女であるということ
「なんで女の子で生まれちゃったんだろう、、、」
そんなひどい言葉を私は母親の前で涙ながらにこぼした。
私はこれまで女という性を誇りに思っていた。というか、今でも女であることが好きだ。繊細で、強い女でもある自分が好きだった。
しかしそんなおとぎ話は学生でおしまいだった。
大学四年生のいま。就職活動を終え、いくつか頂いた内定先の中から進路を考えている。
結論としては
大手メーカーか、大手子会社か。この二択だ。
私は高校生のときから広告の仕事に憧れていた。7年たった今、広告という選択肢が掌にある。しかしその企業は「大手子会社」。人数は中小規模だ。
対して、大手メーカー。こちらは日本を代表する企業で名前を知らないものはいない。人数は一万人を超える。
私はやはり広告という夢を捨てきれない。ここでやらずに悔やみ続けるのは想像するだけでつらい。
しかし親は大手メーカー一筋だ。たしかに早稲田までいった娘に子会社に行ってほしくない気持ちもわかる。両親ともに学歴コンプを抱えている。それを晴らすためにも「超有名大手」に行かせたいのだ。もちろん私のためを思って、言っているのだろうけど。
私は子会社の実態を知らない。親の言いなりでつまらないのだろうか。
憶測で、安定に走り続けるのだろうか。
親は言う。
「悲しいけど、女なんだから、長いものに巻かれなさい」と。
私は涙が止まらなかった。はじめて女という性が、私の足かせになったのだ。この文章を書きながら、また涙があふれてくる。なんで女なんだろう。私も男だったらやりたいことを認めてもらえたのか。出世コースに乗れたのか。えらくなれたのか。幸せだったのか。
女が強いといわれるのは、所詮、男が強いという常識があった上なのだ。女というだけで見下される。結婚、出産の事も考えなくてはならない。私は好きな仕事をしたいだけなのに。自分のアイデアを形にしたいだけなのに。
親が「女であること」を切り札に使ってきたことも、悔しい。
大手に入ることを説得するために、性別を弱みとして引き出してきたのだ。もちろん社会的にそうだから、という意味があるのは分かっている。それでも、女が弱みであることがくやしくてくやしくて、たまらないのだ。
女じゃなければ良かった。
こんなこと思いたくもない。
本当は女であることが誇りで、生まれ変わっても女になりたいとすら思うほどに女という性を愛している。
だからこそ、苦しくてくやしくて、こんな思いするくらいなら、男で生まれれば良かったと、思ってしまうのだ。
社会的な正解は間違いなく大手に進むことだ。
分かっている。
けれども。
本当にやらずに安定を求めてしまっていいのだろうか。
ここで自分を押さえつけてもいいのだろうか。
なぜ、女なのか。