いつか私を奪い取れるまで
私は、西川美和監督の映画『ゆれる』を、「何ひとつ弟に敵わず何もかも奪われる兄が、唯一弟から奪い取れるものは『弟の敬愛する兄』である自分自身だった」というストーリーだと解釈している。
人から自分を奪い取るためには、人から愛されていたり、何か価値を感じられていないといけない。
そうじゃないと、居なくなって構わないやつが、居なくなっただけになってしまう。
私は、一方的な拒絶、という状況を、何度か経験したと思う。
それは、地下芸能かじりの仕事のせいだったり、見た目や性格や態度がキモかったりうざかったりするせいかも知れない。また、ただ単に時や場合など色々がマッチしなかっただけかも知れない。
(※村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には、一方的に突如突きつけられる拒絶と、トラウマに向き合うことが描かれているので、興味がある人はこちらもおすすめしたい。)
拒絶。
拒絶というキーワードはこの10年ほどにわたり、私の心中に深く根差している。
2歳から姉妹のように育った幼なじみとの絶交。
男性の愛情を得られなかったこと。
「知りたいとも思えない。君にいかなる興味もない」とはっきりと言われ、人間関係構築の土台にも立たせてもらえなかったこともあった。
大学の卒業時に自分が得たものは、正直、いくらかの役に立たない資格と、経歴と、嫌な思い出くらいだった。
大学にはいい人も尊敬できる人もたくさん居たのに、私の頑なな心は全ての光に対して感受性を閉ざした。
もっとも強く深く暗いものが、もっとも正しい求心力を持って私を導いているのだと信じていた。
だから闇の方にいつも頭を垂れていた。
あのとき、一刻も早く、価値観の外側に出れていたら、大学の内側でもなく、手持ちの人間関係でもなく、生活の2キロメートル圏内にあるものをすべて捨てる勇気と閃きがあれば、違う人生もあっただろう。
それが、今よりよいものかはわからないけれど。
大学生のとき、「ここじゃないどこかを探して、君じゃない誰かに出会い、今よりもっといい場所にいく」と、私と正反対の考えを持った男の子がすぐそばにいた。
私は彼が苦手だった。
彼を見ていると、自分がいっそうひどく惨めでつまらないものに思えた。とにかく自分が恥ずかしかった。
彼からすれば私は「出会いたい誰か」ではなかった。
そのことが、人間失格の印に思えた。
彼は、私が必死で縋り付いている希薄な身分や共同体や人間関係や心の拠り所を、呆気なく「くだらないもの」にできる脅威だった。
そして彼の考える「もっと素敵な場所、もっと素敵な誰か」は確実にいるんだと思えた。
私じゃない誰か、私みたいではない誰かであれば、彼を満足させられるのだろう。
それから数年後、彼は知らない人と結婚した。
大学を卒業するときに、苦し紛れに私が何を得たのか絞り出そうとした。仲良くしてくれる同性の友人が数人いた。グループラインに「私が大学生生活で得た1番の大切なものはみんなです」とクサいドラマみたいな文章を打った。
数分か、数時間かして、反応に困った友人たちからポツポツとスタンプが送られてきた。
私は、痛い、痛い、痛い女だ。
それから数年、もう誰とも連絡を取ってない。
感謝してる。楽しかった。いい友達ばかりだった。それぞれが自立していた。私に付き合ってくれてた。
私は誰からも、私を奪い取れない。
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