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1人で遊ぶ子供は少しばかり生きづらい大人になるかもね

自分に対して優しくなるのは難しい。

また自分に厳しい人は他人にも厳しい人だったりする。

自分に甘い人は他人にも甘かったりする。

どちらが正解というわけではない。

一方で「甘い」「優しい」は別だと思う。

自分や他人に「甘い」というのは、良い意味で「寛大」で悪い意味で「大雑把」ということだ。

「優しい」とは少し違う。

「優しい」には「労う」が含まれているからだ。

「労わる」というのが非常に難しいと僕は考えている。

他人に対して労わるのはギリできるが、自分に対してだと急にどうしていいのか分からなくなる。

「無理せずに」
「自分のペースで」
「しんどい時は休んで」

などを言われても、いざ実行となると萎縮してしまう。

ドМなのではないかと思った時期もあったが多分違う。

ちなみにだけど自分に優しくしたところで何か良いことはあるんだろうか。

何だかメンヘラな奴になってしまいそうで不安になるのだ。

1つ心当たりがある。

「〇〇を頑張ったから自分へのご褒美に△△ができる!」なんてことを言う人に多く出会った。

ご褒美のレベルは、コンビニのプリンから海外旅行まで人によってバラバラだが、僕はそうした経験が一切ない。

僕はちょっと人生を損しているんじゃないかと思う。

目の前のことを一生懸命にやって終わったら「プレゼント」が待っているなんて最高じゃないか。

そんな日々なら退屈な仕事も延々と出来ると思う。

メリハリがあって効率も良さそうだ。

もう一つ心当たりがある。

何でか分からないのだが、子供の頃から食事をしているときにイライラすることがある。

大人になった今でもある。

どんなに美味しいものを食べていても「あの時の〇〇腹立つな」と思う時があるのだ。

直近で嫌なことがなかったとしても、随分昔までさかのぼってイライラすることだってある。

これは何なんだろうか。

ちなみに持病でうつ病を持っているため、「躁」を疑ったが医者からは違うように言われた。

躁の場合、もっと攻撃的になることが多いそうだ。

話を戻すと「食事」がそもそも自分にとってのプレゼントになっていない。

これは困った。

三大欲求のうちの一つを潰されたら「自分へのご褒美」なんて簡単に作れない。

さらに残念なことに、子供のころから「景観」に対する感情が一切ない。

SNSでいう「映える」というやつだ。

「映える」に関しては男なので百歩譲って良いとしても、旅行で見る美しい景色などに何も感じない。

ちなみに戦争の跡地みたいな場所に行くと色々考えさせられることはあるので、「景観が嫌い」なわけでは無いらしい。

シンプルに感動したり爽快さを感じないということだ。

こちらも人生損していると思う。

食事と景観に対する興味がないのは本当に残念だ。

三大欲求の原則に従うと、睡眠と性欲が残っているが寝たいなら寝るし、性欲もお金を掛けだすと大変なことになりそうなので、「自分へのご褒美」としては不向きだ。

詰んでるな。

そういえば小学生のときにこんなことがあった。

「自分の趣味を絵に描いて発表しましょう」なんて授業があった。

サッカー、縄跳び、お母さんと料理など周りの子達は黙々と描いていたが、僕だけずっと手が止まっていた。

さすがに様子が変だと先生が声を掛けてくれたので「書くことがない」と正直に言った。

先生は優しいので「じゃあ学校でやっていることを描こうね」と言ってくれた。

もはや趣味ではなくなっているが、「習字」をテーマに乗り切った。

あの時の恥ずかしい気持ちは何とも表現しがたい。

「みんなは僕よりも楽しいことをやってる」みたいな。

あと振り返って気付いたが、「誰かと楽しさを共有する」ことが僕にはない。

スポーツや習い事は誰かと一緒に取り組んだり、成果を発表する場があるので自然とハマれる。

学校の勉強なんて一人でやって成果も自分にしか分からない。

勉強嫌いな子供が多いのも納得だ。

僕の家にいる時の数少ない楽しみが、一人でやるゲームだった。

特にサッカーゲームが好きだった。

物心ついたときから好きで、病気があり実際に本物のサッカーをやることは無かったけど好きだった。

小さい頃は人形を使った自作のサッカーゲームをやり、勝敗をノートに記録して楽しんでいて、ゲームを買ってもらえるようになるとウイイレやFIFAにどっぷり浸かった。

大人になると子供の遊びとしては怖さを感じるが、バナナマン日村、霜降り明星せいや、ミキ昴生も似たような趣味があったことをテレビを通して知って少し安心した。

バナナマン日村に関しては、COM対COMをひたすら観戦して勝敗を記録していたらしく、「上には上がいるなぁ」とも感じた。

ちなみに僕はJリーグのシーズンが始まる前に選手名鑑を読み込んで、各チームの開幕戦のスタメンとベンチ、フォーメーションを考えてノートに書くという不気味なことをやっていた。

良い風に言うと「調査」「実験」みたいな作業が好きだったんだと思う。

ここからは僕の仮説だが、兄弟構成は大きく関係していると思う。

同性の年上がいる子は「遊び」を勝手に知ることができるが、同性の年上がいない、一人っ子は「遊び」を自分で探すことになる。

僕は姉との二人兄弟だったので、子供のころに「遊び」を教えてもらったことがない。

口に出して言わないだけで僕のような「不気味な遊び」を1回くらいはやったことがある人って意外といるんじゃないかと思う。

子供のいる大人は気を付けた方が良い。

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