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鎌倉にある上り坂の数は、なんと下り坂と全く同じ数らしいよ

友人にその話を聞いたときは、こんな偶然があるんだな、と思った。
上り坂と下り坂の数が同じという点では長崎が有名な街だけど、まさか鎌倉もだとは。

なんて。
ああ、ああ、分かってるさ、上り坂と下り坂の数が絶対同じなんてこと。
下から見たら上り坂だし、上から見たら下り坂だもんな。

俺はこういうくだらないことを思いついてはTwitterとかnoteに書こうとして、結局は下書きに残したまま埋没させていくんだ。

いま書いた上の数行とこれからの数十行は、そんな下書きを救済するためだけに存在している。

他の記事とは文体が全然違うし、一人称だってこの記事に限っては俺だ。
自分自身と話すようにただただキーボードをバチコンバチコンしてるだけだけど、あえて何も考えずに公開することにする。

そもそも俺はTwitterであれnoteであれ、なんとなく理路整然とした文章を書かなくちゃって、そんな義務感で書いてるんだよな。
もっと思いついたことをペシペシと綴って、なおかつそれがめちゃくちゃ面白かったら言うことないんだけど、そんな風に書けるとはあんまり思っていないわけだ。

だから自分の書いたことを一言一句チェックしながら記事を書いている。
まあ、そんなことしてると、当然とんでもない遅筆になるわけでさ。

一行進むのに5分くらいかかって、原稿用紙10枚分の文章に3日もかけたりするような超高燃費。

燃費が悪いものって普通はロマンじゃんか。
サスペンションの利いてないアメ車とか、電源ケーブルが切れたら数分しか動かなくなるような巨大ロボットとか。
いや、エヴァンゲリオンのことじゃないよ。
あれをロボットって言うと怒られるから。界隈に。

まあなんかそれとは話が違う気がするけど、置いといてさ。

自分の書いた文章は、気に入ってはいるよ。

丁寧に誤字脱字をチェックして、文章の構成も何度も見直して、分かりにくくなってないかをウンウン悩みながら書いてるんだから、自信を持って世に出せる文章には間違いない。

でもさ。

俺はそんな「おりこうさん」な文章を書きたいのか?

って疑問に思う時もある。

まあ、たしかに俺は小さい頃からおりこうさんだったよ。

幼稚園の入園面談で、動物図鑑を見せられて。
園長先生に「これはなんていう動物かな~?」って聞かれて、俺は迷いなく「クモザル」って答えたんだ。
でもこれは、別に動物に詳しかったわけじゃなくて、そのページの右下に「クモザル」って書いてあったから。

園長先生は驚いてたよ。
よくカタカナが読めるねって。

5歳とかだった俺は何の気なしに、書いたあるから読んだだけだ。
でも意外な反応をされた。
幼い俺は、どうにも戸惑った。

ちょっと経って、小さい脳みそで叩き出した結論がこれだ。

きっと、正しい答えは「おさるさん!」だったんだなってこと。

別に知識があるとかそんなことが「おりこうさん」じゃない。

大人の望む答えを出すこと。

それが「おりこうさん」。

その日以来、大人の顔色をうかがってばかりの人生を歩んできたような気がするんだよな。

文章もそうだ。
「おりこうさん」な文章を書くのは苦にならなかった。

現代文の試験でよくある「ここでの作者の考えを述べよ」的な設問は大得意で、「こんな答えが欲しいんでしょ?」なーんて大上段から思いながら、情景描写を読み解いて適当に書いたもんだ。

本当に作者が何を思ってたかなんか知らないよ。
自分でもいろいろと書くようになって、「腹減ったなあ」とか「家事やんなきゃなあ」とか、本心はきっとたぶんそんなことだよ。
ただの人間なんだから。

いや、本当はもっと大真面目に書いていたんだろうけどさ。俺なんかと一緒にするのは失礼ってもんだよな。
ちなみにこの記事について言えば、今は午前一時、サッポロ黒ラベルの350ml缶を開けようか悩みながら書いている。
作者たる俺の気持ちとしては「ローテーブルでパソコン作業するのも疲れるから、早く楽天で注文したデスクが届かないかな」とか「口内炎が痛いんだけど、イソジンでうがいしたらすぐ治るってマジ?でもイソジンって変な味するんじゃないの?なんか気が進まないなあ」とかそんなところだ。

こんなん当てられたら相当怖いぞ。
頭の中を覗かれている!!!って叫びながらきっと窓を蹴破る。

なんかそんな現代文の試験を揶揄したような問題文作ってみようかな。
「〇〇」に入る答えを選べ、とかで文脈を無視した単語を答えにするとか。

ああ、ああ、話が逸れる。
でもいいんだ、話が逸れるのが目的だから。
この記事で伝えたいことなんてないから。
この記事自体が目的で、自己目的化されたオブジェクトだから。
「おりこうさん」から脱してみるために、自分の頭の中をあえて整理せずにテキストに落とし込むだけの作業なんだから。

だからこの記事は俺の中では一種の実験小説、もとい、実験私小説なんだよ。言わば実験エッセイよ。

ああいや、そもそもエッセイって何語だ。
きっとまあフランス語なんだけどさ。
フランスなんて行ったこともない言葉に準拠した文章を書いているのか俺は。なんか悔しいなそれも。

てか、本当にフランスって存在するのかな。
この目で見たことがない場所って、実在してなくても分からなくない?
目で見たってそれが正しいフランスなのかは分からないけれどさ。

まあ何事もいくらでも疑うことはできるけど、どこかで信じないといけないんだよな。
だからきっとフランスはあるよ。エッフェル塔は屹立してる。凱旋門はただの門。門にもなってない門。
エッセイっていう言葉もある。この記事だってまごうことなきエッセイだ。

そう信じてる。疑うよりも信じる方が体力使わないから。

体力、体力と言えばさ。
以前、一人で源氏山に登ったことがある。

源氏山っていうのは、鎌倉にある山、というか小高い丘みたいなところだ。
ふらっと散歩するにはキツいけど、登山と呼ぶには大袈裟すぎる。
そんな場所。

季節はいつだったか。たぶん秋だ。
タイワンリスがそこら中にいて、それはもう珍しい光景ではなくて、それでもなんとなく秋の風物詩的にありがたがっていたのでたぶん秋だ。

整備されてないけもの道みたいなところをかき分けていって、落ち葉がガサガサいう音だけが耳に入って、滑って転びそうになりながら登った。
とくに頑健じゃない俺はかなり疲れた。

加えて、俺はその頃どうにも傷心だった。

当時付き合っていた彼女がいて、まあナンヤカンヤあってその人とは別れてしまったんだけど(そのナンヤカンヤってのが本当にとんでもないことだったんだけど)それは置いといて、ともかく俺はその人との付き合いについて悩み、そして精神をすり減らしていた。

簡単に言えば、うまくいってなかったのだ。
めちゃくちゃうまくいっていた時との落差は世界最高落差の滝であるギアナ高地のエンジェルフォールみたいな感じで、楽園だと思っていた世界が実はクローン人間によって管理されたディストピアだったかのような衝撃に突き動かされて、手ごろな近所の大自然である源氏山に行った。

人は疲れると自然のある所に行くから。
原始世界へのあこがれが本能に染み込んでいるから。

源氏山は空いていたので、すれ違う人もいない。
俺は思う存分、その傷心たる自分と向き合った。

まあ考えたって答えが出ることじゃなかった。
いまだって折り合いがついていないこともある。

でもこれを書きながら、やっぱり自分の「おりこうさん」なところが悪い結果を招いていたんだなと思う。

「いいやつ」演じ過ぎたかなって。
いや、俺は本当にいいやつなんだけど。さ。本当に。たぶん。



ん、いや、「おりこうさん」な文章になってきてるぞ俺。
このままじゃ「やっぱり上り坂があれば、下り坂もあるってことか。おっと!ついついタイトル回収してしまったね(笑)」なんて書きかねない。

ほとほと嫌気が差すな、この「いいこと書いてやろう」っていう下心。
いやらしい!!いやらしい!!

折り合いなんて今もついていないさ!!!

なんたってうちの押し入れには、その当時の彼女と一緒に選んだ結婚指輪が眠っているんだからな!!!!
ティファニーブルーを見るたびに俺の心はミッドナイトブルー!!!!

だれか良い質屋を紹介してくれ~~~!!!!!!!!
刻印ありでも高く買い取ってくれ~~~!!!!!!!!

とりあえず今回はこんなところで黒ラベル飲んで寝るぜ~~~~~~!!!!!!!

おやすみんしゃいしゃい!!!

自己投資します……!なんて書くと嘘っぽいので、正直に言うと好きなだけアポロチョコを買います!!食べさせてください!!