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「白銀の輪舞」第九章「夢」


 第九章 「夢」

 魅雪にとって鋭次郎は、決して、過去の想い出ではなかった。

 子供時代の彼との想い出は、今でも毎晩のように、繰り返し夢に見る。

 物心つく前から鬼を封じる為の修行に明け暮れていた魅雪にとって、幼い頃の鋭次郎との出会いは、まるで宝石箱のようにキラキラと輝いていた。

 魅雪が鋭次郎と初めて出会ったのは、五才のとき。

 その頃、すでに守嶺一族の当主候補だった魅雪は、広大な屋敷の中で従者たちによる英才教育を受けており、普通の子が通う幼稚園には行っていなかった。

 同じ年頃の子供たちと遊ぶことも禁じられていたが、唯一、屋敷の近くにある公立の図書館にだけは自由に通うことを許されていた。と言っても、常に護衛の者たちに遠巻きに監視されていたのだけれど。

 それでも、戦前に立てられた古びた図書館は訪れる人が少なく閑散としており、少女にとってはお気に入りの場所だった。

 九月の、残暑が厳しい日。動物をテーマにした物語にはまっていた少女は、図書館で椅子の上に爪先立ち、書架の上の方にある本を取ろうとしていた。

「きゃっ!」

 バランスを崩して椅子から落ちた少女の体を、誰かが受け止めた。

「大丈夫?」

 目の前で、男の子が微笑んでいる。

「は、離しなさい! 無礼者!」

 少女は動転して、男の子の手から無理やり離れた。

「無礼者ってひどいな。助けてあげたのに」

 男の子は、倒れた椅子をテーブルに運びながら、笑って言った。

「椋鳩十か。面白いけど、この本は小学校高学年向けだよ。キミには早いんじゃないかなあ。ぼくが借りてもいい?」

「あなたは何年生よ?」

 少女はつっけんどんに言い返した。

「え? 五年生だけど」

「ふうん。一応、高学年か。でもね」

 腰に手を当て、胸を張って言い返す。

「わたしはもう、椋鳩十なら、ほとんど読んでるわ!」

「えっ?」

 男の子は驚きながらも、ニヤニヤしながら言った。

「じゃあ、読んだ本のタイトルを言ってごらんよ」

「いいわよ」

 少女は、すらすらと題名をいくつか挙げて見せた。

「すごいな、僕より読んでるかも」

 少年は目を丸くして尋ねた。

「キミ、何才?」

 少女は右の手のひらを思い切り広げ、少年に突き出して見せる。

「五才よ」

「え。五才? まだ五才なのに、もうそんなに読んでるの!?」

 少女は得意げに頷いた。

 男の子は、お腹を抱えて笑いだした。

「まいった。生意気だけど、凄い女の子だなぁ」

 その男の子が、小学五年生の鋭次郎であった。夏休み明けの二学期。魅雪の住む白北ヶ峰市内の小学校へ、父親の仕事の関係で転校して来たのだった。

 魅雪は初対面の鋭次郎と話しながら、すごくドキドキした気持ちを今でもはっきりと覚えている。雪国の山奥だから、転校生自体が珍しかったし、自分以外で標準語を喋る子どもに会ったのは生まれて初めてだったからだ。

 それに、白北ヶ峰一帯で絶対的権力を持つ名家の跡取りとして、生まれた時から周囲に特別視されていた少女にとって、鋭次郎は自分に気さくに話しかけてきた初めての存在でもあった。

 一方、転校してきたばかりで友人のいない鋭次郎は、放課後、毎日図書館に来るようになった。ふたりが仲良くなるのは自然な成り行きだったし、そう時間もかからなかった。

 英才教育を受けていた魅雪はすでに小学六年生レベルの勉強をしていたので、時折、鋭次郎の宿題を手伝うこともあった。

「すごいな」

 鋭次郎は五才の少女の学力に舌を巻きつつ、代わりに自分が愛読している図鑑や百科事典、面白い動物の物語、SF小説を教えた。

 少年は、少女を対等に扱ってくれる生まれて初めての友人となったのだ。

 やがてふたりは図書館だけでなく、裏手にある山の中でも待ち合わせをするようになった。色んな話をしたり、お互いに本を貸しあったり、読書の感想をまとめたノートを交換したりもした。

 休みの日には、ふたりで水筒とおにぎりを持って、近くの山までハイキングに出かけたこともある。落ち葉を踏みしめ、急な斜面では手をつないで登った。

 秋が深まってくると、木切れや廃材を拾ってきて、ふもとを見渡せる眺めのいいところに、小さな秘密基地を作った。ふたりで入るといっぱいいっぱいの狭く粗末な小屋だったが、多少の雨風はしのぐことが出来たし、大満足だった。

 白北ヶ峰の冬は早く、十一月の初めにはもう雪が舞い始めた。少年と少女は秘密基地にカイロやカセットコンロを持ち込み、変わらず毎日遊んでいた。

 あんなに楽しかった日々は、少女にとって本当に生まれて初めてで――魅雪は当時のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられるほど、切なくなってしまう。

 楽しい日々は長くは続かなかった。

 小学校の春休み。鋭次郎と出会って半年後の四月二日、魅雪は六才の誕生日を迎え、守嶺家当主としての本格的な修行に入らなければいけなくなったのだ。

 鬼退治を取り仕切る守嶺家当主の修行は、全てに優先する。幼稚園どころか、小学校や中学校にも通えない。

 一方、魅雪は誕生日が近づいた頃から体質が変化し始めていた。時々、急激に体温が低下したり、普通の人には見えない『霊的な』ものが見えるようになったりして、自分自身を持て余していた。

 それでも幼いながらも自分なりに覚悟は決めていたので、修行に入ることに異論はなかったが、鋭次郎と会えなくなることだけは寂しかった。

 誕生日、当日。

 夕方、魅雪は鋭次郎を秘密基地へ呼び出した。鋭次郎とだけは、きちんとお別れをしておきたかったのだ。

 もう四月だが、この地方の冬は長い。

 その日も朝から大粒の雪が降っていて、周囲の山々は一面の銀世界だ。

 ほとんど毎日遊びに来て雪かきをしているにもかかわらず、秘密基地もすっかり雪に覆われていた。ふたりは手分けして雪をかき分け、何とか基地の中に座った。寄せ合った肩が暖かい。

「みゆきちゃん。六才のお誕生日おめでとう!」

 突然、鋭次郎が叫んだ。

「きょうはプレゼントがありますっ!」

 鋭次郎はハッピーバースデーの歌を歌いながら、ジャンパーのポケットから銀色のペンダントを取り出し、少女に渡した。

 それは外国のコインをペンダントにしたものだった。

「これ……どうしたの?」

「去年亡くなった、僕のお母さんの形見なんだ」

 少女は大きな目を見開いた。

「えいじろうくん、お母さん、亡くなったの?」

「うん。みゆきちゃんと一緒さ」

 少女はこれまで、鋭次郎から家族の話を聞いたことが無かった。

「どうして今までお母さんのこと、わたしに話してくれなかったの?」

 親友なのにと言おうとして泣きそうになり、言葉を飲み込む。

「うん。それがね、何度か話そうと思ったんだけどさ。僕にはまだ、お父さんがいるから」

 少年は、両親がふたりともいない少女のことを、気遣っていたのだ。魅雪は暖かい気持ちで、胸の中がいっぱいになった。

「それでね、みゆきちゃん。実は……」

 鋭次郎は少し口ごもったが、気を取り直して続けた。

「僕、もうすぐ、また転校することになっちゃったんだ」

「え……」

 思いがけない告白に、少女は頭の中が真っ白になった。

「でも、転校は多分、一年くらい先だって」

「お父さんの仕事の都合で、急にね。仕方がないんだ」

「そんな……」

 少女は思いがけない悲しい報せに、すっかり意気消沈してしまった。

 ――きょう、勇気を出して鋭次郎くんに別れを告げるのは、自分の筈だったのに……。

「だから、それ僕の宝物だけど、みゆきちゃんにあげる」

 少女は、手のひらの上のペンダントを見つめた。

「でもこれ、お母さんの大切な形見なんでしょ? わたしがもらっていいの?」

 少年はにっこり笑って頷いた。

「みゆきちゃんはずっと年下だけど、僕の一番の親友だから」

「えいじろうくん……」

 ペンダントを握り締めた少女の両目から、大粒の涙がこぼれ出した。やがて声を上げて、思い切り泣き出す。

 鋭次郎のお母さんが亡くなって可哀想なのと、きっとまだつらいのに友だちを気遣ってくれる優しさと、素敵なプレゼントをもらって嬉しいのと、そして、彼がもうすぐ白北ヶ峰からいなくなってしまうことが悲しいのと……色んな感情がごちゃごちゃになってしまったのだ。

「みゆきちゃん……」

 少年は、少女の小さな背中を優しくさすってあげた。

 魅雪の涙の洪水は、なかなか止まりそうに無い。

 雪山は段々薄暗くなってきていた。もう、帰らなければいけない時間だ。

 だが少年は、このまま、いつまでもふたりで秘密基地に座っていたいと強く思った。

「!」

 魅雪の背中をさする鋭次郎の手が止まり、緊張が走った。

「……えいじろうくん、どうしたの?」

 少女が鋭次郎の顔を仰ぐ。

「みゆきちゃん、動かないで。大きい声も出しちゃ駄目だよ……」

 涙をこすりながら少年の視線を追うと、少女は自分も凍りついた。

 秘密基地の真ん前に、大きな動物が立っていたのだ。

「イノシシだ。でかいな……」

 鋭次郎が小さく呟いた。

 体長二メートルはありそうな大物だ。濃い灰色の体毛に白い雪をまとっている。

「椋鳩十にもイノシシの話はあるけど、こんなに近くで見るのは初めてだ……」

 風向きが変わったのか、強烈な獣臭がした。イノシシは犬並みに鼻が良いらしいが、自分では臭くないのだろうか。

 巨獣は荒い息を吐き出しながら、秘密基地の中のふたりを正面から睨みつけている。基地の中には、袋入りのスナック菓子があった。匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。

 口の付け根から鋭い牙がのぞいている。オスだ。

 雪山のイノシシは常に飢えていて相当気が短く、凶暴らしい。いったん怒りに火が点いたら、手がつけられないほど暴れると聞いたことがある。

「みゆきちゃん」

 鋭次郎が少女にささやく。

「今から僕がこいつの気を引くから、その間にみゆきちゃんは木の上に登るんだ。なるべく高く……できるよね?」

 少女は首をぶんぶん横に振った。

「そんな……! えいじろうくんは!?」

「大丈夫。スキを見て、ぼくも木に登るよ」

「怖くないの!?」

「そりゃ怖いけど……」

 鋭次郎は、少し震えながら言った。

「ホラ、ぼく、男だし。こんなときは痩せ我慢でも何でも、男がガンバラないとね」

 鋭次郎は引きつった笑みを浮かべると袋菓子をつかみ、秘密基地の外に飛び出していった。

「ほうら、こっちだ!」

 イノシシが少年の後を追いかけていく。鋭次郎が振り返り、スナックの袋を開けようとした瞬間、あっという間に追いついたイノシシに跳ね飛ばされた。

 少年の体が空高く舞い、手に持ったスナック菓子がばら撒かれる。

「えいじろうくんっ!」

 その時。

 突如、吹雪が起こった。

 凄まじい雪と風が吹きつけ、荒れ狂う。

 それはもはや嵐ではなく、『爆発』と言っていいほどだった。あっという間に秘密基地の屋根は剥ぎ取られ、遠くの山まで吹き飛ばされていく。

 視界の全てが雪で真白になり、何も見ることが出来なくなった。

「えいじろうくん……えいじろうくん! どこにいるの!?」

 聞こえるのは凶暴な吹雪の音ばかりで、少年の返事は無かった。

「そんな……」

 まるで世界の終わりのような轟音と白い雪の中で、少女は茫然自失となっていた。

 一体、どれくらいの時が過ぎたのか――。 

「……みゆきちゃん! みゆきちゃん!」

 遠くから、誰かの声が聞こえた。 

 ――わたしを呼んでいるのは、だれ?

「……みゆきちゃん! みゆきちゃん!」

 ――えいじろう、くん?

「……みゆきちゃん! みゆきちゃん!」

 ――えいじろうくん、なの?

 少女は、懸命に少年の声を聞き取ろうとした。

「……みゆきちゃん!」

「……えいじろう、くん……?」

「みゆきちゃん!」

 今度は、はっきりと聞こえた。

「……えいじろうくん……」

「みゆきちゃん! だいじょうぶ!?」

「……うん……」

 少年が自分を抱きしめていることに気づいて、少女の心は平静を取り戻した。

 心が落ち着くのと同時に、嘘のように吹雪は治まっていた。

 巨大なイノシシはいつの間にかいなくなっていた。

 すっかり周囲は暗くなり、上空の雲の切れ間からオリオン座が輝いているのが見えた。

「わたし、どうして……?」

「何だか分かんないけど、とにかく急に凄い吹雪になって、イノシシはどっか行っちゃったけど、みゆきちゃんがどこを見てるのか分からない感じになっちゃって……いやあ、でも気がついてとにかく良かった……」

「ごめんね……」

「いいよ。電気つけよっか?」

 足元に落ちていた乾電池式のランタンを点けると、鋭次郎は眉間から血を流していた。

「だいじょうぶ!?」

 魅雪が驚いてハンカチで血を拭ってあげると、鋭次郎はかっこつけて言った。

「なあに、かすり傷さ……イノシシのヤツ、吹雪がなけりゃ僕がやっつけてやったのに」

「ええっ?」

 ふたりして大笑いしながら、少女はだんだん涙が出て来た。

「ごめんなさい……」

 魅雪はしゃくりあげながら、鋭次郎に謝った。

「本当にごめんなさい……」

「どうしてあやまるの?」

「今の吹雪、わたしのせいだから……」

 少年は、はっとした顔で少女を見た。

「みゆきちゃんの?」

「そうなの……信じられないと思うけど、わたしが吹雪を起こしたの。でもわたしも初めてで、どうやって止めたらいいか分からなくて……えいじろうくんが死んじゃうかもしれないと思って、わたし……」

 少女は再び涙をぽろぽろこぼしながら、何度もごめんなさいを繰り返した。

「僕……信じるよ」

「え……?」

 鋭次郎は、魅雪の肩を優しく抱きながら言った。

「その……初めてみゆきちゃんと会ったときね、あんまり色が白くて可愛かったから……僕、この子は雪の妖精かもしれないって思ったんだ」

 えへへ、と鋭次郎は恥ずかしそうに笑った。

「だからね、信じるよ」

「でも……」

 少女は大きく首を横に振った。

「わたし、吹雪でえいじろうくんを、殺してしまったかもしれないのに」

「とんでもない、逆だよ!」

 鋭次郎は語気を強めていった。

「みゆきちゃんは、イノシシにおそわれた僕を吹雪で救ってくれたんだ」

 少女は少年の顔を見上げ、おずおずと聞いた。

「……わたしのこと、怖くないの?」

「怖いもんか」

 少年は、少女に優しく微笑みかけた。

「みゆきちゃんが、もし本当に雪の妖精だとしても……僕の命の恩人だし、大切な友だちだよ」

「えいじろうくん……」

 少年は遠くまで続く山々の稜線や、星々に照らされた雪原を見渡しながら言った。

「僕は転校するけど……日本のどこに引越したって、みゆきちゃんにひどいことをするやつがいたら、すぐに帰って来る。いつだって、僕が守ってあげる。約束だよ」

「約束……?」

「ぞう、僕からの約束さ。だからさ、もう泣くなよ」

「うん……」

 少女はハンカチで目と鼻を拭いながら確信した。

 少年は大切な『約束』をするのに、ふさわしい人だと。

「えいじろうくん、わたしと、もうひとつ『約束』をしてほしいの……」

「もうひとつ?」

 頷いた少女の琥珀色の瞳に、青白い光が浮かんでいた。よく晴れた冬の湖のような、夜空に浮かぶオリオン座のリゲルの輝きのような、透き通った青い光。

 再び、吹雪が起きた。

 鋭次郎の驚いた顔が、白い雪にかき消されていく……。 

 その数日後に鋭次郎は転校し、魅雪は二年後、八才にして守嶺家当主――この時代の雪姫となった。

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いかがでしたか?
ふたりにはこんな過去があったんですね・・・。
しかし鋭次郎にはまだ思い出していないことがあります。
最後の吹雪で、何が起きたのか・・・???

ところで毎日書いているイラストは、鉛筆の下書きをスマホで撮影して
PCにメールで送り、ウインドウズのペイントで色を付けています。
マウスの魔術師☆です。
実は今回、魅雪のワンピースの花柄模様をちまちま書いていたら、なんか気持ち悪い模様になってしまい・・・呪われている感じになっちゃって(まあ、ある意味呪われているのですが)消しました(;'∀')。
まだまだ修行が足りませんね。

ではまた次回。



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