必要を満たすのは親じゃなくてもいい。
昭和58年〜59年頃。
たぶん2歳〜3歳弱の頃の私の記憶。(私は記憶力が良い方だけど、母から聞いた話が自分の体験目線で定着している可能性もある)
母は、産まれたばかりの双子の育児(弟と妹)に悪戦苦闘していたようで、我が家から私のぐずる声や母の大声が聞こえると隣に住むしおださん(仮名)は意気揚々とやってきた。
日中、玄関のドアに鍵はかかっておらず、「ほら〜おばちゃんち行くよ〜あそびに行こう〜」とやってきて、母に何時には帰ってくるからとか、夕飯も食べさせちゃっていい?とか手短に確認して、私だけを連れ出してくれていた。
まんまるでぽかぽかで、にこにこしているしおださん。
しおださんちには優しい無口なおじちゃんもいて、子どもの居ないご夫婦だった。
私はそのまま、しおださんちで夕飯を食べたり、お風呂に入ったり、我が家のように安心して過ごしていた。
しおださんが買ってくれたピンクのパジャマが置いてあった記憶もある。
我が家では宗教的な理由で連れて行って貰えなかったお寺や神社にもよく連れて行ってもらえた。しおださんには、我が家の宗教観を否定するつもりはなく、ただ、しおださんの大切にしていることや、私が喜びそうなことを選んでくれたのだと思う。
参拝の仕方や、お菓子を撒く行事(あれはなんというのかな)など。体験したことのないことばかりで、楽しい記憶しかなく、叱られたことや、怖い顔をしているしおださんの顔は記憶にない。
自分で靴を履く、元気に笑う、手を繋いで歩く、そういう、普段していて当たり前なことをひとつひとつ褒めてもらい、喜ばれ、いつも満たされていたように思う。
子育てには物理的に人の手が必要で、子どもたちの周りには善意ある大人が複数いることが子どもの利益だと思う。
とは言え、わが家の方針、わが家のやり方は大切なことで、各家庭ごとに譲れないポイントはいくつかあるはず。
例えば、私は宗教が違うから神社の鳥居はくぐってはいけないものだと母に教えられていた。今思うとなんという失礼な話(笑)だから、しおださんに神社に連れて行ってもらったときに困って、母から言われたことを話した。すると「そうなの?私が神様だったら、表から元気に入ってきてくれる子がいると嬉しい気持ちになるわよ〜」とやさしく教えてくれた。その顔を見て安心したのを覚えている。
後ろめたさみたいなものが消えたのだと思う。鳥居を前にこわばっていた足は、ふっと軽くなったのだから。
様々な価値観に触れるということが、子どもを楽にしてくれる。そして子どもは、ちゃんと選ぶ。
信頼できる大人の言うことが、その時々で腑に落ちればいいのではないか?と思う。
ちなみに、母に鳥居をくぐったことは言わなかった。母の気持ちをざわつかせたくなかったのと、しおださんと母の関係がへんになったら嫌だな・・・と頭を過ぎったのだろう。そのくらいのことは考えられるのだ。
その期間がどれくらいだったか?正確にはわからないが、しおださんがくるのを待たず「しおださんちいってくる〜」と自分から出かけていたっけ。
幼稚園に入るまでの記憶だ。
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我が家も、救急車を呼ぶことになった夜に隣の人が子どもを一晩預かるよと声をかけてくれたり、小学生になったばかりの長男が私の留守に帰宅してしまい、それに気づいたご近所さんが、帰宅するまで預かってくれたり、出産直後には地域のゴミ当番を我が家以外のみなさんで引き受けてくださっていたり・・・
生きていたら時々起こる「困った!」自体に、たまたま居合わせた隣の人が手を差し伸べてくれる。
本当に何度も助けられている。
本当に感謝してもしきれない。
そういうやさしさや、隣人とのコミュニケーション、大人のふるまいを子どもたちがよく見ている。
「大丈夫です」と断って、ひとりで奮闘するのか?「ありがとう!」と善意を受け取るのか?は、その人次第だし、他人との距離感は令和になってさらに変化しているのも重々承知。(昭和後期の話なんて、もはや、にっぽん昔ばなしか!?それも知らんか?)
ただ、自分ひとりでなんとかしようとする人を増やすのではなくて、誰かがいるからなんとかなると思える人が増えたら、世界はもっと誰にとっても生きやすいと思う。
不完全さを補い合える距離にいて、どう人と付き合おうか。
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