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もしも奇跡が欲しければ、無邪気に信じてみたらいいかも


いつの間にか、昨日と同じ明日が来ると、ただなんとなく思うようになっていた。
明日、人生が、運命が変わる可能性って、ゼロじゃないのに。

未確認生物を探す番組に子供が夢中

さっきテレビで、「未確認巨大生物アスワンを探せ!」みたいなのをやってて、うちの上の子(小2)が目を輝かせながら見てたんです。

私は夕食の片付けが遅くなっていてバタバタしていたんですが、
「ママ!見て!アスワンだよ!」
と、何度も何度もテレビの前に呼び出され。

行かないと、
「だってアスワン見つかるかもしれないんだよ!一緒にテレビみたい!」
と怒り出す始末。

いや、こちとら忙しいんだけど...

今、巨大生物とか、正直どうでもいいんですけど...


私が「こういうのはどうせ見つからないんだよ...?」と言って片付けに戻ろうとしても、「違うよ!見つかったって言ってるもん!」と上の子。


結局最後まで見たけど、未確認巨大生物は案の定見つかりませんでした。


ちなみに上の子、なんでもママと一緒にテレビを見たいお年頃のようで。

その後も「見て!ジャパネットタカタだよ!」
とか、「見て!UFOだって!早く来て!」

と、たびたびテレビの前に呼び出されたのでした。


なぜ未確認生物に心惹かれるのか

でも私も、子供の頃はそういうの好きでした。
ネッシーとか、ツチノコとか、徳川埋蔵金とか。

そういうのを目を輝かせて見ていたけれど、確か親は「どうせ見つからないんだよ...」と冷めた目で見ていた記憶があります。


まさにさっきのデジャヴ。


同じことを繰り返しているんですね...。


でも、子どもがなんだそういうのに惹かれるんだろう、って考えました。


きっと,「見たことのないものを無邪気に信じられるから」なんじゃないかな、と思いました。


いつだって、奇跡が起きる可能性はゼロじゃない

大人になった今、ツチノコもネッシーも、おそらく居ないんだろうなと思っています。

でも、よく考えたら、ほとんど誰も見たことがないだけで、いる可能性はゼロじゃない。


一体いつから、「大多数の人が見たことないから」っていう理由だけで、「もしかしたらいるかもしれないもの」を信じなくなったのだろう、と思いました。


私たち大人って、あまりにも、信じられなくなったものが多すぎるんじゃないかと思うんです。


例えば、三日後に、何か信じられないような奇跡が起きる可能性だってゼロじゃないのに。


私たちって、なんとなく、ただなんとなく、
今日も明日と明後日も、昨日と同じような日が続くって思っていませんか。


もしかしたら、明日ドバイでセレブ暮らし始めるかもしれないし、
もしかしたら、明日宝くじが当たるかもしれない。

明日いきなり、12年前にタイムリープするかもしれないし、謎の宇宙生物と魔法少女になる契約交わすかもしれないし、空から飛行石光らせた少女が降ってくるかもしれない。


どれも可能性はゼロじゃないんです。


人生を変えるような運命の出会いがあるかもしれないし、
今まで抱えていた問題が一気に解決するかもしれない。


きっと三日もあれば、人の運命って変わると思う


だけどその、明々後日に変わっているかもしれない自分の運命を、奇跡を、どれだけ無邪気に信じていられるのだろうか、って思います。


どんな運命でも、奇跡でも、きっと信じていた方が起きやすいし、引き寄せの法則だってあると思います。


もしもみんなが信じていたら、もしかしたら、巨大生物アスワンも、ツチノコも、ネッシーも、姿を見せてくれるのかもしれない。


もしも奇跡を起こしたいなら、人生変わって欲しいなら。
そのことを、子どもみたいに、ただ無邪気に信じてみてもいいんじゃないかな、って思うんです。


少なくとも、可能性はゼロじゃない、って思っていたらいいんじゃないかと。


信じるだけなら、タダじゃないですか。
しかも、なんだかワクワクするじゃないですか。


どうせだったら、より「素敵」な人生を選びたい。

奇跡は起きるかも、って信じてる人生の方がきっと楽しくて「素敵」にいられるんじゃないかな。

そんな気がしました。

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