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痛みを知った君は綺麗だ


私は、心に寄り添うような仕事をしている。

決して、幸せになってはいけないということではない。

だけど、いわゆる地位の高い人やザリア充、キラキラした人にはあまりなりたくないと思った。

SNS上で生きる有名な方たちのようになりたいとあこがれたこともある。

だけど、そこにいってしまうとだんだん見えなくなるものが増えてくるのも確かかもしれない。

それは、本当に大切な人の存在や自分自身、自然の素晴らしさや生きている日常が奇跡だという事。

お金を手に入れれば、もっともっととなってしまうのは人間の欲だから仕方がない。だからこそ、

受験で感じた、周りから置いてけぼり孤独感、周りがキラキラ見えて自分だけがというやるせなさ、やりたいのにできない不条理さ、辛いという感情を吐き出せない感情、どうせ誰もわかってくれないという閉鎖感、何も手につかない無力感、変わりたいのに変われない、何事もうまくいかない、寂しいといえない、身動きが取れない、こんな人生があと何十年続くのかという絶望感、この人は信頼してもいいかもと思った矢先のSNS上で見た光景不信感、みんなが敵に見える、ポジティブな言葉がうっとうしくなる、ただただ何も言わずに隣にいてほしい、あわよくばぎゅっと抱きしめてほしい、明日生きるのが来るのが怖い、頑張れという名の見えない暴力、押されたら崩れ落ちてしまいそうな心、もうすべてをやめたい、死にたいけど生きたい、いつ抜けるかわからないトンネルにいる感じ、誰か助けてと叫びたい気持ち、

〈8月31日の下書き〉

12/19
下書きを振り返っていたら以上のような言葉を残していた。

受験が終わり、まさにまさにこの時感じていた想いはほんの小さいものとなっていた。

今はこう思う。
この時のような気持ちは私にとって忘れてはいけない宝物。

なぜかというと痛みがわかるからこそ深みが出ると思うから。

だけどひとつだけ心に置きたい事がある。
それはこの時のような気持ちにのめり込まないこと。

私だって、誰にだって、前向きな気持ちでいる権利がある。

どちらも大切な気持ちなんだよね。

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