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世界で一番報われない仕事・・・・母業。それでも、ファッションだけは自分で選択できる

「自分が頑張ればなんとかなる」

努力すればなんでもできると思っていました。いじめだって克服できたし、大学だって塾に行かずに、自分で勉強して入りました。英語の論文だって読めるし卒論も先生に「専門外だけどごめんね」と言われつつアドバイスをもらいなんとか仕上げました。アルバイトや就職での接客業では、苦手なことでは相当怒られたけど、最終的にはどこでもお客さんに喜んでもらったり、表彰されたり、目に見える結果を出せました。お金も人脈もコネもなくたって、工夫してゼロから団体を立ち上げて服を作り、地域の人や他大まで巻き込んだ、大きな規模のショーだってできました。

そうして頑張れば頑張るほど、「すごいすごい」ってみんなが褒めてくれました。人付き合いは苦手だったけど、みんなが自分から近づいて来て、自分のことを認めてくれました。

へっぽこで弱虫で泣き虫なりに、ものすごく努力して結果を出してきました。どんなに苦手なことでも、なんでも頑張れば、私にはできるはずだと思っていました。やってできないことは何もないはずだと。


それが、子育てだけは、どうしても、なんともなりませんでした。

頑張れば頑張るほど、一人になり辛くなる。

子供を産んだらやって当たり前。子供は泣く。いうことを聞いてくれない。

3人の子供を立て続けに妊娠して出産したら、全く自分の時間は持てなくなりました。

3人が小さい赤ちゃんだった時は、みんな可愛いし人生最大のモテ期到来で嬉しかったし、ただただ幸せだったので、その後待ち受ける幼児期の子育ての大変さに、全く気づかなかったのです。



高校生の頃一緒に隣で自転車を漕いでいた夫は、勤務医になり、激務に耐え、活躍していました。同じ子供を育てているはずなのに、1年中オンコールと当直と学会とで飛び回り、家に帰ったら力尽きてしまい、来客中であってもすぐ寝てしまっていました。月に1度は、1週間のうち3回当直に入る週があり、そんな時は1週間ほとんど家にいませんでした。元気な時は子供を見てくれるし、家事もしてくれるけど、基本的には夫はいないものと考えていました。誰かの命がかかっていると思うと、一人で頑張るしかありませんでした。のちに転職を重ねて、少しずつ楽になるのですが、当時は全く休みなく働いていたのです。

半年〜1年おきに異動があるたびに、引越しのダンボール100箱ほど全て、一人で片付けました。子供3人の世話をしながら・・・


年子でいつも一緒に育てられていた弟も、ものすごく努力して日本を飛び出して、アメリカで研究者になりました。下の兄弟も海外に留学したり、誰もがそれぞれの人生を楽しんでいるようにみえました。高校大学の頃の友人も、世界中を飛び回ったり仕事で大成功していたり、活躍している様子がSNSを通して伝わってきます。ちゃんと昔語り合った夢を叶えているんだなぁ。。。。とても眩しかった。(正直なところ、今も毎日眩しいです。)



自分は一体何をやっているんだろう。何一つ叶えていない!


1日が3人の子供のオムツ替えで終わってしまう。

一生懸命育てていても、寝ない、食べない、泣く、地面に寝転ぶ、暴れる、逃げる、散らかす、病気になる、言葉が出ない、発達検査は引っかかる、、、3人合わせて育児の大変さ、おそらく育児書の内容全部コンプリートしています。育児のフルコースでした。

やられました


子供があまりにいうことを聞かないから、キッズスペースや公園でトラブルがおきないように、人のいない時間や場所を選んでいくけれど、帰りたくても帰れないので、3時間くらいぼーっとベンチに座っていました。

育児に悩んで図書館で育児書を借りたかったのに、子供が騒いでしまい、結局1冊も借りることができず、司書さんに注意されて退出しました。好きな本も読めなくなり、大好きな図書館にも行けなくなってしまいました。

子供が誰かに迷惑をかけてしまわないか、危険なことをしていないか、家の中でも外でも全神経を張り詰めて、ひたすら頭を下げ続ける日々。「すみません」「ごめんなさい」ひたすら謝り続けました。


東京に越してきたばかりで家族は近くに住んでおらず、信頼できる知り合いはいませんでした。子育て支援施設も母親が子供を見ることが基本で、一時預かりは抽選。予約は常にいっぱいでした。そもそも申し込みのための初めの手続きに行くことができずにいたので、私にとって気軽に子供を預けられる場所はありませんでした。やりたいことや行きたい場所は目の前にいっぱいあるのに、思うように動けないどころか、隣のコンビニにちょっと行くことすら、ものすごく大変でした。

幼稚園のバス停(5分で行ける距離)まで子供を連れていくのに1時間かかりました。1時間前に家から出るのに、幼稚園バスに間に合わなくて待たせてしまっていました。

2人乗りベビーカーでバスに乗ろうとしても、満員ばかりで乗車できませんでした。じゃあタクシーを拾おう、と頑張っても、タクシーは何台も止まってくれませんでした。あからさまな乗車拒否です。

仕方がないので、雨の日も風の日も5キロの道のりを4歳児を歩かせて、2人乗りベビーカーを押して歩きました。子供が飛び出さないように人のいないところを選んで歩いていたのに、すれ違う人に邪魔だ、と舌打ちされました。子供にはもちろん、ぎゃあぎゃあ泣かれました。

発達相談の場であまりのやつれっぷりに、ママご飯食べてる?と心配されました。料理は好きだったのに、子供に全部残されるから全然作る気になれず、マックや冷凍食品、あと、唯一全員が食べてくれるベビードーナツ(!)をテーブルに並べる日々。やつれているけど3人産んだお腹は痩せることなく、足もむくんでパンパンでした。

極めつけに、免疫力が落ちていました。人生2回目のおたふく風邪にかかったり、虫歯になったり、頭は常にぼーっとしていました。牡蠣に当たりました。謎の湿疹が出て目は腫れていて、笑おうにも顔がピリピリして笑えませんでした。美容院に行く時間もないので髪はボサボサでいつの間にか長くなってしまった、3人の授乳で服はヨレヨレ、体型は崩れお腹ぽっこり(かつ低身長)で着られる服もない!

銀座でヒールを履いてキラキラして、毎日いろんな人と話していた自分はどこへ・・・

ほとんどその頃の自分の写真はありませんが、おたふく風邪の記念に1枚とってありました泣


今まで何のために頑張ってきたんだろう。

自分の人生で今まで最大の壁、子育て。

自分がどんなに頑張っても結果が出ないで空回り。

子どもは思う通りになってくれない。

人生詰んだ!!!

心が完全にぽっきり折れていました。


そんな時、大学の友人の結婚式に呼ばれました。久しぶりに綺麗にメイクして、長かった髪をバッサリ切りました。ネット通販で海外から取り寄せて、新しいワンピースを買いました。友達の幸せそうな姿に元気をもらい、他人の作ってくれた美味しいごはんを食べました。子育てから少しだけ離れて、ちょっとその日は気分良く過ごせました。(子供3人を夫に預けて、長時間家を空けるのはほとんどないことでした。)
子育て以外に話すことのないつまらない自分が情けなかったけど、結婚式に呼んでもらえて本当に嬉しかったのです。


そして、義理の実家と一緒にハワイ旅行に行ったのも一つの転機でした。いつも休みなく働き詰めだった義両親と夫のスケジュールが奇跡的に合い、企画した子連れ海外旅行。義両親にとって初めての飛行機、海外旅行でとても気合いが入っていました。夫はまとまった休みを取るために、連続で昼夜働き、当直をこなしていました。私は子供がぐずらないように、おもちゃやらジュースやらお菓子やら、インターネットで下調べをし、入念に準備を重ねていました。前日はあまり眠れていませんでした。

いろんな搭乗手続きを終えホッとして、じゃあみんなトイレでも行ってこようかという時に、キッズスペースでトラブルが起きてしまい、すごく大変な目に遭ってしまったのです。子供が遊ぶつもりで他の子供に近づいた時に爪が当たって、ほんの少し、顔を傷つけてしまいました。親はその場にいなくて、私はその時一人で子供3人見ていて、泣く子を前に「大丈夫?」と尋ねたけれど、突然のことにオロオロしてしまい、脳内がフリーズ。うまく対応できませんでした。

誰か助けを呼ぼうとその場を離れかけたら、遠くから怒鳴り声が。父親が顔を真っ赤にして怒っていました。当然こちらが悪いので、「申し訳ありません」と平謝り。「逃げるのかよ!」絆創膏を近くの人にもらい貼って、救護室に一緒に行きましょうと言っても、相手は怒ったままなので聞いてもらえず。段々お金を払え!みたいな感じで怒鳴られ続け、カツアゲっぽくなり話が通じなくなりました。

最終的には航空会社の人に間に入ってもらい、連絡先をお互いに交換して、保険で対応することにして、相手がようやく諦めてくれた形でした。すぐに傷は消えることは夫が診てすぐわかっていたのですが(その場で言っても火に油、余計大変になりそうなので言わなかった)。3時間謝りつづけて、怒鳴られ続けて、解放されました・・・。げっそり。一部始終を見ていた掃除のおばちゃんが「大変だったね〜あれはないわ。」と慰めてくれました。

クレーム対応も仕事でしてきていて、何度も修羅場をくぐり抜けてきたはずなのに、全然今回はダメだった。もしかして、自分の服装が微妙だった?長時間のフライトのため、ピンクのチェックのオールインワン(フリル付き)に履き古した楽なスニーカーという出で立ちでした。黒髪の大人しそうな子連れの小さい女だから、なめられたのではないか?うっすら思いました。ちなみに、その後相手からの連絡はありませんでした。それは当然、子供はすぐケロッとして、ピンピンしてたもの。。。もしいま連絡があってもそれは完全な嘘。プロがその場で診ているので。即、警察に通報します。

飛行機に乗ってからは、航空会社の人も「大変でしたね」と慰めてくれ、笑顔で接してくれました。私は一連のやりとりで疲れ切っていたので気を失ったように寝てしまいました。旅先では、子供のことを家族みんなで見てくれてとても楽になりました。
ハワイで久しぶりに一人の時間をもらって、誰も気にすることなくショッピングに出かけました。行きにとても大変な思いをしたので、1枚の黒い綺麗なワンピースを買いました。大人っぽくて、シンプルで、楽に着られて、きちんと感があるもの。どこでも着回せるもの。海外のものなので、サイズ展開も豊富で、でもラインが美しくて、妊娠時の崩れてしまった体型を自然とカバーしてくれたのです。日本では決して見つけられなかった1枚でした。自分のために洋服を買う、それがこんなに贅沢なことだったとは!


そして、帰国後そのワンピースを着ている日は、道ゆく人みんなが親切にしてくれるのでした。不思議でした。


そして、私は気付きました。

いつまでもノーメイクによれよれの服ではいけない。しっかりしよう。

綺麗にしている日には、トラブルは起きないし、子供達にも優しく声をかけてもらえることが多い気がする。

ヒール…を履く筋力と余裕はないけど、せめて朝起きたらメイクして過ごそう。どんな時でも見られてる意識を持っていよう。

子供3人を育てるんだから、弱くなっていないで、自分がもっとしっかりしなくちゃ!!




そこからは、ママ友や地域の人にたくさん声をかけてもらえるようになりました。

自分がきちんとメイクと服装を意識しただけで、周りの人の反応はガラリと変わりました。


その後も意図せず騒音で迷惑をかけてしまい、苦情をもらってしまったことがありました。すぐ考えうる全ての対策をしましたが、何度目かの張り紙をされてしまった翌日の朝のことでした。幼稚園の送りの時に5人ぐらい、地域のおじちゃんおばちゃんたちが代わる代わる目の前に現れました。「これプレゼント」「飴ちゃんどうぞ」「これ老人ホームでリハビリに編んだんだけど」落ち込んでいる私を励ましてくれました。

いつの間にか、出かける先で飴ちゃんや小さなおもちゃ、どんぐりなどのちょっとしたものをもらうようになっていました。

横断歩道を毎日一緒にわたってくれるおじちゃんが現れました。まっすぐ横断歩道を渡ってくれない子供達には手を焼いていたので、本当に助かりました。子供たちを会うたびに我が子のように可愛がってくれるおじちゃんも。会うたびに「ママよく頑張っているわね」「すぐ大きくなるからね」「可愛いママさん」とニコニコ話しかけてくれるおばちゃんも。たくさん絵本をもらったり、果物やお菓子などの差し入れをもらったり、お手紙をもらったり、季節のカードを頂いたり。玄関先で泣いていたらひょっこり現れて声をかけてエレベーターまで連れて行ってもらったり。赤の他人である親子に、本当によくしてもらいました。

人がとにかくたくさんいる大都会、東京の中で、こんなにたくさんの人に助けてもらいながら子育てしている人は、私以外にいないのではないのでしょうか。いつの間にか、おじいちゃんおばあちゃんにママ友さん、幼稚園や学校、習い事の先生、美容師さんに歯医者さんに病院の先生、子育て支援センターの人たち…たくさんの人が子育てのサポートをしてくれて、とても楽に、楽しく子育てができるようになっていったのでした。本当に、もしこれを読むことがあったらお礼を言いたい。いつもありがとうございます!


でも私が変えたのはただ一つ。服を着て化粧を整え髪を切る。ファッションで周りの目を意識するようにした、必ず挨拶をする、ただそれだけでした。どんなに時間がなくても忙しくても、洋服は毎日着るものだから、少しずつ変えていけます。お金はそんなにかけていません。ママ友に教わった1000円で買える安いお店や、セールの80%オフのものから、授乳でヨレヨレになった服を捨て、少しずつファッションのリハビリを重ねていったのでした。






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