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「白銀の輪舞」第十三章「暗い海の底に」②

「うっ……!」

 鋭次郎が短く驚きの声を上げた。

 灰色の肌になった母親が、今まさに大きな口を開け、抱き上げた女の子にむしゃぶりつこうとしているところだった。ここ数日何度か嗅いだ、鬼独特の異臭が漂ってくる。まだ幼い女の子の目は虚ろで、一種の催眠状態にあるようだ。

「お前はっ!」

 呼吸を整え、体内で凍気を練り上げながら魅雪が叫ぶ。

 ――こんな時間に活動しているなんて!?

 母親の姿をした鬼は、鋭次郎と魅雪を赤い眼で交互に見て、「グフフフフ……」と涎を垂らしながら下品に笑った。

「オヤオヤ。守嶺の化け物女と、桂木巡査ジャないか……マタ邪魔ヲしにキタノカ?」

 野太い男のような声に混じって、ところどころで声が裏返る、鬼独特のアクセントだ。

「邪魔をスルと、オマエタチカラ、喰うゾ?」

 魅雪は鬼を睨みつけて言った。

「強がりはおよし! 本当はわたしたち守嶺一族が、怖くて怖くてたまらないくせに!」

「……コワクナイ、怖いものか……」

 鬼は涎をこぼしながら、体を折り曲げて笑った。

 魅雪は、鬼を指差して詰問する。

「何故お前は夜でもないのに、もう変身しているの?」

「オヤ、守嶺家のオジョウチャン……やっぱりアンタは、マダ見たことがナインだねえ……」

「何をよ?」

「完全体ノ鬼ヲ」

 鬼が抱きかかえた幼児を放り出し、地響きのような唸り声を上げて、部屋から出て来た。骨や肉がきしむ濁った音と共に体が厚みを増し、どんどん大きくなっていく。服が破れ、全身が灰色の体毛にびっしりと覆われる。女の鬼は、あっという間に身の丈四メートルの巨体に変貌を遂げた。

 鋭次郎を病室で襲った時よりもさらに大きいどころか、人間のサイズの範疇を遥かに超えてしまっている。大きすぎて天井に頭がつかえてしまうので、鬼は中腰になって魅雪と鋭次郎を見下ろしていた。四本の長い角が額に生えている。

 鬼が放り出した女の子は、鋭次郎が無事に受け止めていた。

「これが完全体の鬼……」

 呆然と見上げる魅雪に、鬼は言った。

「完全体になったら、昼モ夜モ関係ナイの……オジョウチャン、アンタ経験少なスギ……」

「……」

「マ、人間ハ生マレ変ワル度に記憶をウシナッチャウから、不便ダヨネエ。オヤ?」

 鬼が鋭次郎の瞳に目を停めた。

「オヤオヤ、其の目。スッカリ茶色くナッテルジャナイか……ソーカそーか。桂木もイヨイヨ、弱ッチイ守嶺一族の仲間入りとイウ訳か……ヌ?」

 緋色の目を細め、嘲笑を浮かべる。

「分かったゾ。カツラギが『鍵』だったンだなァ……」

「お前には関係ないわ!」

 號羅童子は魅雪を無視して、鋭次郎の眼を覗き込んだ。

「それで、呪文はオモイダシタのか?」

 ――呪文?

 鋭次郎に浮かんだ表情は、あまりにも分かりやすかった。

「マダみたいダネェ?」

 耳まで裂けた口で、満面の笑みを浮かべる。

「きゃっ!」

 前触れ無しに巨大な鬼の平手打ちが襲ってきて、魅雪はスナメリの水槽まで吹っ飛ばされた。

「魅雪ちゃんっ!」

 少女の華奢な体が、轟音とともに大水槽にぶち当たり、ヒビが入って海水が噴き出してきた。水槽の中では、二頭のスナメリが驚いて泳ぎ回っている。

「ごほっ!」

 咳き込んだ魅雪は、口から血を吐いた。胸に激痛が走っている。肺をやられたかもしれない。口元を押さえた右手の包帯が、鮮血に染まった。

「アタシ、モウ封印サレルの、飽きチャったんダヨねー」

 鬼はゆっくりと舌なめずりをしながら、四つん這いで魅雪に近づいてくる。

「悪イけどサア。呪文を思い出すマエニ、オワラセテもらうヨ」

 親子ルームの中で、鋭次郎が女の子を子供用ベッドに寝かせるのを少女は見た。

 ――鋭次郎くんは、わたしを助けに来るつもりだわ。

 だが鬼の完全体相手に、普通の人間が何も出来る筈がない。まだ彼を闘いに巻き込むわけにはいかなかった。

「その子を連れて逃げてっ!」

 魅雪は鋭次郎に叫んだ。

「でも……」

「わたしなら一人で大丈夫だから」

「でも俺は君を……!」

 ――守ろうとしてくれて、ありがとう。

 本当の気持ちを呑み込んで、魅雪は叫んだ。

「うっさいわねえ! あんたと女の子がそこにいると足手まといになって、わたしが思いっ切り闘えないの!」

「だけど……」

 魅雪は腰に手を当て、鋭次郎を睨んだ。

「言っとくけど、ちょっとキスしたくらいでいい気にならないでよねっ。早く行きなよ! 邪魔だって言ってるでしょ!?」

 鋭次郎は一瞬ためらったが、素早く女の子を抱き上げ、通路を走って行く。追いかけようとする鬼の前に、魅雪はふらつく体を引きずって立ちはだかった。

「お前の相手は、このわたしよ」

 戦闘態勢に入った魅雪の体温が、急速に低下して行く。同時に足元の床が、音を立てて凍りつき、白い氷が放射状に広がっていく。

「オヤオヤ。彼ヲ助ケル為に、恋心を抑エテ怒鳴りツケルだなんて、イジラシイネエ……」

 鬼が大型トラックのタイヤのような巨大な顔に、嘲笑を浮かべた。

「はっ! 恋心?」

 少女も荒く息をつきながら、負けじと嘲笑を浮かべる。

「誇り高い守嶺の当主に、色恋など関係ない。わたしが興味を持つのは、お前たち鬼の封印、それだけだわ」

「イイのかい? カツラギハ『鍵』なんだろ? アタシの封印ガ出来なくナッチャウシ……アンタにはモウ、時間が無いんジャナイノ?」

「うるさい」

 鬼は魅雪の置かれた窮地をよく見抜いていたが、少女はあくまで気丈に振舞った。

「……ソレニ、アタシは知ってるんダヨ……」

「なにを知ってるっていうの……?」

 本来、闘いの中ではあまり鬼と会話をすべきではない。鬼は、術者の精神的動揺を狙って、言葉の罠を巧みに仕掛けて来るからだ。だがいまは少女も、痛めた肺で何とか呼吸を整えるのが先だった。

「歴代当主最強の凍気ッテ言う割には、アンタは華多岡って従者がイナイと、何も出来ナイことや……」

 大きく裂けた口から涎をボタボタとこぼす。

「凍気の宝珠とやらデ、鬼ノ魂ヲ封印するのがヤットの、中途半端ナ能力と精神力しか、持ってナイってことサ……守嶺の当主にシテハ、優しスギルってことダネ」

「フン。知ったようなことを。わたしがお前ごときに、一片の同情心も持つ筈が無い」

 少女は吐き捨てるように言った。

「手心を加えて欲しいとでも思ったのか? あさましい奴め!」

 感情的な筈の號羅童子が、少女の挑発には乗らずに淡々と話し続ける。

「ナニシロ、モウ、封印サレタクないカラねえ、アンタタチの事をイロイロ調べたノヨ……」

「ふうん。伝説にまでなってる古株のくせに、随分と慎重なことね?」

 鬼は赤い眼を細めて笑うと、

「ソレカラ、こんなこともデキルヨ?」

 ゴツゴツした両手を組み合わせて、九字を切り始めた。ゆっくりと息を吐きながら、手を規則正しく動かしていく。

「九字?」

 あり得ないことが起こっていた。

「まさか……!」

 周囲が次第に仄かな青い光に包まれ、冷気が充満していく。鬼の地響きのように低くこもった笑い声が、水族館の中をこだまする。

「ドウダイ……結界ダヨ。女の子と桂木も、これで逃ゲラれなくなったネエ……」

「そんな……魔封じの結界を鬼が作るなんて……」

 鬼が嘲笑を浮かべた。

「アタシはネェ、食ベタ相手の記憶ヲ、自分のモノに出来ルの」

 鬼を睨む魅雪の顔には、明らかな動揺が表れていた。

「アンタのコトモ、よくシッテルヨ」

「だから、何を知ってるっていうのよっ!」

「今日が御誕生日ノ、魅雪オ嬢様!」

「……!」

 ――まさか。

 息が止まった。

 頭が真白になった。

 思考の回転速度が低下し、なかなか結論が出て来ない。

 いや、結論など、思いつきたくもなかった。

「まさか……」

「ソウ」

 大きく開いた鬼の口の両端が、思い切りつり上がった。

「アンタのシモベ」

 口の両端から、粘液質の涎がだらりとこぼれる。

「食ベチャッタ!」

 鬼は野太い声でゲラゲラ笑った。

「アノ女の霊力も、屈強な肉体も、ゼンブあたしノものダヨ! オカゲで、コンナに体が大きくナッチャッタ!」

 鬼は伸び上がった瞬間に天井で頭を打ち、顔をしかめた。埃がパラパラと落ちてくる。

「うそ……嘘よ……」

 少女は後ずさり、自分の体を両手で抱き抱えた。

「わたしと華多岡は、昼間に襲われるシミュレーションだって、ちゃんとしていたし……」

 鬼は笑うのを止め、紅い眼を剥き出しにして言った。

「デモ、アンタに襲ワレるシミュレーションまでハ、シテナカッタみたいネ」

 鬼の顔が、瞬間、巨大な魅雪の顔に変化し、すぐに元に戻った。

「……!」

 鬼はニヤニヤ笑いながら続ける。

「アイツさあ、ベランダに放り出シタラ、ギャーギャー叫びナガラ、勝手にクロコゲにナッチャッタ……不味クテ喰えたモンジャなかったワ」

 鬼は腹を抱えて笑った。

「ま、ゼンブ食べたケドネ!」

 ――信じられない。……あの、華多岡が。

「嘘よ! 嘘に決まってる! 百戦練磨の華多岡が、お前なんかに。そんなこと、絶対にあるものか!」

 だが、少女の言葉は儚く裏切られた。

「お嬢様……」

「……!」

 鬼の巨大な顔が、華多岡の顔に変わっていた。

 その表情は、苦渋に満ちている。

「そんな……」

 魅雪は力を失い、へたへたとその場に座り込んだ。

「申し訳ございません。わたくしとしたことが、油断をしてしまいました……」

「華多岡……」

「お嬢様、どうぞわたくしごと、この鬼を封印してください」

「華多岡……本当に……」

 少女の両目に、透明な涙が溢れた。

「封印が叶わないなら、破壊を。お嬢様なら、きっと出来ます」

 華多岡の顔が優しく微笑んだ。

「でも……」

「大丈夫です」

「華多岡……出来ないよ! 華多岡!」

 少女は泣きながら、激しく顔を横に振った。

 こぼれた涙は、頬を滑りながら凍りついて氷の結晶となり、音を立てて床を転がって行く。

「お嬢様……いえ、雪姫様。守嶺の戦士の、誇りにかけて……ゆきひめジャまギ、ャぐジュジョ!」

 喋っている途中で、華多岡の口から牙が生え、鬼の顔に戻った。

 ――華多岡……!

「ヤレヤレ。喰ッチマッタのに勝手に出てくるナンテ、大シタ精神力だヨ。心も全部ハ読ませテくれないシネ……オカゲデ、コイツノコト、マダ全ては吸収シテナイノ」

 巨人の鬼が、忌々しげに呟く。

「まァ、ソレモ当然か。オマエタチ守嶺ハ、人間よりも、もはやワレワレ魔族に近い化け物ノ集団ダカラネエ」

「……」

 呆然と床に腰を落としている少女は、鬼の話を全く聞いていなかった。頭の中には、華多岡の言葉が、木霊の様に何度も繰り返し響いている。

『鬼を封印してください』

『封印が叶わないなら、破壊を』

『お嬢様なら、きっと出来ます』

『守嶺の戦士の、誇りにかけて』

 ――そうだ。

 魅雪が、華多岡の為にしてあげられることは、たったひとつしかないのだ。

 少女の深い悲しみは、猛烈な怒りへと変わった。

 ――華多岡。

 ――わたしに華多岡の、最後の勇気を頂戴。偉大なる守嶺の戦士の勇気を――。

 こぼれる涙を拭って、立ち上がる。

「伝説の大羅刹・號羅童子よ。今からこの雪姫が、お前を封じる」

 感情を押し殺し、努めて冷静にいい放つ。

「覚悟するがよい」

「はア? アンタ、自分の立場ワカッテンノ?」

 鬼は、呆れ顔で守嶺の当主を見下ろした。

「もう華多岡はイナインダヨ? ソレドコロカ、アタシと同化シチャッテンダヨ? 頼みの綱の桂木も、アンタ自分で逃ガシチャッタシ……」

 鬼が口元を押さえ、うぷぷと笑った。

「だから?」

 少女は胸の前で腕を組んで、鬼を睨みつけた。

「だから何だって言うの? わたしはひとりでも大丈夫。必ずお前を封印してみせる」

 鬼が少女を見下ろし、嘲笑を浮かべて言った。

「ヘエ……オ嬢チャンに出来るのカナ? 泣き虫なくせに、たったひとりで」

「フン。お前は全てを知っているつもりのようだけれど、守嶺の当主を甘く見ない方がいいわよ。歴代の雪姫たちの中では、単身でお前を封じ込めた記録もある。いくら頭の悪いお前だって覚えている筈」

 魅雪も負けじと、嘲笑で返す。

「ぬ……面倒クサイ奴……」

 鬼は昔の記憶を辿ったのか一瞬たじろいだように見えたが、すぐに澄ました顔で言った。

「デモね。アタシもチョウド、新しい宿主ヲ探してたノ」

「宿主?」

「さっき華多岡を喰ったコノオンナの体……完全体になったはいいけど、実はモウ、とっくに死んでルノヨ」

「なんですって?」

「華多岡とかなり激しくやり合ったしネ。チョットこの女には、無理をサセスギタみたいデねぇ……」

 少女は唇を噛んだ。

「……可哀想に……」

「アラ。イイのよ、アタシが言ウノモナンダケド、コノ女も鬼が憑くクライだし、ロクナヤツじゃナインダカラ」

 魅雪は首を振った。

「でも、たとえどんな命でも、喪われていい命なんかないわ。人は生きている限り、何度もやり直せるんだから」

 猛烈な怒りで、体が震えている。

「命を冒涜してはいけない」

「優シイねエ」

 鬼が四つん這いで、ゆっくり近づいてくる。

「ジャアさあ……アタシのことも可哀想ダト思ッテ、アンタに乗り移らせテヨ」

「なに?」

「守嶺最強の女戦士と、守嶺当主の肉体が手に入れば、最強の鬼にナレソウじゃん……ドンナ鬼も悪魔も、アノ『酒呑童子』デスラモ目ではナイワ」

 血のように紅い目が、ぬらぬらと輝く。

「ソレニ、アンタくらい可愛ケレバ、イクラデモ、男がヨッテクルよね……グフフ。食べ放題ジャン」

 鬼の両手が、魅雪の両腕を掴んだ。

「アタシさあ、前ニモ言ったケド、美人ってキライなの……」

 巨大な顔を近づけ、涎を垂らしながら憎々しげに言う。掴んだ少女の腕を物凄い力で握り締める。

「デモ、キレイナ顔が恐怖と痛ミに歪むのは、大好キ!」

 二股の長い舌を伸ばして、少女の頬を何度も舐め上げる。

「ねえ」

 魅雪は、平然とした顔で鬼を見上げた。

「ナニヨ?」

「さっきの女の子はどこで……?」

「アア、あれは焦げたオンナの口直しに、サッキ道端にイタのを、拾ってキタノ」

 少女は鬼の緋色の両眼を、真っ直ぐ睨みつけた。

「じゃあ、お前の宿主の子じゃないのね?」

「チガウケド。ドウでもイイジャン、そんなコト……テ言うカ、さっさと怖がりナヨ」

「ありがと。おかげで吹っ切れたわ」

「エ……?」

 魅雪の腕をつかんだ鬼の両手が、軋むような高音とともに、瞬間的に凍った。

「ギャアアア……ッ!」

 鬼が叫び声を上げる。

「手ガ! アタシの手ガ!」

 少女は鬼を見上げて言った。

「……わたしの力が中途半端ですって?」

 喋りながら、体温がさらに低下を続ける。

「い、いつの間にソレほどの凍気を練り上げていた!? お前は従者、華多岡が時間を作らないとダメだったんジャ……」

「従者の華多岡がいないとまるで駄目で、わたしの力では鬼の魂だけを凍らせるのが、やっとですって……?」

 鬼の顔が恐怖に引きつる。

「このわたしも、随分と甘く見られたものね……」

「ヒ、ひえェ……」

 鬼は魅雪から必死で逃れようとするが、凍りついた手が少女の腕に張り付いていて、全く離れることが出来ない。

「全然逆よ……」

 魅雪の長い髪が強い静電気を帯びて、ふわりと浮き上がる。

「わたし、子供の頃から一族の中でも力が大き過ぎて、持て余していたの」

 青白い稲光が空中を走った。

「ヒ……!」

「華多岡は、私の心を正常に保つ為の従者。私を人間の世界に繋ぎ止めるための最後の砦……そのリミッターを、お前は自ら外したんだ」

 號羅童子は、はっきりと悟った。

 この少女の霊力は、自分がこれまで出会った数多の術者の中で、紛れも無く最強であることを。その凍気は、この世に較べるものが無い程の、激烈な破壊力を持っていることを。

「わたしはお前を封じる為だけに生まれてきた……」

 一言喋る毎に、魅雪の口から白い冷気の塊が発せられる。水族館内の温度は急激に下がり、スナメリの水槽から噴き出している海水も、そのままの形で凍りついていた。

「史上最凶の大羅刹ですって? いい気なものね……鬼ごときが、守嶺の一族……歴代最強の凍気を持つと呼ばれたこの私に勝てると、仮初めにも思ったか?」

「ヒィ……」

 號羅童子は今、数千年に及ぶ鬼としての経験の中で、初めての恐慌に襲われていた。

「勝テルナンテ、オ、思いマセン……」

 その巨体はもう、全身が薄い氷に白く覆われている。

「モウ、思いマセンカラ……」

「わたしが鬼の魂だけを封印しているのは、宿主を殺さないため。そして我ら一族が、古来お前たち鬼の魂を消滅させず、なるべく封印に留めてきたのは……」

 鬼は懸命に顔をそらし、震えながら横目で少女を見つめていた。

「極悪そのもののお前たち鬼ですら、いつか悔い改める日が来るかも知れぬ、と僅かな期待を込めた為でもあった……」

 少女の口から噴き出す冷気は勢いを増し、ブリザードとなって水族館内を吹き荒れた。まるで氷の竜が暴れまわるような、圧倒的なエネルギーであった。

「悔イ改メマス、悔い改メマスカラ!」

「……だが、その広く深い慈悲の心が仇になるとは……」

「ア、アタシヲ封印しても……」

「うるさい」

 魅雪の怒りに合わせて轟音が響き、青白い火花が走った。

「ヒッ!」

「最早、お前を封印するつもりなど無い」

「デ、でも、……イマ、凍気を開放シタラ、桂木も犠牲に……」

 鬼が全身にかいた汗が、音を立てて凍り付いていく。

「オ、お前、自身ダッテ……!」

 必死の形相で鬼が懇願する。

「アヤマリマス、アヤマリマスから!」

「無駄だ」

「ふ、封印してクダサイ! か、カツラギをここに呼んで! ひ、秘術の鍵を開いて!」

「黙れ」

「ゴメンナサイ、ごめんなさい!」

「わたしは今日、生まれて初めて……こんなにも、お前たち鬼が憎い」

「ゴメ……」

 ついに鬼は口の中までも凍りつき、喋れなくなった。

「……穢れそのものの鬼よ」

 巨大な鬼が、赤い眼ですがるように魅雪を見た。

「……ッ!!」

「冥界へ落ち、然るべき裁きを受けよ!」

 少女の叫びは、絶対零度の衝撃波となり、鬼を襲った。

「原子まで砕け散れっ!」

「ウェャあアアアアああぁぁ……!」

 聞くに堪えない絶叫と共に、凍りついた鬼の巨体が、魅雪が握り締めた両腕から破壊されていく。

 鬼の体と一緒に、少女の両肘から先も砕け散った。

 想像を絶する激痛と喪失感を感じながら、魅雪はその場に膝をついた。


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