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両親が失ったもの、私が得たもの。

※たぶん、あとで後半を書き直すつもり。

子どもの頃の記憶として、宗教による実害は無かったのか?

はて?回想しながら思い起こす。

宗教によって、明らかに両親の仲は悪くなっていた。

おそらく私が4歳頃に入信。
弟と妹は2歳〜3歳の計算になる。

強烈に覚えているのは・・・

畳にしゃがんで父親を見上げている私。
父親は小柄な人だったが、恐ろしく大柄で赤くまだらな皮膚をした男に見えた。まだ、おしゃべりも拙い弟を天井くらいの高さに掲げて、畳に投げつける瞬間をみた。

私は、泣きわめいた。
投げつけられた弟もぎゃんぎゃん泣いていた。投げつけられた弟を急いで抱き寄せた母親と傍らでわけもわからず泣き叫ぶ妹。

地獄だ。

その場面は、くっきりと鮮明な輪郭を保ったまま記憶にこびりついている。

お酒に弱かった父は、すぐに酔い、まだらな赤い皮膚の怪物になった。

この頃の記憶として、階段を降りようとして背中から突然に蹴られ、転げ落ちた記憶もある。

この頃の両親のケンカの原因は、宗教だった。父親を入信させたい母親。勝手に子どもたちを入信させられていた父親。

なぜか、母親が手を挙げられている場面は記憶にはない。寝ていると口論の様子が聴こえてくることは多々あった。

親から子への暴力はすべて間違っているし、あってはならない。虐待に「あり」はない。

いつ許せたのか?
そもそも、許す、許せないといった判断があったのか?なかったのか?それすら、わからない。私が思い起こした、先に書いた場面に関して、もう過去のことになっている。

(仮に同じことを私のパートナーが子どもへしたなら、すぐに離婚するよね。)

しばらくすると母親が父親の入信を諦めてくれた感は、子どもながらにわかった。

ただ、明らかに両親の仲は悪くなっていた。
ささいなことが気に食わない者同士。
ぶつぶつ文句を言う母。面倒になり瞬間的に大声を出し、ひとりで出かける父。

そんな中でも、家族で居合わせる食事の時間。

小学生になっていた私は、父親と母親が何をきっかけに口論になるのか察知する能力が格段にあがっていた。

まさかの名もなきスキルアップ。

父親がご飯をよそったら、さりげなく炊飯器を確認しに行き、ご飯をなだらかにする。なだらかになっていないことが母親の目につかないうちに。

父親の食べ方を母親が注視しはじめたら、口論が始まる5秒前!すかさず「お母さん、今日のご飯美味しい!またつくってよ!」と甘えるタイミング。

食の細い弟がケンカの発端になることもあったので、ラスボスふたりの目を盗んで弟のご飯をこそっと減らしておく。

あ、今は「このお笑いの人、おもしろい!」の大声で父親の咀嚼音を消すタイミング!

あ、今は、なんてことない友だちのズッコケ話で和ませるタイミング!

長女の宿命か?
さながら家族団欒の総合演出。
戦闘を一歩手前で回避するスキルは、きっと学校では学べなかったと思う。

ちなみに、この食事の時間は私にとってはゲームのようなもので、やりきったときの充実感たらなかった。

一度、両親の気を逸らすためにテレビに注目させたとき。とんねるずがアダルトなコントをやっていて、「地獄の気まずさ!」な失敗もあったけど。

宗教が我が家に侵入してこなければ、父親がまだらな怪物になることもなかったし、母親がぶつぶつ文句おばさんになることもなかった。私も、目の前の夕食を好きなタイミングで、何も気にせず食べていられたのかもしれない。

大人は頼れるけれど不完全なものなのだ。

不完全さを子どもに押し付けるのは違うし、何度も書くが虐待は容認してはならない。子どもは大人の用意した環境で生きているから。

でも、紆余曲折を経て「今」私が幸せに生きていられるのは事実なのだ。

過去にあったいくつかのエピソードを別にたいしたことではなかったと思えているのは、その何倍もの質量で愛されていた記憶が残っているせいかもしれない。

父親も母親も善人だ。
幸せな家庭を築こうと何かに抗いながら、必死に生きてきた人たちだ。

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