「Welcome Back」鑑賞後メモ

 この作品を見終わってから自分の体には主人公であるテルこと冴木輝彦(吉村界人)の動きや思想、喋り方までもが乗り移ってしまったかのような感覚があり、心なしか歩く時でも普段より少しだけ力強さが込もるようだ。それは作中においてもうひとりの主人公であるベンこと友原勉(三河悠冴)の身体に巻き起こっている事態と同様であり、それが何よりこの作品の主題でもあったのだということが文字通り身をもって理解させられる。カメラで切り取られた物語と運動を瞳で受け止める、そしてその残像を今度は自分の体内で反芻し続ける。そうすることによってまるでその記憶が血液のように全身を駆け巡り始め、心身を貫くひとつの信念にも近いものが形成されていくと同時に自分自身が繰り広げる運動を通してその物語は他者にも伝播されうるということ。そういったある種の「継承」についての作品「Welcome Back」について、以下にもう少し詳しく物語の流れとともに書いていこうと思う。

 「Welcome Back」はまず、忙しないカメラの動きと細かいカット割りによって場面がハイテンポで繋がれていき、各登場人物たちのセリフも多く盛り込まれているために若干面食らうほどの勢いがある始まり方をする。テルがイヤホンを装着した瞬間に流れだすTommy Wealthによる挿入歌”Cross The Line(feat. Chamois)”のラップも執拗に”o”と”e”でライミングを重ねていくラインが非常に印象的であると同時に、スパーリング相手である吉田一(松浦慎一郎)を壁際まで追い詰めてしまう勢いでパンチを繰り出し続けるテルの動きとも重なるものとなっている。要は、意図的に演出されている過剰さがそこにはあると同時にそれが長くは続かないであろうことを観客側に想起させる。

 その後、本作において絶対的な強者として主人公らの前に君臨する北澤遊馬(宮田佳典)の一撃とともに少し長めの暗転を経て本作のロードムービーとしての側面が立ち上がり始める。ここでは物語のテンポ感は緩やかなものへと移り変わり、劇伴もジャズのドラムブレイクのような質感のものとエレクトロニックなドローンが要所で控えめに数回ずつ流れる程度だ。激情と日常の境界線上を蛇行するかの如く不安定な軌道に乗って、青山拓人(遠藤雄弥)が運転する車は各地方のボクシングジムを巡る旅をする。

 この旅はベンが北澤を倒すという目的を果たすために展開されていくが、それと同時にテルがベンの姿を通してボクサーとしての自分自身を相対化して見つめ始める道程としても描かれている。その構図が視覚的にはっきりと提示されるのは、おそらく上映時間のちょうど真ん中あたりに位置しているであろう立体駐車場内での場面だ。青山が試合を終えたベンの傷の手当てを行っているタイミングでテルは「痛いか?」とベンに尋ねる。「大丈夫」という彼の返事に対して「痛えだろ」と放つテルの表情の揺らぎをカメラが捉える。この瞬間にテルやその表情をスクリーンを通して見つめる自分自身の胸の内で何か別の種類の時間がゆっくりと動き始めるような感覚が湧き上がるように思える。それが確信に変わるのは直後の場面、「(ベンは)保険効かねえんだよ」と言いながらテルがベンにガードの作法を実際の動きとともに伝えるところで、予告編の終わりの部分でもその触りの部分は確認できる。肝心なのはさらにそのもう少し後の瞬間で、ふたりが立つ場所の奥に走っている線路上を新幹線が絶妙のタイミングでトップスピードで通過していく。真似事の範疇を越えるフォームを確立していくベンと、その姿を通して自分自身のボクサーとしての像を対照化して捉え直すテルという序盤のそれとはほぼ反転したものにも近い関係性の構図が顕在化し、それと同時に過去のある時点で止まっていた時間が流れ出すようなダイナミクスが生まれる契機となっている。この力強さは終盤においてベンが病院の診察室を駆け出す瞬間のエネルギーと、テルが彼自身の手で米を研ぐその手つきにも宿っているものだ。

 物語の簡単な流れも踏まえた作品のトーンや主題等に関しては以上。あとは個人的な話になってしまうが、劇場で2回目の鑑賞直後に抱いた感想は「不思議な映画だな」というあまりにも間の抜けたものだった。ボクシングという非常に過酷で物理的な痛みを必然的に伴うスポーツをモチーフとして扱っている作品であるにも関わらず、最終的には非常にリラックスした心地で劇場を後にすることが出来る、この所以はどこから生じうるものなのか。これに関してはいくつかの要因があるように思われる。

 ひとつは、テルとベンは非常に子供っぽいキャラクターとして描かれているということ。望月里香(優希美青)がテルのガールフレンドというよりはベンも含めたふたりの母親のような存在として据えられているあたりがとてもわかりやすく、彼らは性愛的な関係性も本編では視覚化されていない。序盤のテルとふたりでベッドから出てくる瞬間に両者とも上下に寝巻きを着た状態であるところなどが特に象徴的であるように思われる。テルの幼少期の家庭環境も彼の台詞を通してさりげなく仄めかされる場面にもなっており、それを踏まえると彼らがぼったくりバーに入ってしまうのも旅行に行ったことなどほぼなかったが故にハメを外したくなったのではないかという想像すら沸いてくる。彼らに対しての強い親しみが湧くと同時に、背伸びをしないでも作品を干渉し続けられるような居心地の良さがこれによって確実に担保されているように思える。

 そしてもうひとつ、今作の独特な浮遊感にも近い不思議さを醸すのに一役買っているかもしれないのは視覚的に提示され続けている「死のモチーフ」だ。赤い髪に黄色のハーフジップスウェットを着用しているベンの姿はhideであり、青山が運転する車は青色(スピッツ/青い車)だ。どちらも「死」や「心中」を示すようなモチーフとして機能し得るものであるだろう。だとすればテルの白いジャージも単純に白装束のイメージに重なる。旅の後半には橋や海の印象的なショットも挟まれており、現実と非現実の境界を融和させる効果を生み出している。これによって生じる抽象性が極限まで高まるのは本編ラストにおいてテレビからとある映像が流れる瞬間だ。自己と他者という関係性、そして過去、現在、未来という時間感覚や空間認識までもが緩やかに溶け出して境界線が消失していくかのような体感とともにエンドロールへと流れ込む。全く別のものであったはずの作品と我々の日常とが地続きになっている、重なり合っているというその「継承」の感覚こそが「不思議さ」の正体であろうというのが現時点での個人的な見解だ。これから何度でも、繰り返し見るだろう。

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