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さやけき星の夜遊び【解答編】

この記事の解答編です。
『さやけき星の夜遊び【68個のアーティスト名で作る実験小説】』
https://note.com/hitori_cough/n/na3d2863c41c6

夕焼けで真っ赤に染まった公園
校舎裏に落ちていたあやしげなポルノグラフィ
禁じ手めいた多数決の果てに、学級会で押し付けられた生き物係
百年ぶりの金環日食。夏。コーラ。

これはある女子高校生のちっぽけな思い出だ。
まあ、その高校生というのは私のことなんだけれど——ともかく、午前一時、静かに家を抜け出した私はそんなノスタルジーに浸っていた。

しぶしぶ引き受けた生き物係だって、やってみれば楽しくなるもので、飼育小屋のうさぎと触れ合ううちにすっかりその虜になった私は、両親にうさぎを飼って欲しいと泣きついたっけ。

難しい顔をしていた親も、私が寝言でまでそれを言うようになった頃に「躾ができる生き物なら」と条件付きで了承してくれ、知り合いの家で生まれたという日本スピッツの仔犬をもらってきた。ミーハーな父は、湘南の風の下で生まれたというその雄犬をサザンやジョニーと呼びがっていたけど、私は片目が不思議な色をしていた彼を、お気に入りのカフェの名前から取って西洋風にディーンと名付けた。

ディーンと散歩に行くのは楽しかった。
どんなに暑い夏の日でも、そのきれいな眼差しは凛として、蝉時雨の中を凄いスピードで駆けていくもんだから、私も一緒になって走った。夕立を降らせる雷雲に追い立てられるようにして、汗だくになって。
ただ、ディーンは何にでも興味を持つ子だったから、急に静かになったかと思えばカナブンを口にくわえていたりして、びっくりさせられたな。

私は夜気の中を歩く。
でもこれは昔の思い出だ。それこそ小学生とか、中学生の時の。

あの公園は市役所が「安全のため」と言って遊具のほとんどを撤去してしまったし、同じ理由で校門がきっちりと閉められたせいか、学校の敷地内で成人向けの本のバックナンバー雨ざらしになっていることも無くなった。

そしてディーンは、私が高校に上がる直前にあっけなく死んだ。あの子の綺麗な目は先天性の病気の裏返しだったということは、後から獣医さんに聞いた。

一緒にいられたのはたった三年だった。動かなくなったディーンのからだの冷たさを思い出すたびに胸に広がる苦味。十七歳になった今も、私はそれを引きずっている。

「あ、なつかしいな。リンゴジュース、小さい頃はよく飲んだっけ」

自販機の前で、誰に聞かせるでもなくそう言ってしまう。一人になりたくて深夜に出歩いているのに、私は誰かと話したいのだろうか。不思議なものだ。

季節は初夏に差し掛かっているとはいえ、真夜中はさすがに肌寒い。なんとなく小石を蹴飛ばしてみたら、住宅街の緩やかな下り坂をどこまでも転がり落ちて行った。私はそれをしばらく見つめたのち、長いため息を吐いた。

高校生活は、あまり面白くなかった。

二年間ずっと仲良しだったハルカとミユキは彼氏ができたとか言って遊んでくれなくなったし、ユイリサは上京してアーティストになるって意気込んで、二人で夢中になって路上ライブをしている。ジャンルはジャパニーズ・フォーク・メタルとか言っていたけど、聴きに行ったことがないからどんなものかは分からない。

一方の私といえば、休日は小遣い稼ぎにシネマスタッフのアルバイトをしてみたり、近所の水族館でずっと水玉模様のエイを眺めたり、ソールドアウトになったワンピースが復活しないかと買い物アプリの画面をちょこちょこ見たりするだけだ。

夢見る少女じゃいられない……という歳だけど、そもそも夢なんて大それたものは持ち合わせていなかった。二十代のうちから不労所得で暮らしたいとか、レベルの低い野望はあるけれど。

目的もなく進学するのは苦痛だ。かと言って社会に出るのも気が進まない。ニュースで見る限り、えらい人が「カラスは白い」と主張すれば、黒いカラスは真っ白になるという世界だから。
パワハラ、セクハラ、その他たくさんのハラスメントたち。窮鼠猫を噛むとは言うけれど、もし自分が鼠のように追い詰められたとして、噛み返すことはできるだろうか。

両親にそんな将来の不安を打ち明けたとき、二人は夕飯のししゃもを齧るのに夢中でまともに聞いてはくれなかった。ただ、口の端から、私の未熟を責める言葉が少し漏れただけだった。

それがつい数時間前の話で、うまく眠れなかった私はこうして深夜に外出しているのである。

夜はいい。冷たくて静謐。自分が苦しくても、辛くても、そんな心の弱さを見なかったようにその胸で抱いてくれる暗闇。グレイッシュブルーの雲の隙間から覗く、満点の星空。無数の星の中にあってはこの星の現在地も分からない。

緩やかな坂を下っていくと、小さな児童公園にたどり着いた。遊具の大半を撤去されてしまった、例の公園だ。私は唯一残された一対のブランコのうちの一つに腰掛けて、ゆっくりと地面を蹴る。

揺れる視界。
たとえば、模試でAAA評価をもらうことにどれほどの価値があるのだろうか。
きっと、大事なことなんだろうとは思う。でも、私は街道沿いのロイホで友達と勉強をしていたときも、目の前にあるひとつ16gのシロップを何個飲めば致死量になるかとか、そんなことばかり考えていた。

吊り下げ椅子が二十も三十も往復した頃、かすかに何かが聞こえた。話すような、囀るような、人の声。
これは……歌だ。光る街灯の下、人影が見える。

「やあ」

遠くから、その人影はゆっくりと近づいてきた。
私はブランコを漕いだまま。知っている人のような気がして不思議と怖くはなかった。

「こんな時間にどうしたんだい」

声の主は、若い男の人だった。
白いシャツに白いズボンを履いて、髪の毛まで白く染めている。心なしか、からだ全体もぼうっと白く光っているようだった。
彼は人懐っこい笑みを浮かべて立ち止まる。私もゆっくりとブランコを止めた。

「家出してきちゃった」

それから、私は堰を切ったように話し始めた。真夜中に知らない人、しかも男の人と話すなんて初めてだったけど、なぜかすんなりと喋れた。
最近よく眠れないこと。テレビのニュースがつまらないこと。好きなお菓子について。そして、やりたいことを見つけて頑張っている友達の話も。

「隣の芝生が青く見えるのは常。見比べたりするもんじゃないよ」

いつの間にか彼はとなりのブランコに座っていて、私の話をうんうんと聞いてくれている。

「でも、ずっと水の中でもがいているような、そんな気持ちがする」

そう吐露すると、彼は「水中、それは苦しいね」と眉をひそめてから、言葉を繋げた。

「こんな言葉がある。『私の死後、私の分子は地球と空に還る。分子は星からきたものであり、すなわち私は星なのだ』」

「どういうこと?」

「これはチャールズ・リンドバーグの言葉さ。ニューヨークからパリまで、人類初の単独飛行を成し遂げた男。あるいはガリレオ・ガリレイの言葉を引いてもいい。『哲学はわれわれの目の前にひろげられているこの巨大な書物、つまり宇宙に書かれている』あるいは、アレキサンドロス大王はどうかな——」

ブランコを少し揺らして、私は唸る。うーん。

「ちょっと壮大すぎてよく分からないよ」

歴史上の偉人たちの言葉は、きっと含蓄のあることなのだとは思うけど、現実の悩みに苦しんでいる一人一人へのメッセージにはならないような気がした。

「なるほどね」

それを話すと、彼はなぜか嬉しそうに笑う。

「じゃあこんなのはどうだろう」

私はこの男の人がふつうの人間じゃないことにうすうす気付いていたけれど、懐から取り出した物を見て、さすがに驚かずにはいられなかった。
それは真っ白なピストルだった。
思わずみじろぎすると、彼はピストルを人差し指と親指でつまんでプラプラとさせる。

「そんなに怖がらないで。特撮の道具だと思ってくれればいい。引き金を引いたって、9ミリパラベラム弾が飛び出すわけじゃない。このピストルから放たれる弾丸は、君の心の弱いところだけを撃ち抜くんだ。撃鉄を起こして、トリガーを引く。たったそれだけで君の人生は好転する」

彼の言葉はとても力強く、神秘的とさえ言える不思議な説得力があった。私は思わずピストルを受け取ろうと手を伸ばしたが、すんでのところで思いとどまる。

手を引っ込めた私を見て、彼はやはり、嬉しそうに笑うのだった。

「君が曖昧な哲学とか、短絡的な道具に頼ってしまうような人にならなくてよかった」

「でもこのままじゃ私、弱虫のままかもしれない。新しい場所に飛び込む勇気がほしい」

弱音を投げても、彼は笑みを崩さない。

「弱虫でもいいんだよ。最高にイカした弱虫になればいいんだから。臆病なヤツでもいい。気持ちのこもった臆病者の一撃は、君を軽んじる人をきっと叩きのめすだろうからね」

私はこくんと頷き、落としていた目線を上げる。

神はサイコロを振らない。出目を決めるのはいつだって自分だよ。さあ、立って」

ブランコから立ち上がり、くるりと一回転した彼のまっしろな髪からゆずのような香りがした。それは、むかし飼っていたあのスピッツ犬と同じ匂いだった。

彼は私の手をぎゅっと掴むと、ものすごいスピードで夜の中へと駆け出した。

街灯、ガードレール、住宅街、空、雲、星。すべての景色がアイスクリームみたいに溶け出してどんどん混ざり合っていく。自販機からは軽やかなパスピエが流れ、踏切がカンカンと鳴り響く。足元で星屑の爆竹がはじけたかと思えば、真上には大きな天文クジラ。夜の街をその影でのったりと覆い尽くし、綺羅星の波しぶきを私に浴びせる。

いつの間にか地平線には大きな満月が昇っていて、それを反射した彼の眼は左右で違うきらめきを放っていた。

「夜の闇を恐れる者がいるように、昼の光を恐れる者がいてもいいんだよ」

私たちは街を駆け抜けながら、ショーウィンドウに映った自分たちとジャンケンをする。勝ったり、負けたり、たまにあいこだったり。安全地帯を探し続けていた淋しい心を置いて、流星雨のパレードの中を突き進んでいく。アルデバランもシリウスもスピカもカノープスも混じり合って、小さな光のカプセルが私たちの周りを春のように駆け巡っていく。

彼に促されるまま、夜空の上でチャランポランなタンゴを踊った。神様から顰蹙買うくらいの、夜の本気ダンス

汗の代わりに、辛いとか寂しいとか、マイナス感情の粒をたくさん振りまいていく。彼は月の光を白い仮面に変えて、その粒にひとつずつ被せていった。午前2時の仮面舞踏会は開演と同時に終幕し、地平の果てでは二度目のビッグバンが始まろうとしていた。

「あの果てに行けば、もう帰ってこれないかもしれない。それでもいいのかい」

私は返事の代わりに、勢いよく夜空を蹴って飛び出した。
夜の帳を引き裂きながら彼の名前を呼ぶ。
彼は応えるように、天に大きく吠えた。

私は、私は。夜に駆けていく。

西へ、西へ。西の彼方へ。夜の明けないほうへ。世界の終わりから新しい地図を広げていこう。

彼の氷のように冷たい手を温かく感じながら、夜の闇に同じフレーズを何度も囁く。

ずっと真夜中でいいのに
ずっと真よ中でいいのにな。

叶わぬ夢だろうがなんだろうがかまわない。


それが、わたしのねがいごと。


それがわかっただけで、じゅうぶんだ。


わたしはわたしのうらがわから、よるしかいきられないいきものにかわつていつた。


しずむように、とけていくように。



(おしまい)




自己投資します……!なんて書くと嘘っぽいので、正直に言うと好きなだけアポロチョコを買います!!食べさせてください!!