【短編】羊のメアリー
その女の子は私に向かって少しだけ口角を上げた。何かを言っていたのかもしれないが私には聞こえなかった。
歯に矯正器具をつけている。少し丸顔で子供にも大人にもみえる少し悲しげな表情をした女の子だ。そして、すぐに去って行った。去り際、私に手を振ったような気がした。
名前は知らないので、ここではメアリーと呼ぶことにしよう。それからメアリーは頭の片隅に居座り続けた。
「羊のメアリー」
こうやって呼ぶことが一番しっくりきた。
なぜなら、メアリーは毎晩眠りに落ちる瞬間に私の前に現れたからだ。
「おやすみ」
そう言われて私は眠りにつく。心地の良い声だった。
徐々にその数は増えていった。今では眠る前だけではない。
「おはよう」
「よい螟ゥ豌だね」
「ほら!邯コ鮗だね」
たまに意味のわからない音の羅列はあるが、あいも変わらず温かい声だった。
「おはよう遘√?襍縺繧?s」
「おやすみ遘√?襍縺繧?s」
意味のない羅列の中にはかなりの頻度で使われるものもあるが意味はわからなかった。
そんな日常はまた心地よく、それが続くにつれて私は不思議な暖かさを感じるようになった。
本物の何か。ここにはないけど向こうにはある何か。微かな本能の中の何か。
私はその時気がついたのだ。
あぁ、そうだったのか。
◇◇◇
そうして彼女は子を産んだ。
「おはよう、私の赤ちゃん」
彼女の矯正器具は外れていた。
さよなら羊のメアリー。
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