「頑張る」「頑張らない」について最新の見解を述べる
執筆日:11月20日
半年ほど前に「頑張らない!」って発信をしたことがある。
意図としては、
嫌なことをする
嫌いな人に会う
楽しくないことをやる
そんなことのために頑張る人が多いから「頑張らない」で「楽しいことだけしようよ」というメッセージを伝えるために言っていた。
「頑張る」って言葉を普段、何気なく使ってるでしょ。
人の行動や習慣は普段使っている言葉から作られるから、気にせず使っていると、いつの間にか潜在意識に組み込まれていて、何でも「頑張る」体質になってしまう。
そしてそれは伝播する。
人の応援をする時「頑張れ!」って言うでしょ。
スポーツの試合で「あと一点」みたいな場面なら合ってる言葉なんだけど、楽しんでる人にも「頑張ってね」って言うでしょ。
ほんとに意識せず使いすぎ。
だから「頑張る」と「我慢」を混同して辛い思いをする人が多い。
頑張らない、楽しむ。
そんな発信をしてから半年後の今は、これに対してどう思ってるか。
答えはそんなに変わらない。
だけど、「頑張る」の意味を再認識した気がする。
半年前の「頑張る」は、辛いことでも我慢して頑張る。
そんな認識をしていたのは最初に書いた。
そこから「頑張らない」「楽しむ」の方向にシフト。
といっても完全排除は難しい。
学校に行く時は満員電車に乗るし、バイト先で嫌な思いをすることもある。
だからこうゆう局所的なところで見るのでは無く、全体的に見て判断をする。
学校は行ってしまえば楽しい。
満員電車だって人間観察のいい機会だからnoteのネタを収集させてもらってる。
バイトだって基本的に皆さん優しいし、お金も稼げる。
あとnoteのネタになる。
全体評価としては「楽しいこと」に入る。
そんな感じで「頑張らない」「楽しむ」マインドで生活してた。
とても楽しい。
そう感じてたのは最初だけ。
その楽しさはだんだん慣れに変わり、楽になった。
楽だ。しかし刺激はない。
そこで「頑張る」が必要なんだよね。
さっき「全体評価」の話をしたけど、これは冷静だからできること。
怒られてる最中に「その人のいいところ」を浮かべるのが難しいように、辛い時に「楽しさ」を感じるのは難しいのだ。
だけど結果は知っている。
楽しいのだ。
そんな時が頑張り時。
僕だってnote活動楽しんでやってるよ。
だけど毎日それが続くわけじゃない。
ネタが浮かんで来ない時もあるし、上手く文章にできない時もある。
そんな辛い状況の時に頑張るのだ。
最初の「頑張る」と似たようなことを言っているけど全然違う。
皆の「頑張る」は、辛いことを我慢してやること。
僕の「頑張る」は、楽しいの中にある辛いをやり抜くこと。
前提が違うのだ。
辛いことからは逃げてもいい。
だけど楽しいことを頑張らないのは、ただの怠けである。
人にいいところと悪いところがあるように、楽しいことにも辛いことがあるのだ。
楽しいことを「楽しい」と思えるように頑張ること。
やはり両天秤。
中庸の考え方だね。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。スキやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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