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滝から落ちた話

正直なところ、この話はしたくなかった。

理由は単純。楽しい話じゃないからだ。
滝から飛び降りてやったぜ!という武勇伝でもなければ、世を儚んで滝壺に身を投げたわけでもない。

単に足を滑らせたのだ。

そう、六年前の夏。俺は滝から落ちた。

大分県にある龍門の滝というところで落ちた。

滝と言っても、華厳の滝やナイアガラの滝のような急転直下の滝じゃない。龍門の滝はウォータースライダー型の滝で、水量もそんなに多くはない。
だから表現としては、「転落」と言うよりは「滑落」だろう。

繰り返しになるが、この話は俺にとって楽しいものじゃない。
でも、当時そこに居合わせた友達にとっては「滑らない話」らしく(笑えない)、会うたびにこの話をされるので忘れることもできない。

まあ、「苦い思い出」ってやつの、その苦みにも慣れてきたので、ここで振り返ろうと思う。

六年前。
当時大学生だった俺は、友達に誘われて大分県に旅行に出かけていた。

九州の自然は素晴らしく、二泊三日の旅行中、どこに行っても雄大な景観が俺らを迎えてくれた。

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こんなところを車で走ってみたり。

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こんな滝を見上げてみたり。
この東椎屋(ひがししいや)の滝は、日光の華厳の滝に似ていることから「九州華厳」なんて呼ばれたりもする。
そして、俺が落ちた滝ではない。
こんなところから落ちたら木っ端みじんだ。

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ほかにも、釣り上げた魚を揚げてみたり。

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アマガエルに出会ってみたり。

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こんな滝を見下ろしてみたり。
この原尻の滝はナイアガラの滝に似ていることから「大分のナイアガラ」なんて呼ばれたりもする。
そして、やはり俺が落ちた滝ではない。
期待(?)を裏切って申し訳ないが、華厳の滝やナイアガラの滝のような急転直下の滝じゃないって、さっき言ったもんね。

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大分、良いところだった。
ついテレビなんかでスイスの山岳地帯や南米のジャングルを見て「大自然だなあ」と思ってしまうけど、日本にも普通にある。大自然。

そして、その大自然のいたずらによって生まれた場所の一つが……。

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この、龍門の滝である。
俺が落ちた滝であり、この話の舞台だ。

幅60m、落差26m。
人の手を加えていない、天然無垢の自然のウォータースライダー。
そしてまた期待(?)を裏切って申し訳ないが、

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俺はこうやって滑り落ちた。
上の方にある「見るからに滝!」な場所からではない。
そもそも、上の段の滝は飛び込み禁止であり、禁を破って飛び込んだ人が亡くなるという重大事故も起きているデンジャーゾーンだ。

さて、ここは自然のウォータースライダーとして人気の観光スポットである。
そこで「滑り落ちた」のがなぜ苦い思い出なのか。
それは正しい楽しみ方ではないのか。

ないのである。
なぜなら、

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ウォータースライダーとして楽しむスポットは滝の左側だからだ。

この写真でも分かるが、滝の左側は水量が多くなっている。
観光客はそのてっぺんから滑り落ちるために、マットや浮き輪を持ち、脇を登って上流を目指すのだ。

さて、もう一度、俺が滑り落ちたルートを見てみよう。

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え???

当時のことを思い返しながらこれを書いているが、図にしてしまうとさらにマヌケだなと思う。
見て分かる通り、俺は右側の溜め池みたいなところに滑落した。

もちろん、落ちたくて落ちたわけではない。

最初は俺も、他の人たちと同じように(そして一緒に来た友達と同じように)、左側のウォータースライダーを目指して登っていたのだ。

ところがこの滝、そう簡単に登らせてはくれなかった。

引きで見れば大したことないように見えるが、近くに寄ってみるとかなりの急勾配だということが分かるだろう。

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加えて、勢いよく流れる冷水と、ぬるぬるとした水苔。その難しさたるや、SASUKEのファーストステージ中盤くらいのレベルだ。確実に。

(滑ったことを正当化したい)

そんな難所だったが、俺には秘策があった。

高校時代、山岳部の部長だった僕は「三点確保」という技術を身に付けていたのだ。

これは厳しい岩場や崖を登るときのテクニック(セオリー)であり、不安定な足場の上を安全に移動するためには欠かせないものだ。
両手両足でしっかりと体を支持した上で、移動するときには「左手」→「右足」→「右手」→「左足」というように一つずつ動かし、常に他の三つの手足で体を支えるようにする。
図にするとこんな感じ。

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出典:https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=24

この三点確保を行うことで、たとえどこかを踏み外したとしても耐えられるという寸法だ。

俺は一緒にいた二人の友達に、この三点確保を教えた。
滑りやすいところでも、この三点確保を行えばOK!なんて言って。
しかもちょっと得意げに。

そして俺らは、濡れた岩肌をおそるおそる登り始めた。
友達二人を先に行かせて、自分は最後尾につく。

だが、半分あたりまで登ったところで俺はふと思った。

登るの、めちゃくちゃ難しいな。
手すりもないデコボコの急勾配で、上から流れてくる冷たい水の飛沫を浴びつつ、水苔の生えていないところを探して手足を置いていく。
その忙しなさに、前を行く友達が三点確保を実践しているかを確かめる余裕もない。
それに運動不足のせいか、体がどうにも重い。

それでも俺は、逆境にめげずになんとか手足を動かして登っていった。
今思えばここで引き返しておくべきだったんだろう。
けれど、偉そうに三点確保を教えた友達の手前、それはできないなと思った。
何より自分の潜在能力を信じていた。


しかし、その時は来た。



俺はあっけなく落ちた。


頂上まであとわずかのところだったと思う。
(惜しかったってことにしてくれ)

足を踏み外して一気に滑ったというよりは、岩肌に掛けた手足のふんばりがジワジワと効かなくなっていき、ついに限界点に到達。
4か所ある両手足の、どこを滑らせたのかは分からない。
滑り始めた時になんとか岩肌にしがみつこうと指に力を入れたが、爪がバリバリに剥がれそうだったので、わずかな理性を使って、滑り台を滑るような体勢にくるっと身を翻した。
そして、

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シャァァァーーッ!!!っと落ちた。

繰り返しになるが、俺が落ちたのは正規のウォータースライダースポットではない。
滝の左側は豊富な水量によって岩肌が滑らかになっているが、右側はそうでもなく、ところどころ岩が突き出ているのだ。

そんなところを俺は70mも滑り落ちた。

落ちている間のことはあまり覚えていない。
ただ、どういうルートでどこにたどり着くのかが分からないから物凄く怖かった。

ギュッと身をちぢこめて、お尻にゴツゴツとした岩を感じて、脚をぶつけて、腕を擦って、あまりの速さに気が遠くなりかけるのを、水の冷たさが引き止めて。

そして、着水。

勢いよく暗い水底に沈み込む。
俺は清い水の中を揺蕩いながら、不思議なほど穏やかな気持ちで、光る水面を見上げた。

生きてる――

大げさに言っているわけじゃなく、その時は本気でそう思った。
人の手が加えられていない自然のウォータースライダーに心の準備なく突き落とされ、否応なしに生存本能が揺さぶられたのだ。
九死に一生を得た、とさえ感じた。

身体中がミシミシと痛んだが、なんとか岸に上がった俺は友達に無事を知らせようと思って、滝の上を見上げた。
あれだけ派手に滑落したんだ。見ていた方も気が気ではないだろう。

骨折、溺水、あるいは、死――

そんな想像が脳裏をよぎったはずだ。

本当に申し訳なく思った。
心配かけてごめんな!俺は無事だぜ。

そう伝えるべく、俺は水に濡れた顔を上げた。

だが、友達ふたりは滝の上で大爆笑していた。


慣用句辞典の「腹を抱えて笑う」のページに挿絵として入れたいくらいのザ・爆笑。
滝の上から数十メートル離れているのに笑い声が聞こえてくる。

後で訊けば、滑り落ちていく俺の姿がかなりマヌケだったそうだ。
(滑り落ちること自体が大マヌケだけど)
とくに、滑落に抵抗することをあっさりと諦めてくるっと反転して滑り落ちていったところが。

傍から見たら笑える動きだったかもしれないが、こちとら、生命の危機から辛くも脱出したばかりなのだ(主観的に見たら)。

笑い転げる友達を滝の下からずぶ濡れで眺めていると、ふつふつと出所不明の怒りが湧いてきた。
滝の上と滝の下。登頂と滑落。笑いと悲しみ。
お互いのあまりの温度差に、つい「死にかけたんだぞ!!」と叫びたくなった。

俺がそれを踏みとどまったのは、周りにいた観光客のざわめきが耳に入ったからだ。

「え、落ちた?大丈夫?」「あぶねえなあ……」

そう、ここは有名な観光スポットだ。
周りにはレジャーで訪れていた多くの人々がいた。
その衆人環視の中、俺は道なき道を滑り落ちたのだ。

足を滑らせたせいで起こったアクシデントなのだが、この時、俺は大学生。
とっさの判断で体育座りの姿勢にしたせいで、薄れる「事故」っぽさ。
滝の上では大爆笑する二人組。

滝の下で急速に醸成される、「学生がふざけてヘンなところを滑ったっぽい。あぶねえなあ」という雰囲気。

俺は針のむしろに座らされたような気分になった。

滑るコースが違えば、ひどい擦り傷を負ったり、岩に頭をぶつけて命に係わるような大怪我になっていただろう。

同じ事は、周りの人に対しても言えた。

もし、登ってくる人とぶつかっていたら。
それが、小さい子どもだったら。

想像を絶する結末。

俺は自らと他人の生命を大きな危険に晒したのだ。
故意であろうがなかろうが、結果としてそうなったことを反省せねばならない。

俺はびしょ濡れのまま岸を少し歩いて、木陰に座った。
手足を点検すると、至る所に擦り傷ができている。幸い、骨が折れたりはしていないようだ。
「怪我は男の勲章」なんて言葉があるけれど、この傷は自分への戒めにしなければなるまい。

そして、ジャワジャワという蝉時雨の下、「もう絶対に三点確保の話はしない」と固く誓う。
一人であんなに無様に落ちてしまっては、山岳部OBはもう名乗れないな。

なんとなく居心地が悪くなり、座り直す。

ん?

俺はお尻のあたりに違和感を感じた。

もしかして……あ。

水遊び用に友達から借りたハーフパンツ。
お尻に穴が開いていた。

俺はふたりが正規ルートで滝を滑り落ちてくるのを眺めながら、絞り出すようにため息をついた。
どう言い訳しよう。

頬をつうっと流れる液体。

汗と涙と岩清水が混じった一粒の水滴。
俺はその中に、このほろ苦い思い出を閉じ込めてしまうことにした。

あれから、俺は水辺には近付いていない。
本当に、本当に人にぶつからなくてよかった。

書きながら恥ずかしかった。
ああ、筆を置く。

(おわり)

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誰一人として友達のいなかった高校時代、ぽつんと下校している俺に声を掛けてくれたふたり。
そんなふたりが笑ってくれるなら、まあ良いかなとも(ちょっとだけ)思う。

自己投資します……!なんて書くと嘘っぽいので、正直に言うと好きなだけアポロチョコを買います!!食べさせてください!!