浮世絵 - 日本絵画の成立と"KIREI"
「浮世絵」の成立
「浮世絵」は日本の江戸時代(1603年 – 1868年)の初期に成立した、絵画のジャンルの一つです。非常に色彩豊かな風俗画(庶民の普段の生活を描写して、日常生活のさまざまな面を描いた作品)であることが特徴です。浮世絵の「浮き世」とは「現実」という意味で、16世紀後半に京都の庶民の生活を描いた絵として始まりと言われています。題材としては、大名や武家といった支配階級ではなく、庶民町民階級からみた風俗が主なもので、多岐に及びます。
初期の作品には、歌舞伎や遊郭といった享楽的かつ歓楽的な世界が対象であり、役者絵や美人画が描かれました。その後、武者絵や風景画といった数多くの題材に広がっていきました。
それらの作品は報道的社会性を帯びているということで、江戸幕府に対する体制批判や風俗の乱れを封じるため、度々内容に規制をかける禁令が幕府より出されるといった事態にもなりました。それだけ浮世絵は庶民に与える影響が大きかったということです。また日本だけでなく世界にも影響を与えます。1867年のパリ万博博覧会に、浮世絵は正式出品されると反響を呼び、ジャポニズムのきっかけにもなり、印象派の画家たちにも影響を与えたと言われています。
では、そんな浮世絵は一体どのようなところが評価されたのでしょうか。
江戸時代に描かれたさまざまな浮世絵
絵画の評価するところは人それぞれでしょう。また絵画は文字で表現しようにも表現できないものです。
そのため、浮世絵が成立した江戸時代の中でも、時代ごとに有名な浮世絵師を紹介しながら、浮世絵を見ていきたいと思います。
菱川師宣(1630年頃〜1694年)江戸時代前期の浮世絵師
浮世絵の確立者であり、「浮世絵の祖」とも呼ばれる人物です。版画(木版・銅版・石版などで刷った絵)だけでなく、肉筆画(いわゆる絵画)でもその才能を発揮し、絵巻や屏風などでも傑出した作品を残しました。
東洲斎写楽(生没年不詳)江戸時代前〜中期の浮世絵師
約10ヶ月という短い期間に浮世絵やその他の作品を版行した後、忽然と姿を消した謎の絵師として知られます。未だに写楽の正体は明確にはなっていないが、作品としては非常に評価が高い物が多いです。
喜多川歌麿(1753年〜1806年)江戸時代中期の浮世絵師
美人画と言えば、喜多川歌麿と言われるほど、評価の高い美人画を数多く残しました。国内はもとより、海外からも葛飾北斎と並ぶほどの高い評価を得ています。
葛飾北斎(1760年〜1849年)江戸時代中〜後期の浮世絵師
浮世絵と言えば葛飾北斎ではないでしょうか。世界的にも非常に有名で、「ジャポニズム」(19世紀後半にヨーロッパで流行した日本趣味)という現象まで巻き起こしました。
歌川広重(1797年〜1858年)江戸時代後期の浮世絵師
名所絵で有名な歌川広重は、日本人なら誰でも知っているというほど有名な「東海道五十三次」と呼ばれる不朽の名作を残しました。本名の姓は安藤であるため、安藤広重とも呼ばれます。
浮世絵師と言っても、風景を得意とする絵師もいれば、美人画のような人物を得意とする絵師もいます。使われる技法や色使いも様々です。ですが、この浮世絵はその後生まれることとなる日本やの様々な絵師や海外の絵師に影響を与えたことは間違いありません。
江戸時代に築かれた今の日本の基礎文化
江戸時代は鎖国時代と言い、海外との貿易を遮断し、日本が独自に成長した時代でした。そこには、日本だけの文化が育ち、非常に安定した平和な時代であったことは、江戸幕府が長く(約260年間)続いたことからも理解できるでしょう。
今の日本の文化は、江戸時代に根付いたものがあると言っても過言ではありません。そのため、この江戸時代に発展した浮世絵は間違いなく日本の文化の一つと言えます。
"KIREI"の起源は江戸時代
私は自分の記事の中で、「KIREIは日本の文化の一つである」と唱えていますが、この江戸時代にその土台が作られたような気がしてなりません。
基本的に文化というのは、植民化されたような環境でない限り、庶民の生活の中で築き上げられるものです。
浮世絵に見られる繊細な色使いは、今の日本のKIREIな文化に何かしらの影響を与えていると思います。浮世絵に描かれた女性の仕草や風景の細かい描写にKIREIだと感じるのは、もしかすると関係があることを示唆しているのではないでしょうか。