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肉体を持ったまま魂で生きることの喜び

頭で考えることは大抵上手くいかない。だからあれこれ考えるな。これでもかってくらいに脱力して、すべてを魂に委ねろ。そうすればぜんぶ上手くいくから。

自分にそう言い聞かせる。でもこの言い聞かせているのがもう思考なんだから、もうすべてを委ねているわけではなくなっているわけで。


アヤワスカをやって魂の世界にいったとき、俺は本当の自分を思い出した。本当の自分とは「魂の自分」のこと。それは圧倒的な「愛」であり、歓喜そのものだった。

そう。
魂の本質とは「愛」であり、喜びなのだ。人はこの幸せを知るために生まれてきた。

その歓喜を味わうために、魂は苦しみを経験した。それまで魂は苦しみを知らなかったから。苦しみを知らなければ喜びも知りようがない。魂は光り輝く強大な愛であり、「闇」なんて概念すらもなかった。光しかないのならば、自分が光であることを知らない。愛しかなければ、愛がどういうものなのかを知らない。だからどうしても経験したかった。苦しみとはなんなのかを。闇とはなんなのかを。「自分」とはなんなのかを。

そして、魂は肉体を持ってこの世界に体験しにきた。自分が何者なのかを知るために。でも、この世界に生まれ、魂は自分を忘れてしまった。忘れないと経験できないから。自分が「愛」であり「喜び」だと知っていたら、苦しみを、絶望を体験できないから。それでは本当の自分を知ることはできない。魂は決心した。勇気を出して決心した。「本当の自分」を知るために。

そして肉体が自分だと思いこんだ。心を自分だと思いこんだ。
それから魂は、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた。魂はたくさん経験した。苦しみを、孤独を、絶望を。もういいいよ…もうこんな地獄はたくさんだ!

そして目覚めはやってくる。その反動ときたらとてつもない歓喜だ。
魂は苦しみを体験することで、絶望を体験することで、自分の輝きを知った。魂は、自分の素晴らしさを知って歓喜した。

その喜びようと言ったら、この世界にある言葉では表現できないほどの喜びだ。この世界の喜びをすべて足しても足りない!おもわず唸るほどの美味しい食事も、絶世の美女とのとろけるようなSEXも、愛する家族との楽しい時間も、使いきれないほどのお金を使ったこの世の贅沢すべても、ぜんぶ足してもぜんっっっぜん足りない!どんな言葉を使ってもこの歓喜を表現することはできない。

魂はようやく本当の自分を知ることができた。

「ありがとう」

感謝が溢れ出てきて、身体の奥の奥からでてきた言葉は「ありがとう」
「ありがとう…ありがとう…ありがとう…」魂から、この言葉が溢れてこぼれた。言おうとして言ったのではなく、文字通り溢れ出てきてきた。

この感謝を言葉で伝えきることは不可能だ。
でも、魂はこの言葉を選んだ。「ありがとう…ありがとう…ありがとう…」

魂は、愛だった。光だった。喜びだった。
「ありがとう」この感謝、伝わってるかな。思考が問いかける。でも、本当はわかってる。みんな本当は言葉を超えたところでつながっていることを。ちゃんと魂の叫びが伝わっていることを。

魂は、世界中の人にこのことを伝えたいと思った。この素晴らしさを、この喜びをみんなにも経験してほしいと願った。みんなが魂としての自分を思い出すことができれば、そうすればもうこの世界の問題はすべて解決する。この世界にもう苦しむ人はいなくなる。自分がずっと苦しみだと思っていたものは、「愛」でしかなかったのだから。そこには愛しかないのだから。

魂は体験したかった。色んなことを体験したかった。そのためには、自分だけでは体験できなかったんだ。自分のことは認識できないのだから。

でも、この身体が、「自分」を体験させてくれる。この思考が、「自分」を体験させてくれる。そして魂はそれを見ている。観測者として。あぁ、なんてありがたいんだろう。この身体がなかったらこの世界のことをなにも体験できなかった。この思考がなかったらこの世界のことをなにも体験できなかった。魂は、ずっと体験したかったことをしている。なんて素晴らしいんだろう。

みんな、本来の自分に戻るときが近づいている。夢から覚める時が近づいてきている。文字通り、人生は「夢」だったんだと気づくときが近づいている。1つの振動がどんどん共鳴していき、その波動が広がり、1つになる。

素晴らしい。


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