何かにすがる人の気持ちが分かった
最近アルコールを摂取していないからか、体調が良い気がする。
それでも日によっては1日中しんどい日もある。
年を取ったら「毎日が好調」なんてことはないのだろう。
むしろどんどん衰えていくのだろう。
学生の時に周りの大人から「若いうちに何でもやっとけ」と言われていたのは、間違っていない気がする。
身の丈に合った生き方を考えるしかないのだが、何だか少し寂しい気もする。
日本人は世界的に寿命が長い国として知られるが、「健康寿命」という意味では大差ないと思う。
仮に80歳まで生きたとしても最後の10年間はベッドの上で「何とか生きてる」という状態が多いと思う。
そういう意味では「人生100年時代」みたいな言葉は話半分にしておくのが良い。
誰かが言っていたけど「人生は巻いて生きる」という言葉。
とにかく体力、気力があるうちに「やりたい事」「できること」をどんどん消化させておく考え方は僕も賛成だ。
「老後2,000万円問題」についても備えないといけないが、2,000万円持った老人に何が出来るか保証はない。
非常に難しいがお金を貯めつつも、多少をリスクを背負ってでも今のうちに色んなことにチャレンジした方が良い。
「やりたい事を一切やれずにお金だけ大量にある老後」
「やりたい事をやったけど金欠の老後」
どちらに転んだとしても「あの時ちゃんとしとけば良かった」と後悔するのは目に見えている。
「丁度良い」というのが一番難しい。
それなりに僕も人生は巻いて生きている方だけど、漠然とした恐怖がある。
「このまま何となく過ごして死ぬのか」という「死」への恐怖。
結局は僕も含め多くの人は「凡人」として一生を真っ当するので心配するのも馬鹿らしいが、心の中では毎日「死」への恐怖を持っている。
死ぬ前にやりたい事をメモするようにしている。
気付けば85個に増えていて何も手を付けていない。
今から手を付け始めても一生のうちに消化しきれるか怪しいけど、
このまま放置しておくのが怖い。
最近まではコロナを言い訳にして新しいことにチャレンジできていなかったけど、もうそんな言い訳は通用しない。
1日50時間くらいあれば良いのに。。。
まあ仮にあったとしても今とそんなに大きく変わらないだろう。
人間とは現状維持を好む生き物だからだ。
そうは言ってもどうすればいいのか分からないから、ファンタジーな解決方法を願ってしまう。
なぜか全裸監督のことを思い出した。
妻に不倫されたことで酒に入り浸るだけの毎日を送っていた主人公が、たまたま知り合った半グレの人と一緒にアダルト商品を売ることになり、最終的には有名な監督になる話。
一番最初に売っていたのは音声だけで楽しむカセットテープだった。
カセットを皮切りに雑誌、VHSとアダルト商品の販売に染まっていくが、終始「売りたい」という気持ちだけで主人公は動いていた。
「俺はアダルト商品を売りたいんだ」なんてセリフは、昔も今も周りからの理解は得られないだろう。
それでも思いを持って毎日を生きて、少ないながらも仲間も集まるようになっていく様子は、見ていて爽快感を感じた。
ちなみにだが全裸監督の存在を僕に教えてくれたのは、かかりつけ医だった。
当時は何でそんなことを伝えてきたのだろうと不思議だったけど、
相当病んでる時期だったから何かの手助けとして言ってくれたのかもしれない。
ただの偏見だが医者とアダルトは相性が悪いと思う。
横にいた看護師さんの顔は何とも言えない表情だった。
僕はいつも判断を間違える。
自分では自分の頭で必死に考えたつもりでも、「いや君の場合は〇〇の方が良いよ」と他人から言われることの方が、結果的に正解だったことが多い。
シンプルに頭が悪いのと自分のことが異様に分かっていない。
自分で考えるより周りに言われたことで流されていた方が良い結果に転ぶなんて奇妙な人生だ。
また最近になって気付いたこととして、僕の強みはメンタル面にあるらしい。
「あなたの強みは?」みたいな人生で2,3回聞かれる定番の質問には、
どちらかというとスキルに関することを答えてきた。
しかし大人になって少しずつ周りの声を分析してみると、スキルというよりメンタルに関することを評価してもらうことが多いことに気付いた。
「何だかんだ義理堅い」
「意外とコミュ力高いから仕事しやすい」
「困難なことにも向かっていく信念の強さ」
「どん底に落ちても不死鳥のように復活する」
正直言って自覚がないから素直に受け止められないけど、周りが言うのならたぶん的を得ているんだろう。
だからどうしろと言うんだ、とも思う。
意外と精神論みたいなものは古臭さを感じて好きになれない。
精神論みたいなもので失敗したこともある。
でも原因は分かっている。
僕はとにかく自分に自信がない。
自分が自分のことを信用していない。
信用なんて出来るわけがない。
進撃の巨人のリヴァイが言っていたセリフで「自分を信じても、自分が信頼する仲間を信じても、結果は誰にも分からなかった」というものがある。
今の時代ならではのセリフだ。
「安牌」「堅実」みたいに語れるものは、ほとんど無くなってしまって、
みんな将来への底知れぬ不安を抱いて生きている。
国も他人も助けてくれないから自分とお金だけを頼りに生きるしかない。
とても殺伐とした雰囲気だ。
そうであれば、このように考えることはできないだろうか。
「自分のことは信用できなくても仕方ない」
「他人もほどほどの役にしか立たない」
「他人が知っている、もう一人の自分の存在を認めて信用する」
就活のときに「ジョハリの窓」にも4つの人格が登場する。
①自分も他人も知っている自分
②自分は知らないが他人が知っている自分
③自分は知っているが他人が知らない自分
④自分も他人も知らない自分
④は未知すぎて一旦除外するとして、僕は①と③ばかり取り上げて、更に信用していなかったことになる。
②については「自分じゃない」ような気がして気味悪く感じていて、
あまり見ないようにしていた。
これから②を信じてみようと思う。
なるほど、人はこうやって占いや宗教にハマっていくのか。