ひとりでいてもいい、誰かと一緒にいてもいい
もう何度もnoteに書いてきたことだけど、忘れないために、もう一度まとめておこうと思います。
僕はひとりでいることが好きだけれど、
必ずしもそうじゃない、ということ。
僕は多人数の場で疲れてしまう人間だけど、
必ずしもそうじゃない、ということ。
相変わらず内向型で、初対面の人の前だと、ものすごく自分を取り繕うけれど……それはそれで、人間として完璧なんです。
自分の欠けている部分は、他の誰かにとっての居場所です。
僕には、出来ないから。
そのおかげで、それを出来る他の誰かと、手を取り合える。
そう考えると、自分の欠点が愛おしく思えてきます。
「あれもやらないと…」
「これもやらないと…」
と、自分の穴を埋めようとする行為は、
他人の居場所を奪ってしまう。
最近は、そう考えるようになりました。
『そろそろ、ひとりでいることに固執しなくてもいいのかもしれない』
ひとりの時間を大切にするのは、ちゃんと理由があって。
たとえば、子どもの頃に嫌がらせを受けたり、辱めを受けたりして、人を信じられなくなったこと。
たとえば、親が「~しなさい!」「~しなきゃダメでしょ!」と、過干渉であったこと。
たとえば、人に優しさを向けようとして、空回りしてしまったこと。
生まれた瞬間から、ひとりぼっちだったわけではなくて、そういう小さな理由が積み重なり、ひとりでいることが多くなったのだと思います。
でも、何も恥じる必要なんてないし、
劣等感を感じる必要もないんですよね。
自分に対して、ちゃんと愛情を持っているから。
自分を大切にして、守りたいという想いがあったからこそ、ひとりでいることを選んだのだと思います。
「ひとりが好き」という気持ちにも、居場所が必要なんですよね。
だから、やっぱり、ひとりの時間は必要。
でも、誰かと一緒にいたい、誰かの役に立ちたい、
という想いも人間として必ずあって。
「そういう想いを無視してまで、ひとりでいる必要はないんだよ」
ということです。
学校や職場だと、「役に立ちたい」というより、
「役に立たなきゃ」
「気に入られなきゃ」
という思いが強くなります。
その人たちに対して、何の気持ちも湧いてないのに、役に立たないと居場所が無い。
気に入られないと、省かれる。
だから、頑張らないと。
そりゃ、クタクタになって当然ですよね。
繊細な人ほど「もう他人とは関わりたいくない」と感じて、
ひとりになります。
でも、そもそも、そんなのは居場所じゃないですよね。
お金のために自分を投げ出すような、そんな場所じゃ、
孤独になって当たり前です。
役に立てなくても、頑張らなくても、そこに居ていい。
ありのまま、そこに自分を置いてくれるから、
自然と「役に立ちたい」という想いが湧いてくる。
自分を偽ったら、何でもかんでも出来るようになってしまったら。
せっかくの居場所を奪ってしまう。
ありのまま自然体で「助けて」「これ、苦手なんだ」と言えるから、
それが出来る人の居場所を作ってあげられる。
「こんなの、誰でも出来る」と思っている自分の個性が、その人にとっては特別かもしれない。
「自分よりも得意な人がいる」と思っても、
その人には、あなたしかいないかもしれない。
だから、ひとりになってもいいし、ならなくてもいい。
ひとりになりたければ、なっていい。
一緒にいたければ、いていい。
お金とか役職とか資格とか、そういうことじゃなくて。
「役に立ちたい」と思える人と一緒に、居場所を作っていきたいですね。