夢は共感すると叶う
執筆日:11月11日
今日は「ポッキー・プリッツの日!」
というのはグリコの戦略で、本当は何気ない金曜日である。
ポッキーまじ美味。
と言ってもぞろ目の日。
「何かいいことが起こりそう」とか、「運気良さそうだな」と思うものである。
スピリチュアル的にはいい日らしい。
こうゆう話は傾倒するのも拒否するのもよろしくない。
参考程度に聞いといて、気が向いたらやればいいし、思い出してからやっても遅くは無い。
夢が叶う「夢投げ」というもの。
やること自体は簡単で、最高の未来を思い起こしてその時の自分の感情を感じること。
「感じたことが現実になる」
「俳優になりたい!」と夢を掲げても「有名になったらいろいろ大変そう」という、ネガティブな感情があれば叶わない。
逆にどんな無理な夢でも、その夢に対して「ワクワク」や「楽しみ」という、ポジティブな感情があれば叶う。
貧乏生活から大企業の社長になったって人がいるのは、そうゆうことなんだろうな。
じゃあ、どんな夢を見ればポジティブな感情が出てくるか。
答えは共感である。
自分の夢に対して、「それいいね!」「楽しそうだね!」と共感できること。
反対にネガティブな感情も共感によって生まれてくる。
夢に対して、「そんなのできっこないよ」「大変そうだよ」と共感することで、その夢にネガティブな感情が付いてきて叶わなくなる。
例えば人間関係。
ポジティブな人の周りにはポジティブな人が集まり、ネガティブな人の周りにはネガティブな人が集まる。
どちらも「共感」によって自分の感情の正当性を感じ、安心を得ようとしてる。
誰かの悪口を言って「私もそう思ってた」と言われると安心する。
自分のビジョンを語って「めっちゃいいね。実は僕もこれがしたくて・・・」と言われると安堵する。
どっちも共感である。
あとはその共感を、しっかり論理立てていくことである。
ポジティブな共感を得るにしても「俳優になりたい」という夢単体では共感は得にくい。
「なぜそう思ったのか」「どんな俳優になりたいのか」などなど、深掘っていくことで自分の夢に自分で共感することができるし、人の共感も得やすくなる。
「人の共感なんか得なくていい」と思う人もいるけど、人の応援って力になる。
僕のnote活動だって、最初は「自分のために」と書き続けてきたけど、最近は「スキ」をもらえる嬉しさだったり、コメントを読むのが楽しみだったりと、「人の応援」あってのnote活動だと感じている。
自分の人となりや思考、ビジョンを少しずつでいいから語っていって、共感をもらい応援してもらうこと。
ほんとに少しずつでいいから表現していく。
それが共感を論理立てるってこと。
これはネガティブな時も同じ。
そのネガティブ感情をそのまま出せば、ネガティブな人が集まってくる。
それでいいならいいけど、僕はイジりと悪口の境をキッチリしたい。
イジりによって笑いが生まれて、相手の気づきになるなら万々歳。
だけど、悪口はその人の人格否定をしてる場合が多い。
「星野源好きなの?あんな普通の顔はテレビ出るべきじゃないよね」ってのは実際言われたこと。
「好み」はその人を表す一部で変えられるものじゃない。
それを否定されてしまうととても傷つくんよね。
今なら「本人に直接言えよ。で、言えたらすぐ連絡して」みたいな返しができるけど、多少のダメージはある。
その表現で共感し合っても生まれる感情はネガティブである。
超ポジティブ人間ならそんなのへっちゃらだけど、世の中そんな人がたくさんいるわけじゃない。
ネガティブな感情からポジティブを生む論理を作る。
これが理想だけどそんな超人を作るより、ポジティブからポジティブを生み出してもらった方が遙かに楽で最短だ。
世の中がネガティブであることも多々ある人生で、僕の表現の前では「おもしろい」とか「楽しい」というポジティブな感情を持って欲しい。
そしてその感情をどんな手段でもいいから表現してくれ。
その表現が僕の届かないところまで届くように協力して欲しい。
そんな巡りを作ることができたら、どんなに幸せだろね。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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