棺桶には百合の花を
先日、林芙美子の「晩菊」を読んでからというもの、生涯女として生きることはどういうことなんだろう、と考えてしまう。女であることに対してじわじわと不安が生まれてきた。
今までそんなこと思ったこと無かった。何度生まれ変わっても女に生まれたいし、二十歳になるまで歳を重ねるのは楽しみだった。
学生の私は、未だに世間の女性不利を実感したことがあまりない。(単に鈍感なだけとも言える)
一つ思い浮かぶとしたら、バイト先のキッチンが男性のみ採用だったことくらいだ。しかし今では人手不足から女性もキッチンで働いてるし、私は端から料理は興味がなかったのでへぇ、としか思っていなかった。
なんなら私は今、女であることに喜びを日々感じている。女の性を与えてくれてありがとうお父さんお母さん。女として生きるのって、最高に楽しいの。毎日がランウェイなの。
女って複雑だ。
でもその複雑さが好きだ。
女の心は脆い。
繊細で、すぐに壊れてしまう。
ふと車窓に写った自分が思ったよりブスだった。彼氏から返信が来ない。たったそれだけで自信はすぐに削がれる。他人の目が怖くて、閉じこもりたくなる。
でも女は変身できる。ドレッサーの鏡を覗き、白い照明に囲まれてキラキラアイシャドウにまつ毛をカール、ハイライトをのせた後には顔つきがまるで違う。心の武装だ。繊細な女の心は、化粧を施すことによって守られているのだ。
変身は楽しい。
何にだってなれるから。
鏡に写る自分が理想の自分に一歩でも近づけた時、少しでも可愛いと思えた時、女の至上の喜びを感じる。それはセックスよりも気持ちいいの。自己愛が大爆発するの。
しかし、女には一つスパイスがある。
「老い」である。
老いることってとても怖い。
スパイスなんてオシャレな言い方したけど、世では堕落なんて見方をされてる。
はぁ、若い時はよかった、あの時が一番幸せだった、なんて死んでも言いたくない。それなら死んだ方がマシ。結構これ本気。
一生自己愛を更新してたい。
もっともっと自分を好きになりたい。
子供が生まれても、孫がいくら可愛くてもやっぱり自分が一番でありたい。
私の人生なんだから、棺桶まで私が主人公でいたい。それも特上にハッピーエンドなやつ。死ぬときは「あー!自分に生まれて世界一幸せだったー!」てノリで逝ってやるんだ。
私は私の美徳を守る。
女であることに誇りを持って。