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「一生一つ思考」から脱すると、自分の人生を本に見立てることになった。

一つのことに囚われがちな自分へ、心が軽くなる思いつきを残しておく。

就活をしていて私が潜在的に意識してしまうことは、その仕事がずっと存在しているか、私がそこで飽きることはないかということと、定年退職している自分のイメージだ。
今の世の中には、複数の仕事を掛け持ちしている人や職を転々としている人が多くいることは承知しているが、田舎で親や周りの大人たちが一つの仕事を定年退職するまで続けている環境で育ったため、意識せずとも気にかけてしまう。呪いみたいなものだ。

その呪いのせいで、私の頭の中では、東京で仕事につき、そこで定年になるまで勤め上げる、というイメージが専有している。本当は東京なんか好きじゃないし、せかせか働くよりはマイペースに過ごしたいのに、やっかいな呪いが、それらを望む自分を許さない。

苦しい。

働くことがもう辛い。

そんなことを思ってしまい、ここ最近現実逃避に走ってインスタを回遊していた。画像を伴う情報の坩堝は、好奇心旺盛な私を引き付け、意識を憂鬱なことから遠ざけてくれる。

その最中に、パン屋で働く人を見つけた。その人の読む本やファッション、顔つきが妙に気になって、投稿を遡っていった。

その人はかつて美容師で、ネイルチップや髪飾りを作ったり、洋服を作ったり、いろいろなことをしている。住み働く場所を地元や東京などあちこち変えたりしていた。

自由だなと思った。

一生一つの場所、仕事で生きるという考えは一切ないようなひとだった。私と対局にいる人だ。

いいなあと思った。
この人のように身軽でいたいと思った。

そこで自分のことを振り返ってみた。
私はブランドの服をいっぱい買いたいとか、旅行にたくさん行きたいとか、車や家がほしいとか、絶対に結婚して子供がほしいとか、人生でやりたいことはそれらではなかった。

慎ましく暮らしながら、自分の時間を保ち、趣味の手芸をし、読書をしていたいと思った。

それがわかったとき、東京で忙しく定年まで働くことは、私の中で解ではないと気づいた。私は、静かに、コツコツと過ごしたい。



しかしそうと言えども、私なりにやってみたい仕事や親を安心させたいという思いはあるので、まずは東京で仕事をしたい。

現実には、自分の老後を支える資金作りや親の最後を看取るという、私にとっては避けられないタスクがある。

東京で一生懸命働いて、お金をためて、投資でお金を増やす術を取得して、もう十分頑張ったなと思えて、親とお別れするときが来たら、仕事をやめようと思う。そして、好きになった土地で、マイペースに働ける仕事をして、好きなことに時間を費やしたい。

人生において、仕事や住む場所は一つじゃない。人生が一続き、全てが一つの章にまとまっているというわけでもない。

私が私の人生を章で区切り、その舞台とキャラクター設定をしていくのだ。

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