7年間PTA役員やってラストにPTA会長やってわかった事 ブラックからホワイトになるまで?
サラリーマン ✕ PTA会長
軽い気持ちでPTA役員を引受けてから子供の卒業年度にPTA会長になるまでの備忘録をつらつらと書いてみました。
Ⅰ 何も分からず引受けた1年目【書記】
長女が小学校に入学した年の10月一本の電話「推薦委員会の○○と言います。執行部への推薦がありまして役員引受けてもらえませんか?」何度もかかってくるし、決まるまで終われないと言われとりま軽い気持ちで了承。
当時の選考委員会ってのは推薦リストに選考委員が片っ端から電話でお願いしていくのですがリストの補充はだめで断られても同じ人に電話かけないといけなかったらしく、泣く人もいるくらいめちゃ大変だったとのこと。
翌年3月の顔合わせを経て4月から定例会に参加
びびった事、色んなバイアスがかかっている
◆PTA活動ステキバイアス
○PTAの歌を全員で合唱して定例会が始まる
○総会資料作成など昼間印刷に来て夜それをズラーって並べてみんなで並んで一枚ずつとって資料を作っていくことがPTAの絆を深めるという認識
◆PTAのためなら会議長くても当たり前バイアス
○お母さん役員とかいるのに定例会は夜10時半とかまである。欠席もそーそーできない。
◆子供が卒業するまでは役員やり遂げようバイアス○特別な理由が無い限り抜け出せそうにない
◆PTA動員当たり前バイアス
○講習会などの動員がハンパない
○市の大会、県の大会、九州の大会などへの動員がハンパない
◆運動会は全体の為に家族は我慢するバイアス
○運動会とか家族で応援する時間ない
◆他の保護者から文句言われるの当たり前バイアス
○運動会でマナー悪い保護者から恨まれる
○運動会の場所取りの時にハンパなく文句言われる
などなど
それだけ当時の会長はじめ役員の方々が、子供たち、PTAに対して想いが強かったってことなのですが…
Ⅱ 若干反抗期出てきた2年目【副会長】
相変わらず定例会は遅くまであり、明らかにモチベが高いメンバーとそうでないメンバーに壁が出来ている。九州大会の開催地が宮崎って事でスタッフの強制参加を促されるが、所用で参加できないと言うと公開説教食らう。もう2年目で遠慮も無くなってきてたのでなんでそこまでしないといけないんすかという感じで口論になる。
2年目は担当事業も振られる。フェスタの担当。
土曜参観の午後、食品販売やバザー、防災体験などを行う一大イベント。収益は学校の備品購入に充てる。各担当に分かれ準備を進める。大変だったけど当日の盛り上がりを実感するといい事業だなーと思った。委員長も充実感味わって次の年から執行部に入ってくれた。ありがたい。
Ⅲ 抵抗勢力扱いの3年目【副会長】
3年目になると、色々と理不尽なことに対して意見を言うようになって、何かと会長と衝突するようになる。
どしても九州大会への参加の動員に関して納得いかなかったボクはとある居酒屋で、「なんでPTAの会費(人の金)を使う上に時間を無理矢理とられて県外の大会に行かないといけないか分からないっす。」と何気に言ったところ、「行ったこともないや奴が偉そうな事言うな!」と怒鳴られ口論開始。
もはや【PTA動員当たり前バイアス】がかかっていて、行ったこともないやつがそこに疑問持つとかありえん。みたいな。いやいや疑問があるから行きたくないんですけど。行ってくれた人に感謝みたいな空気感もよく分からんし。
という事でしばらくレジスタンス扱いでしたが、次年度役員選考の段階になりそんときの会長から来年会長やってくれとのこと。当時ボクは営業所勤務だったので家まで1時間かかるし、とても引き受けられないと断ると「大丈夫、出来る」の一点張り。「引き受けたら後で絶対迷惑をかけます。いずれ本社に戻ったらやります」と全力でブロック。1時間の電話の末断念してもらう。申し訳ないけど。
Ⅳ PTAバイアス解消活動開始した4年目【副会長】
4年目になり色々なPTAバイアスを変えていかないと持続可能な団体では無くなるなって思って活動開始
◆PTAの歌は無しに
◆PTA総会資料作成の外注提案
毎年700部近い総会資料を昼のメンバーが印刷して夜来れるメンバーのために作業の準備して夜何時間もかけて作っていく。この作業を金かかっても外注にしたほうが絶対いいって提案し、授産施設につながりのある役員さんに相談し外注化
◆給食費の自動引落提案
地区で毎月すごいお金を集めて保護者が学校に持っていき、PTA事務が銀行に預けに行くというリスクハンパないフローを保護者同士のつながりになるからという理由で何十年もやっていたので他校の事例を元に提案。最後は結局宮崎市内の学校が足並み揃えてスタートってことになったのでボクが何かしたからって訳でもないけど
他にも会議の時間短縮とかをしれっと進めていった。
Ⅴ 定年退職の校長先生のためのステージ企画など5年目【副会長】
新しい校長先生はギターとかアンプとかを校長室に持込むファンキーな人だった。しかも60歳ラストイヤーってことで、これは盛大に思い出作ってもらわんといかんってことで、お得意のフェスタバージョンアップ大作戦を計画。乗り気じゃない会長を営業で培ったプレゼン力で半ば強引に開催にこぎつる。
体育館
□スポーツ少年団紹介
□南高書道部の書道パフォーマンス
□バザー
□校長先生+保護者バンド
□グラウンド
グラウンド
□起震車による地震体験
□ケムリ体験
□焼きそば、地鶏、おにぎり、フラポテ、フランクフルト、アイス、ジュースなど
□風来軒にお願いしてキッチンカー出動
校舎
□抽選
□遊び
で校長先生に思う存分ギターを披露してもらい巻き込み事故の教頭先生も歌を披露して中々の盛り上がりでしたが今考えると巻き込まれた先生とか保護者の人達ゴメンナサイ。ちなみにヘッダーの画像がそんときのフェスタ。
で、そのままファンキー校長先生は勇退かと思いきや定年延長で次の年も校長先生というオチもつきました。
ⅵ コロナ襲来の6年目【副会長】
2020は百年に一度のパンデミックが学校を襲います。行事もほぼ白紙
PTA総会は書面決議という手法を取って開催。この書面決議は現在でも続いてていづれはPDFファイルでもいんじゃないかとか負担軽減の模索が続いてます。
運動会も午前中のみ。上級生と下級生を分けて保護者も応援2人までの2回転みたいな。
フェスタも中止
近隣の学校との合同講演会はいつも100人規模の集合でやってましたが、zoomで初めて開催
定例会もzoomを活用し、ボクも会社から参加したりと。効率化をはかる取り組みが活性化したのはある意味コロナ禍の中でのメリットやったかと。
Ⅶ 校歌に出てくる池が埋め立てられるので何かやりたくてチャレンジした7年目【副会長】
7年目も相変わらずコロナ禍で何もない日が続いてた訳ですが、校歌にも出てくる室町時代からあるといわれている「田吉池」が開発により埋め立てられ100件以上の家が建つって事で、こりゃもーなんかメモリアルイベントするしかねーやろと勝手にメラメラしていたボクはまず池干しが出来ないか市役所とか開発業者に働きかけてみました。
がしかし、無理ってなって、みるみる埋められてしまった。
最後のチャンスとして、そこの埋立地の分譲開始のセレモニーに混ぜてもらえないかを広告代理店とか市議会議員さんとか開発業者に相談し、オープニングイベントの中でサヨナラ田吉池みたいなイベントをさせてもらう事になりました。
出演者集めてシナリオ書いて、ファンキー校長先生にも子どもたちとバンド作ってもらって
当日はハウスメーカーのお偉いさんがたに混じってテープカット
赤江中の校長先生に飛込訪問して、お願いして吹奏楽部にも出てもらって、子供たちとステージで色々やってもらって最後はみんなで校歌歌って終了。
参加してくれた子達はコロナ禍で出番が無かったとか、吹奏楽部はこのステージが初めての人前での演奏だったとか色々喜んで?もらえたので暴走機関車トーマスバリの独りよがりの企画だったけどやって良かったなーと思い出に残ったなー。
ⅷ ラストイヤーはPTA会長、持続可能な組織になるためにPTADXにチャレンジ
前PTA会長決める時に「次はオレやるから頼むわ」と約束していたのでPTA会長をすることに
どーせやるなら次の世代になるべく負の遺産を残さないようにと色々改革に取り組みました。
無駄じゃないのか?て思いながらも何となく前年蹈襲でやってた作業、組織を見直し。
紙で配布していたプリントをほぼメールでの配布にしてそれまでは一回の文書配布に何回も学校に来て作業してたのを、学校に来なくても作業でき、配布作業を無くして先生の負担も軽減
アンケートをグーグルフォームで集計も自動化
地域にも応援してもらおうとWEBベルマークを推進し、自治会の回覧板にも入れてもらいベルマーク作業も軽減
PTAのグーグルアカウントを作成、マップに地区割りとお助けハウスを記載
Gmailを開放し、問合せを随時受付
ギガスクールにより学校のネット環境からはじき出されたPTA事務のパソコンをみなし法人でも契約可能なモバイルルーターを導入しネットを使用可能に。
LINE WORKSをPTA事務でも活用し、データのやりとりをスムーズに、又個人のアカウントを使用しなくてもいい状態に。
定例会は無理して来なくてもオッケー。大事なことは後で共有。会長がダラダラ話さなかったら会議は基本的に1時間くらいで終わる。
市子連に所属していたものの、活動がほぼ無かったので、解散を提案。解散し、市子連からは脱会
運動会の挨拶は一分以内で話すと決めて、最後は短歌で締める。
動員緩和と決断。歴代会長は必ず九州大会に行ってましたが、PTA会費を使って県外まで行くっていう事への疑問は最後まで変わらなかったので役員に相談し、恐らく初めて誰も九州大会に行かないという決断を取りました。
バックヤードのやり方を転換し、一方で保護者のキャリアを絡めたイベント構築などアフターコロナに向けた取組も模索。
保護者の仕事上のつながりでJAXAの出張授業できるかもってんで、学校に提案。半年後に6年生にJAXAのスタッフによる体験学習を実施
3年ぶりのフェスタを農家や雑貨屋さんの保護者に協力してもらって開催。
デジタルツールを活用して生産性を上げてPTA活動モデルを転換する正に【PTADX】笑
まとめ
怒涛の8年間だったけど、結果やって良かったなーと思える活動でした。PTA不要論もあるけど、それも分かるけど小学校に置いては、保護者も関与していかないといけないと思うので
【総論でPTA不要】じゃなくて【各論でPTA見直し】
てのを意識して行くことが大事なんだと思います。
長文にお付合いいただきありがとうございました✨