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コロナやウクライナで「カフェで作業できる日常の幸せ」を強く認識

 高校生の時くらいから、勉強やレポート書きや、時に仕事を、カフェやファーストフードやファミレスでやるーは、私にとって日常の習慣だった。東京の都心で育ったこともあったが、家と学校以外の場は、自然に私の生活の一部になっていた。全く音のない図書館よりも、少しざわざわした人の気配や話を聞きながらの方が集中できる、そうした感覚がいつの間にか着いたのだと思う。大学の卒論も、大学近くの喫茶店で書いていた記憶がある。

 コロナになって、スタバを含めてカフェでの作業が難しくなった。一時休業、テイクアウトだけ、営業時間の短縮と、カフェに依存していた身としては、非常にこたえた。こうしたThird Place, 自宅と仕事場以外の場が、自分の生活にとって大切なのか、身にしみて感じた。当たり前の日常の一部だと思って居たことの重要性を、再認識した。

 ウクライナの人にとって、現在の状況は、本当に日常の全てをとりあげられたつらさなのだと思う。
 ライフラインと言われる、電気やガス、水道がある、お店にいけば食べ物が買える、命の心配などせずに夜ぐっすり眠れる。カフェくらいのことで文句いうレベルでなく、当たり前だと思って居た日常が、突然に消えているのだと思う。想像するだけで心が痛い。

 今、無糖コーヒーが好きな上島珈琲でこのNoteを書いている。外は春らしい天気で、穏やにゆっくりと歩いている人が多い。こんな風景や時間を失っていく方々が今沢山いらっしゃるのだと、感じた。
 身近にある殆どのことは、一瞬にして失う可能性のある、平和や健康な世界が前提の、実は脆い前提の上に成り立っている。今自分の日常の時間や体験の貴重さを認識し、その幸せを感謝して味わいたいと思った。
(3/15/22)

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いばひとみ
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