RAFRAGE / Kamui
サイバーパンクという過剰さからこぼれ落ちる、ささやかで繊細なKamuiの人間性。というものが「YC2.5」というアルバムから垣間見えるものだとすれば、「RAFRAGE」から立ち昇るのは、現実という殺伐とした世界をベースにしながらも、そこから肥大し始めるひとつの巨大な虚像=強い怒り=RAGEとしてのKamuiなのかもしれない。一曲目のタイトルにも冠されているPlayboi Cartiに対しての印象をKamuiは「曖昧な存在」と自身のYouTubeでの動画において述べていたし、それをわざわざ冒頭に持ってきていることは決して先述した内容と無関係ではないだろうと思う。
前作のような一貫性のあるストーリー性、とは対照的に、半ば散発的に、あらゆる方向に粗々しく飛び散っていく感情はKamuiという存在の輪郭を曖昧にしながら膨張させていく。過去、現在、未来が一緒くたになってグツグツとマグマのように熱い鍋の中で燃えたぎっているような、そんな印象を抱いた。意図的にぼかされていく解像度の荒いイメージはどんどん軽やかさを纏い始め、宙に浮かび上がっていく。高音によって発生する上昇気流がやがてハリケーンを生み出していく。ゲーム音楽のような、デジタル的な質感が強いRAGEのビートにドロドロとした人間性、生々しさを落とし込むことに成功しているのは、Kamuiの決して線が太いとは言えない発声の仕方がもたらす、怒りを滲ませながらも常にどこか儚げな印象や、「独特なフォークボール」の如く予測不能で変則的なフロウを地道に積み重ねることが可能な確かなラップスキルによってそれが担保されているからだろう。
「幕張の一番遠い客席」=誰もいないひとりぼっちの自室に置かれた、パソコンやスマホの液晶の前(個人的な解釈)に佇む筆者の胸に、今作は確かにCriticalな一撃として突き刺さっている。