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【1935年台湾博覧会 #4】毎日お祭り状態の50日間!その魅力とは? 第二会場・後編
当時の会場地図を参考に、現在のGoogleマップと照らし合わせて、分かりやすい地図を作ってみました。
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※文字の表示はなるべく当時のままですが、読みやすいように現代の漢字に転換しています。
※元の地図は線と文字のみのモノクロ地図で、番号や色塗りは分かりやすいように加工したものです。
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そして、今回は新しい試みとして、google mapの機能を使いて、現在の228公園に当時第二会場にあった展示館や設備をマークしてみました!
さて、旅を続きましょう!
今回この記事を書くにあたって、最も難しい部分は、こちらの「子供の国」です。
敷地面積は約3,000坪、約野球場一面くらいの広さもありますので、文字の記載はありますが、設備の相対位置などの詳細は記載されていないですし、画像資料からも推測できないところが多いため、地図の制作や文字で述べる順番などに結構苦戦しました。
文献では、「子供の国」を5区に分かれています。
(正式的な名称は決まっていないため、文献によって違う名称で記載されています)
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子供の国 第一区(主として知育方面に意を注いだ施設)
第一区の設備や建物は以下となります。
蓬莱塔(正門兼休憩所)
竜宮城(休憩所)
日の丸仰敬館(大日本精神の作興を眼目とし、国体の尊厳無比を不知不識の間に認識体得せしめる指導基調に立って、旭日旗に関する幾多の史蹟を如実に展示したものである)
ベビーハウス(子供の情操と智徳健康に向上的示唆をなした)(別名「子供の家」)
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赤色で表示している三角形と施設名称は加工したもの
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子供の国 第二区(正面入口より児玉将軍寿像附近一帯、凡そ子供の遊戯或は休息に適切なる考察をなした)
象滑台、ライオン滑台 各1台
室内人形 A型2組、B型8組
動物型ベンチ 20脚、普通ベンチ 10脚
兎の家(レコード演奏小屋)
ビーチパラソル及腰掛付 4組
泉池(日本生命保険会社寄付)
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赤色で表示している三角形と施設名称は加工したもの
泉池に関しては、当時の新聞記事によりますと、日本生命保険と日本生命済生会が作ったものであり、「日本生命宝泉噴水」(別名子供の泉)と記載されています。
沖縄の金土石で作った噴水池の正面には、ブロンズ製の女神の像があって、前の池には大きな緋鯉を泳がせています。こちらの噴水池は、博覧会終了後も台北公園に残す予定でした。
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写真から見ると、噴水池のすぐ横には象滑台があり、後ろには台北公園既存の児玉新平像の周りの石柵が見えます。
児玉新平像ですが、「子供の国」というテーマに合わせるためのでしょうか、写真を見ると、コロンビアレコードのレコード2枚で装飾されて、本来の堅苦しい彫像にエンターテインメント性が付け加えられています。
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また、新聞記事によりますと、児玉新平像の後ろ(道路側に近いところ)に「チョコレート人形」が建てられて、このチョコレート「上等兵」が博覧会会期中に、ずっと児玉新平「大将」に敬礼するポーズをとっているようです。「子供の国」は子どもに遊んでもらうエリアと思われますが、実はこれらのメッセージ性が強い装飾から、当時の時代背景が反映されて、ここはただ遊んでもらう場ではないですね。
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第三区 (主として児童体育を主眼として施設したもの)
鋼鉄製ローリングブランコ 六人乗り 1組
鋼鉄製ロータリタワー 十六人乗り 1組
鋼鉄製回転台 十六人乗り 1組
鋼鉄製回転チェアー 幼児四人乗り 1組
鋼鉄製椅子ブランコ 2組
鋼鉄製家族ブランコ 2組
鋼鉄製高低ブランコ 四人乗り 1組
動物首型遊動円木 1組
鋼鉄製ローリングチェアー 6組
木馬ローリング 6組
ガーデンハウス 1基
滝及滝壺
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赤色で表示している三角形と施設名称は加工したもの
鳥瞰図からは、ブランコや木馬ローリング、滝及滝壺、回転チェアー、ロータリタワーらしいものが描かれていますが、実はどうな形の遊具なのか、文献に記載されている遊具の名称はどの遊具に当てはまるのかは、エビデンスになれる資料を見つかっていません。なのでこのエリアに関しては、あくまで個人的な想像です。
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まずは上の写真の右側にも写っている、おそらく六角形である遊具は、博覧会の文献では「ロータリタワー」と表記されていますが、より知られている名称は「オーシャンウェーブ」です。1942年出版された『児童公園』という本にはこの遊具の写真が掲載されて、博覧会の写真で写っている遊具とほぼ同じ形をしています。
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「オーシャンウェーブ」に関する説明は、こちらのブログを参考にしてみてください。
昔は普通に存在していた危険な10の遊具 : カラパイア (karapaia.com)
また、写真の左側に写っている、子どもたちが座っているのは「回転台」ではないかなと想像しています。
そして「動物首型遊動円木」ですが、wikipediaによりますと、「太い丸太の両端を支柱や梁などに固定した鎖で地面すれすれに水平に吊り下げた大型の遊具である。」と記載しています。名前には「動物首型」って書いてありますので、もしかしたらこのブログに載っている遊動円木みたいな感じですかね。
今となっては危険!? 公園から消えつつある「懐かしの遊具コレクション」 (aruhi-corp.co.jp)
第四区 (第二、第三区に隣接)
花壇
装飾塔A型 1基、B型 8基
吹流し長さ十八尺 2組
五月幟 2組
飛行塔 1組
ベビーカー 5台
戦車 2台
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赤色で表示している三角形と施設名称は加工したもの
このエリアの目玉施設は、やはり「飛行塔」と「ベビーカー」、「戦車」です。この3つは子どもが乗れる施設となっていて、あまりにも人気すぎて、整理料として明治製菓の製品を十銭お買い上げの人が、無料で乗せる形になっています。ちなみに、会期中に「飛行塔」の乗用者が10万人で、「ベビーカー」、「戦車」は約1万7千人でした。
なお、「ベビーカー」5台ですが、新聞記事によりますと、実は京都のSOGOデパートがアメリカから購入したもので、特別に分けてもらったものです。
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第五区(食堂及休憩所)
食堂
お伽の茶屋
明治製菓喫茶部
明治製菓藤緑亭
「お伽の茶屋」ですが、「竹の腰垣を周らした茶室風の数寄屋造りで、お庭には内地松が植てあります、ここで桃太郎のきび団子やぜんざいなどを売るのだそうです。」と新聞記事に記載されています。
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次に紹介したいのは、同じとても人気のある「音楽堂」です。
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この音楽堂は、今回の博覧会のために造った新しい施設で、鉄筋コンクリート造の舞台と265脚のベンチがあって、閉会後は台北市に寄付して残される予定でした。現在の228公園にも似たような施設がありますが、おそらく何回も立て直されたもので、厳密に言うと博覧会のときとは違うものですね。
会期中に細田管弦楽団を招いて、毎日昼夜演奏するほか、10月15日からの夜間開場期間中には、以下の演目が行われています。
「支那清楽の夕」(清楽南管演奏)
「三曲合奏舞踊の夕」(六段、千鳥、花園等)
「蕃人踊」(高雄州潮州郡ボタバン社、花蓮港庁アミ族)
「舞踊と児童劇」(愛国児童会より殿様行列、かちかち山、愛国少年等)
「演奏会」(帝大高校、交響楽団により洋楽名曲)など
また、11月27日に開催された「台博祭」イベントでは、芸妓たちが博覧会の宣伝歌謡曲「台湾よいとこ」の伴奏で踊る姿も音楽堂で観れました。
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最後は、「迎賓館」を見てみましょう。
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この施設は、来賓の招待所として、博覧会のために建てられたもので、閉会後は総督府のクラブとして残される予定でした。
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ここでは、博覧会の協賛部接待部が発行した「茶菓御招待」券と「中食御招待」券を持っている人に食事を提供しています。「茶菓御招待」券は協賛会員18,316名とその他の国内外賓客、及び博覧会役職員と出品関係者など、計25,957名に配って、包種茶に落雁を添えるセットを提供しています。一般の人でも、五円以上お金を出して博覧会に協賛するとこの茶菓セットを楽しめます。
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この「5円」は当時の人々にとって、果たして安いのか、高いのかを、ちょっと考察してみました。1934年に出版された『昭和八年台湾第二十九統計摘要』によりますと、台北市で靴工をやっている台湾人の月収は60銭で、日本人は2.2円でした。台北市で月雇い(賄い付き)」の台湾人男性の場合は18円で、日本人女性も18円でした。なのでこの五円は、台湾人の靴工にとっては8ヶ月分の給料より高い金額で、同じ靴工している日本人でも厳しいですし、月雇いの台湾人男性と日本人女性にとっても、茶菓セットを食べるためにお給料の三分の一をかけるのは、やはり無理がありますね。
「中食御招待」券は協賛会員2,508名とその他計6,633名に配って、主にランチを提供しています。お料理は当時とても有名な鉄道ホテルが担当しています。また、「迎賓館」には階上、階下の接待種別が異なっていて、招待券にも「別室(階上)」が書かれている・書かれていない区別があります。
ちょっとした補足ですが、この第二会場の出入口は、上述の「表町門」「栄町門」以外に、もう2つの出入口「文武町門」「明石町門」がありますが、残念ながら「文武町門」の当時の写真は見つからなかったです。
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いやー今回の第二会場の紹介文章を書くには、あまりにも時間かかりすぎて、途中から「私、本当に書けるかな」と思うくらい心が折れてしまって、そして完成したらなんと9,000文字超えになってしまい、前編・中編・後編に分けて掲載することにしました。
でも以前に卒論を書いているときに、第二会場って面白い施設がいっぱいありますね、というのが印象的で、論文内に焦点を当てた博覧会で働く女性たちも、第二会場内の「余興」「サービス」関連施設と大きな関係がありますので、さらにこの第二会場の施設に対して、興味を持つようになりました。
そして、今回は新しい試みとして、Googleマップを使って現在の228公園に第二会場に存在していた施設をマークしてみました。幸い現在の228公園は当時の第二会場と比べて、形はあまり変化がありません。地図を照らし合わせながら実際に歩いてみて、当時の写真を見て順路コースを体験してみたいですね!
会場紹介に関しては、第一会場、第二会場も終わって、残りのは大稻埕にある分場と草山(現在の陽明山)にある会場です。引き続き、よろしくお願いします!
参考資料:
台湾の旅, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會協賛會, 1935.
豪華版臺灣記念博の全貌, 月刊臺灣, 1935, 6(10), p.31-47.
鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939.
始政四十周年記念 臺灣博覽會協賛會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會協賛會, 1939.
始政四十周年記念臺灣博覽會, 大阪市, 細谷真美館, 1936.
須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935.
野村幸一, 臺灣博誌上見學記 =第二會場= 府縣館, 臺灣警察時報, 1935, n240, p.81.
池上清德, 始政四十週年記念 臺灣博覽會寫真帳, 台北市, 實業展望支社, 1935.
1935年台湾博覧会シリーズ記事
#1 第一会場編
#2 第二会場・前編
#3 第二会場・中編
#4 第二会場・後編
#4.5 食欲の会場 “うまい名物”を漁る
COVER:音楽堂