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4年目

僕にとっての大学4年目は人生の中でもとても大切な、意味のある時間だったなと思う。なのでこの思いを文字として残したい。

4年目の部活動を続けるきっかけをくれた先輩が1人いました。その瞬間は今でも覚えています。それは僕が一回生の時にみた団体戦の最終レース直後でした。

その方は四回生として大学を背負って試合に出る人で僕のような一回生からしたら神のような存在でした。飲み会でも盛り上げるのも上手く、性格は少しインキャみたいなところもあった気がしますがとてもかっこよく全てが尊敬できる先輩でした。


そう思ってました。
団体戦が終わりその先輩が目に涙を溜めている姿を見るまでは。

僕は不思議で仕方ありませんでした。どこかそれまで抱えていたものが解放されたような、まさに荷が降りたような表情に僕の目には映りました。

この涙は何なのだろうか。この答えを探す旅がその瞬間から始まりました。

それを忘れるかのような2年目、3年目の怒涛の忙しさ、出来事がありました。(また別で話そかな)


そして4年目に繋がる出来事の一つ。3回生の時の団体セレ。
四回生2人。3回生1人。2回生1人。1回生1人。
僕はメンバーにも入れませんでした。

頭をよぎったのが4年目の団体戦のこと。
このままじゃやばい。優勝目指すどころか入賞すらできるのかどうか。2回生1人、1回生1人。自分より速い人はいても3人目がいない。と言うか自分しかいない。
死ぬほど焦って
そこにモチベーションをもって
そこからの1年間は死ぬほど練習してた。

そして迎えた最初の大会、学生の日本代表選考会。遅すぎてかなり病みました。しかも自分の後輩は見事選出され、力の差を見せつけられた気分でした。それでも団体戦での心強さは感じてました。

そこからの後輩たちの成長ぶりはすごかったと思います。関西選手権でも優勝し、日々のレースや艇速練でも勝てないことも少なくない。自分がたくさん教えてきた分、その成長は素直に嬉しかった。

ただ、
それ以上に、
団体戦の3番手が自分である必要性を感じなくなる機会が増えました。

しかも自分より速い人は遠征に行ってしまい、半年間近くは1人で練習している気分。同期もメンズは1人しかおらず、なかなか性格も合わない。しまいには膝も怪我してしまう。言い訳なんか通用しない、言いたくもならない、そんな環境に焦って焦って焦ってた。


いつからかは忘れましたがその頃から過去の4回生の気持ちが少しわかるような気がしてきました。もしかしたらこんな気持ちだったのかな。僕が尊敬している人も含め歴代の先輩方もこういう思いを持ってたのかな。
そこで一回生の団体戦の時に抱いた感情が蘇って繋がった、そんな気がしました。

それもあって最後の団体戦までやりきれたのかなって今思う。

あの時の背中が今なら少しわかる気がする。


全ての環境、人、出会いが自分をここまで押し上げてくれた。

続けてよかった。

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