見出し画像

bukiyou

生きづらさは天才の証明、なんてこと聞いたことありませんか?

突出した自分の才能に社会が追いつけないから生きづらいんだ、という大方の説明だけれど普通に考えてそのようなことはない。社会は流行はあれど優れた才能なら大方発見できるのが常識で、そもそも本人が社会に馴染めない時点で環境に適応できる才能がなかったと考える方が自然だ。皆自由奔放に生きているわけでなく、その場その場のルールに合わせながら、そして自分と環境の感覚に差があることも「なぜ?」なんて深く考えないようにして上手に生きている。

俺もどちかというと生きづらい。コミュニケーションと手先も不器用で仕事は好まれるか、嫌われてクビになるかの両極端。いくつか職場を経験して円満退職なんてしたことがない。惜しまれてもやりたいことしか目の前には見えなくて話は聞かずにしれっと去るか、失敗ばかりで周囲には損をせてついには「早く辞めてよ」と暗に言われながらそこを去るか。

これって俺の問題だよな。生きづらいなら環境に合わせることを学べばいいのにいつまでたってもできないからそうなっている。最近は俺にはそうできないと開き直りひたすら自分のままに生きようと決めたから少し楽になった。ただハマるか嫌われるか、いや嫌われることが多い結果は全て受け入れながら。

不器用は天才じゃない、不器用は不器用。そもそも天才なんて少数のまた少数、皆どこかで気づいているはずで励ましで周囲は言ってくれている。だから、少ない「できること」に泥臭くしがみついて誰よりも伸ばし続けるしかないのだと覚悟を持てばいい、ということになる。

生きづらい時は単に考え方、生き方を死ぬ気で悩んで少しづつ変えていくタイミングなんだろうな。不器用な人間は「深く考えなくていい」なんて言葉は無視をし、その都度落ち込みながら這い上がればいい。確実に以前よりは強くなっている感覚はあって落ち込みやすく情けない自分は将来の役になっている。

不器用のまま生きる。そして道路は用意されていても自分が運転できる車がないのなら、自分が歩ける歩道を作り続ける。もちろん歩道を作る材料も技術もない。身一つで堀って舗装し、人力で単独だからすぐに壊れてまた作り直すを繰り返す。
でも、それでいいじゃん。

いいなと思ったら応援しよう!

hitoridebun
精進します。