス瓶が薄赤く光っている。
「本部長、早く瓶をお返しください」
華多岡のただならぬ気配に、本部長は慌てて瓶を返そうとしたが、その瞬間、光が見る間に輝きを増して眩しい程になった。
「うわっ!?」
本部長の手をすり抜けたガラス瓶が、病室の床に落ち、音を立てて割れる。
「割れた? 強化ガラス製なのに!?」
驚く華多岡たちの前で、割れた瓶の中から赤く光る球体が転げ出した。玉は見る間に崩れて砂のようになり、床に散らばったひとつひとつの粒子が、赤く光り続けている。
「華多岡っ!」
主人の叫びと同時に華多岡が九字を切り始め、魅雪は一足飛びに、砕けた鬼の魂の前に立った。
「どいて!」
本部長が急いで後ずさると、魅雪は祈るように目を閉じて両手を胸に当てた。部屋には、冷気とともに、仄かな青い光が満ちていく。
魅雪が再び目を開けた。美しい琥珀色の瞳に、冬の湖のような青い光をたたえている。両手を口元に当てて強く息を吹き出すと、ダイヤモンドダストを伴った冷気が、赤く発光する鬼の魂の欠片に降り注いでいく。
鋭次郎は、守嶺一族の闘いが織り成す夢幻の美しさに、ただ見とれていた。
だが、まるで降り注ぐ冷気に吹き上げられるかのように、赤く光る粒子がさらさらと音を立てて舞い上がった。粒子は空中で、雲霞の群れのごとく離合集散を繰り返すと、やがて巨大な鬼の顔を砂絵の様に形作った。
「お嬢様、危険です! お下がりください!」
華多岡が九字を切るのを途中で止めて叫ぶ。魅雪は後ろに下がることなく、赤く発光する鬼の顔を真正面から睨みつけた。
「號羅童子!」
「……守嶺のモノ達ヨ……」
巨大な鬼の顔が、ゆっくりと呟く。空気が震えるような、あるいは直接頭の中に響いてくるような、不快な波動を持つ低い声だ。
「オマエタチのオモウトオリ、簡単ニハいかヌ。今宵ハ、三百年ブリの挨拶のヨウナモノ。我ハ必ず完全ナル復活ヲ果たシ、コノクニヲ喰ライ尽クシテクレル……」
「そんなことは、絶対に許さない!」
「コノ時代の雪姫よ。今夜ハ色々ト、興味深かったゾ……」
「なにがよ!?」
「愉シミにシテオケ……オマエニハ、絶望をクレテヤル」
「それはこっちの台詞だわ!」
赤く光る砂で出来た鬼の顔の輪郭が、ぼんやりと霞んだ。
「サラバ……」
病室の窓が独りでに勢いよく開き、白いカーテンが強風に煽られてバタバタと踊った。赤い砂が、吹き込んだ夜風に混ざるように、渦巻状に姿を変える。
「華多岡、窓を!」
「御意!」
だが、窓に向けて走る華多岡の頭上を、赤い砂はさらさらと流れて追い越し、すべて窓から出て行ってしまう。雪の舞うN市の夜景の中に、赤い光の帯が溶けてゆき、やがてすっかり見えなくなった。
後には、呆然と佇む守嶺家のふたりと、本部長、そして鋭次郎が残った。
華多岡はしばらく窓辺でN市街を見渡していたが、窓とカーテンをゆっくりと閉め、一同を振り返った。
「お嬢様。残念ですが、仕切り直しでございます」
「そういうことね……」
魅雪は長い髪を左手で払い、クールに頷いた。
瞳に浮かんだ青い光は消え、琥珀色に戻っている。
本部長が咳払いをした。
「その……すまない。わたしが瓶を落としたせいで……」
「そうね」
魅雪が両腕を組み、本部長を睨みつけた。
「わたしたちがせっかく封印した鬼の魂を、あなたが落としたものね」
「うむ……これで、振り出しに戻ってしまったんだな」
本部長が所在無げに目を伏せる。
「振り出しですって?」
魅雪が唖然とした表情で言った。
「こうしている間にも、『奴』は次に憑依する相手を探して街を彷徨っているのよ? 何の手掛かりも無くなってしまったのに。振り出しどころか、後退だわ!」
「申し訳ない……」
本部長は、ただ頭を下げるしかなかった。
「まあ、お嬢様。確かに一度は封印しましたし、活動の停止も確認したのです」
華多岡が穏やかな声のトーンで、ふたりに割って入る。
「しかし、強化ガラス製の瓶が床に落ちた程度で割れてしまったのは……『奴』の魔力の成せる技としか考えられません。やはり、一筋縄ではいかない相手だったということです。今回は、仕方がございません」
「でも!」
「お嬢様。街中に張り巡らした結界は、まだ活きています。『奴』は、この街からは逃げられない。まだ打つ手はございます」
「フン! 普段は偉そうに威張ってるくせに、いざとなると不甲斐無い男って、わたし大嫌いなの」
魅雪は腰に手を当てて言い放った。
気の毒な田森本部長は、小さくなるばかりだ。
「あの……本部長……?」
ベッドの手すりに掴まった鋭次郎が、目を丸くして本部長を見ていた。
「あー桂木君、驚かんでもいい」
風向きが変わったとばかりに、本部長は、右手を上げて明るい調子で言った。
「私は本物だ……と言っても、信じてはもらえんかな?」
「いえ……分かります」
鋭次郎が答える。
「先程の……その、鬼が化けていた偽の本部長とは、雰囲気が違いますので」
「ほう?」
「桂木様。雰囲気とは?」
華多岡が鋭次郎に問いかけた。
「その……理屈ではないのです。偽の本部長は、病室に入ってきたときから、胸の中が、何だかざわざわする感じがして……」
鋭次郎は、その時の感覚を思い出そうとするかのように、目を閉じて話した。
「ふむ。では桂木様。この部屋は、今、何色ですか?」
「色、ですか?」
彼はきょとんとした顔で背の高い美女を見返した。
「桂木巡査、質問に答えろ」
本部長も華多岡の意外な質問に首を傾げつつ、鋭次郎に答えるよう促す。
「はい……あの、先程まで何度か病室全体が青っぽい光に包まれましたが、いずれもしばらくして元に戻りました。今は特に何色、ということはありません」
「青い光だと? 桂木君」
「はい」
本部長の質問に、鋭次郎は大きく頷いた。
「今の質問で分かりました。本部長、わたしから説明しましょう」
鋭次郎の目をじっと見つめていた華多岡が、全てを理解したように話を引き取った。
「桂木様には、結界の光が見えていたのです」
「結界の光?」
本部長が尋ねる。
「わたくしども守嶺一族が鬼を狩る時には、必ず周囲に結界を張るのですが……高度な霊能力を持つ者には、結界が発する青い光が見えるのです」
華多岡の説明によると、結界は鬼を逃がさないよう出口を塞ぐのと同時に、一般市民を巻き込まないよう、逆に立ち入れなくする障壁の意味もある。また万が一、誰かが結界の中に紛れ込んでも、結界が放つ青い光は限定的な記憶喪失を起こさせる効果があった。つまり、鬼を見たことを忘れてしまうわけだ。
とは言え、結界も万能ではない。ある程度の霊能力を持った者には記憶喪失の効果は無いし、九字を切って即席で作る『戦闘用結界』の有効時間は、長くても数分程度である。別の角度から見ると、鬼退治は過ぎ去っていく時間との戦いでもあるということなのだ。
いずれにしろ鋭次郎には結界の光が見えていた。
そして数回にわたって作られた結界で記憶を失っていない――ということは。
華多岡と魅雪は、顔を見合わせた。
「桂木様は、ご自身の『霊能力』で、結界の光を視たのです」
「あの、でも……」
リアリストを自称する鋭次郎が戸惑ったように話す。
「僕は……わたしは子供の頃から、これまで一度も、霊感のようなものを感じたことは無いのですが?」
華多岡は主人に目配せをして言った。
「臨死体験をした人物が、ある程度の霊感を持つようになる現象は、ままあること。桂木様もまた同じでございましょう。それどころか鬼に対する感覚は、お嬢様やわたくしよりも、むしろ鋭いかもしれません」
「僕が……」
「なるほど、それならば話が早いと言うものだ」
本部長は頷いた。
「桂木巡査」
「はい!」
鋭次郎が、反射的に気を付けをした。
「君には辞令を出している。四月一日付で、県警本部、刑事部捜査第一課への異動を命じる。ただし……」
「……」
鋭次郎の怪訝な表情を見て、田森本部長は自分の顎をぽりぽりとかいた。
「ひょっとして、この辞令を聞くのは、二度目か?」
「はあ。先程、偽の本部長から……」
「全く、鬼には、警察の内部情報が筒抜けだな」
本部長は眉をひそめた。
「……まあいい。辞令は本当だ。いいな、桂木巡査」
「はい!」
「ただし君への指揮命令は、直接私が取る。言わば本部長室付の特命刑事である。君の任務は、このところ管内で立て続けに発生している凶悪事件の捜査及び解決……つまりは、おふたりの『鬼狩り』をサポートすること。さらに……」
本部長は魅雪をチラリと見て、慌てて目をそらした。
「こちらの守嶺家のお嬢さんの、身辺警護だ」
「えっ? どういうこと!?」
魅雪が声を上げると、華多岡がクスリと笑った。
「お嬢様。わたくしが本部長に頼んでおきました」
魅雪は平静を装いながら言った。
「でも。別にボディガードだったら、華多岡だっているし。第一そんなのいなくたって、わたしは全然、大丈夫なんだけど?」
「いえいえ。わたくしは、日中はお役に立てませんので」
華多岡は澄ました顔で返す。
「でも、鬼は夜しか活動しないわ」
「だからこそです。昼こそ、奴を出し抜くチャンスかもしれません。桂木様は霊感もお持ちになったようですから、わたくしどもの仕事にも、きっと役に立っていただけるでしょう」
「でも」
少女は、鋭次郎が戸惑いの表情を浮かべているのに気づいて、目を吊り上げた。
「何よその顔。そんなに迷惑?」
「い、いえ、そんな……」
「悪いけど」
魅雪はひたすら恐縮している鋭次郎を指差し、睨みつけた。
「あなたみたいに頼りない警察官に警護してもらわなくても、わたしは平気なの。でも本部長命令なら、せいぜい頑張りなさいな」
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第3章もあっという間に終了。
ていうか、第1章のボリュームが・・・分けても良かったかな(;'∀')。
さて、第4章以降は物語がサクサク進んでいきますので、お楽しみに(^^)/
あ、感想をお聞かせください。
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