「白銀の輪舞」第十章「初めてのお出かけ」
第十章 「初めてのお出かけ」
午前七時。
魅雪は、お気に入りのクラシックをミニコンポで流しながら、部屋の三面鏡の前で、入念にファッションのチェックをしていた。様々な衣装の組み合わせを試し、ポーズを取って吟味する。
何しろ、鬼狩りの為のカモフラージュとはいえ、鋭次郎とお出かけするのだ。誰が見ても普通の恋人たちのデートに見えるような、自然な服装にしなければいけない。
――普通のデートっぽい衣装って、どんなの?
これが難しかった。
魅雪は生まれてから今に至るまで、異性とのお出かけ――ましてやデートなんて、一度も経験したことが無いのである。
――仕方ないじゃん。今まで修行ばかりで、男の子なんか全然縁が無かったんだから。
クイーンサイズのベッドやテーブルの上には、クローゼットから引っ張り出した色とりどりのシャツやセーター、ベスト、スカート、カットソー、ワンピース、ジーンズ、コート、ジャンパー、マフラー、スカーフ、ハンカチ、帽子、手袋、下着、靴下、レッグウォーマー、バッグ、ハンドバッグ……などなどが散乱している。
見れば見るほど、悩めば悩むほど、どんな格好をすればいいのか分からなくなってしまい、少女は途方に暮れていた。
――こんなことで悩むなんて、生まれて初めて。
こんな、普通の女の子みたいなことで悩むなんて。
――鋭次郎くんとお出かけ出来る日が来るなんて。
――それはまあカモフラージュだけど……。
――でも今日は……!
今日、四月二日は魅雪の誕生日だった。
「ふふ」
思わず微笑んでしまう自分を抑えられない。
昨日の夜の出来事――鋭次郎が魅雪を抱き上げ、鬼に向かって「この人を命に代えても守る」と言った場面を何度も思い浮かべる。
――鋭次郎くん、本当にかっこよかった。
――そりゃあ本部長の命令だからだろうけれど……鬼を前に堂々としてた。
――鋭次郎くんにずうっと守ってもらえたら、幸せだろうなあ。
魅雪はドレッサーに肘をついて、鏡を覗き込んだ。
合わせ鏡の向こうに、無数の魅雪が肘をついている。
――将来、彼はどんな女性と出会い、結婚するのかな。
魅雪ではない、誰かと。
――だけど今日、彼とお出かけするのはこのわたし。
――今日だけは……。
鏡の中の自分がニヤニヤしている。
「えへへ」
思わず声に出てしまう。
「お嬢様。十八才のお誕生日おめでとうございます」
背の高い従者が、鏡の隅でにっこりと微笑んでいた。
「華多岡!?」
心臓が止まりそうになる。
「……いつからそこに?」
「そうですね。お嬢様がブラウンのタートルネックセーターを着て、鏡の前でポーズを取っておられたところからです」
タートルネックは、手始めにパジャマから着替えた服だ。
魅雪は耳まで真っ赤になった。
「それじゃ、最初からずっとじゃないの」
「ですね」
黒いシャツに白いエプロンを身に着けた華多岡が、白い歯を見せて笑った。
「すぐに声をおかけするつもりだったのですが……お嬢様があんまり熱心に鏡を覗き込んでおられたので、これはお邪魔をしてはいけないかと思いまして」
「何言ってんのよ!」
火照った頬を両手で押さえる。
「黙って見てるなんて。ああ、恥ずかしい」
ウキウキしながら洋服を選び、鼻唄混じりにポーズを取っているところを一部始終見られていたなどとは。
「いえいえ。とても可憐で素敵なファッションショーでございました。お嬢様の華やいだお気持ちが伝わってきまして、わたくしまで楽しい気分にさせて頂きました。ありがとうございます」
「ううう」
少女は低い唸り声をあげた。
死ぬほど恥ずかしいが、見られてしまったものは仕方がない。ここは素直に助けを求めることにする。
「華多岡ー。何を着て行けばいいか分からないの。助けて……」
長身の華多岡は、守嶺家に入る前はモデルに誘われたこともあるらしい。こういった相談は頼りになりそうだ。
「そうですねえ」
華多岡は両腕を組み、広いベッドに散乱した衣装をしげしげと見つめた。
「わたくしの数々の経験によりますれば……」
やがて彼女は「ふむふむ」と頷きながら、ベッドの上の衣服を次々と手に取って床に放り投げると、最後にクローゼットから白いコートとカッターシャツ、黒いミニスカートを手に戻ってきた。
「お嬢様は、やはりシンプルなコーディネートが一番かと」
「え……いつも着てるやつ?」
怪訝な顔の主に、従者は深々と頷いて見せた。
「はい。シンプルな装いこそ、女性の艶やかさをより一層引き立てるもの。モノトーンの衣装から知らず知らずのうちにこぼれてしまうお嬢様の魅力が、桂木様のハートをたちどころに奪ってしまうこと間違いございません」
華多岡は目を閉じて、うっとりと語った。
「そ、そうかな?」
「間違いなく」
鏡の中の華多岡はきっぱりと言った。
――なるほど。
さすが華多岡、勉強になる。
「ふ、ふうん……じゃあ、そうしようかな」
考えてみたら、『オシャレ頑張りました感』を前面に出すのも、ちょっと恥ずかしい気がするし。
「お嬢様」
華多岡は頬を染めた主に、そっと呼びかけた。
「何?」
「桂木様は素晴らしい方でございますね。勇気があり、優しさもある」
「ありがとう」
彼を褒めてもらうことは、何だか自分のことのように嬉しかった。
「あの方を『約束の相手』にお選びになるとは、お嬢様もさすがにお目が高い」
華多岡は、得意げな主人にウインクして見せた。
「きょうはお出かけの前に、ちょっとだけお化粧をしましょうね。お手伝いしますよ」
「うん」
魅雪は、はにかんで頷いた。
「それでは朝食のご用意を」
「華多岡」
一礼して部屋を立ち去ろうとする華多岡を、少女は呼び止めた。
「彼は……鋭次郎くんは、わたしのことをどう思っているのかしら?」
「どう、とは?」
「その……わたしのことを……」
少女は言い淀んだ。
「鬼と同じような化け物、とか」
頭で考えていたことなのに、改めて口にすると自分自身の言葉に衝撃を受け、目に涙が滲んでしまう。鋭次郎のことになると、心のコントロールが出来ない。
「お嬢様」
華多岡は優しく微笑んだ。
「ご心配なく。わたくしの見る限り、そのようなことは決してございません。あの方は、お嬢様をひとりの女性として受け止めてくださる方ですよ」
「……そうかな?」
小さく呟く。
――そうだと、嬉しいけど。……ううん、彼なら。きっと……。でも……。
臆病な少女の心は、すぐに袋小路に迷い込んでしまう。
「お嬢様。どうぞ、ご自分の目を信じてください」
暖かい眼差しで華多岡が言った。
「わたくしが、お嬢様の全てを信頼しておりますように」
「……」
少女は涙をこらえて頷いた。
「お嬢様の喜びが、わたくしの喜びでございます」
華多岡は優しく微笑んだ。
「鬼の捜索は捜索として、どうぞ今日のお出かけは楽しんでくださいませ。もしも本当に、途中で鬼を見つけましたら……日没後、改めてふたりで狩りに出かけましょう。奴等はどうせ、陽の光の下では人を襲いませんから」
「うん……」
少女は小さく頷いた。
「桂木様のご記憶も、あともう一息で蘇りそうですし」
「本当!?」
魅雪の目が期待に輝いた。
「はい、きっと間に合います。桂木様は、お嬢様がお選びになった男性です。ご自分の勘を信じることです」
「うん!」
すっかり元気を取り戻した少女が、華のような笑顔で微笑む。華多岡は主人の華奢な手を握り、力強く言った。
「大丈夫、きっとうまくいきます。この華多岡、全力でサポートさせて頂きます」
華多岡はエプロンの紐を結び直した。
「さあ、楽しんで参りましょう。今は陽が射しておりますが……きょうのお天気はこの後、真冬並みの寒気団の影響で下り坂で曇り時々雪。お嬢様にとって絶好のお出かけ日和でございますわ!」