世界一周中最も感動した話inアタカマ砂漠
2018年は、人生で一番感動した1年間だった。
世界一周し初めての体験が日々起こる中、私は目まぐるしい感動を享受していた。
時代や距離を超えて過去の人が残したものを見ることが出来ているんだ、と感じたカンボジアのアンコールワット。
人間の想像している夢のような世界は実際どこかに作られているんだ、と感じたギリシャのサントリーニ島ミコノス島。
小さい頃からずっと夢見ていた場所にやっとたどり着けたのだ、と感じたペルーのマチュピチュ。
人間の性に対する神秘は時代や国を超えても共通しているんだ、と感じたインドのカジュラホ。
沢山の感動体験の中で、私が人生の中でも指折りの感動体験になるのではないか、と感じる最も心を揺さぶられたのは、チリにあるアタカマ砂漠だ。
アタカマ砂漠といえば、世界一綺麗な星空が見れる事で有名なチリのアンデス山脈と太平洋の間にある砂漠。
あの時の感覚は、世界一周中に感じた感動の中でも一番。今でも思い出すだけで、ぎゅっと胸が締め付けられる。
写真ではあの素晴らしさが殆ど分からないのが悔しい。カメラには到底収めきれなかった。
ウユニからアタカマ砂漠へ
2018年2月18日に出発しアジア、ヨーロッパ、北米、南米を経て、旅も終わりがけの1月。
アタカマ砂漠に行くことになったのは本当に偶然だった。ウユニに到着したその日の夜、たまたま天候が好条件に恵まれてウユニ塩湖の絶景が観れたのだ。
絶景の鏡張りを見るため、万が一悪天候が続いても良いように、ゆとりを持った日程を組んでいたため、日にちに余白ができた。
そんな時だった。
アタカマ砂漠に行かないかと誘われたのは。
ウユニからアタカマ砂漠に1泊で行くツアーがあり、とある日本人が一緒に行けるメンバーを探していたのだ。
ちょうど良い、と思い私はその誘いに乗った。
ウユニは日本人に人気スポットのため、日本人向けの旅行会社もあり日本人が多い。特に日本人は鏡張りの雨季を好むため、1月のウユニの日本人向けツアー会社には多くの日本人がいた。それまで日本人がいないような地を1人で旅することも多かったため、地球のほぼ裏側に10人ほどの日本人が同じ空間にいた時は、新鮮な気持ちになった。
当日揃ったのは6人。アタカマ砂漠に行くまでバンに揺られた。日本では見る事ができない絶景を見て楽しんだ。
アタカマ砂漠
いよいよ夜。風呂はなく寝床だけが用意された簡易的な小屋を出た瞬間に、星たちが私を出迎えた。
「沢山星が見える」なんて表現じゃなくて、
「空に星がこぼれている」と表現する方がふさわしかった。
有名な星や星座を、目を凝らして見ていた私にとっては、星空のイメージさえ変えてしまうものだった。
昼は明るくて夜は暗い、という当たり前の感覚さえ失った。
だって、目の前には幾千分の星が輝いている。
これまでずっと空だと思っていたものが、姿を変えた。
宇宙になった。
私が見ているのは、宇宙だった。
目の前に広がるのは、宇宙だった。
宇宙は遠くにあるという感覚も失った。
私がいるここが宇宙なのだ。
私は宇宙の一部なのだ。
その時、私が自分が生まれたのは日本ではなく、地球ではなく、宇宙なのだ、という感覚になった。
この宇宙には数えきれない程多くの星があって、たまたま私はこの地球という星に生まれ、たまたま日本に生まれ、佐野家に生まれたのだ、と感じた。
世界各地を周って、地球を広大だと感じていた。
けれど、あれほどまでに広いと思っていた地球さえ、数多の星の前では小さくなった。宇宙の広さや大きさを前にしたら、一瞬で小さくなってしまった。
私はなんと小さな存在なんだろう。
私の身に起こっていることなど、宇宙単位で考えた時、見過ごされてしまうくらいには小さなものになった。
星空は、宇宙の空間的な大きさだけでなく、歴史的な長さを感じさせた。
138億年も続く宇宙の壮大な歴史の中、確かに今私はここに存在している。
自分がここで生きていることが不思議に思えた。生命とは、「生きる」とは、生命体とは、一体何なのだろう。
なぜ宇宙は生まれ、どう宇宙は誕生したんだろう。
そんな事は考えても全然分からなかった。
でも、確かに言える事。
それは、西暦1996年この宇宙にはなかったものが、1997年には生まれて、今も尚存在しているという事。
無が有となり自分が存在しているのだ、ということ。
生命は確かに作られ滅びていくんだということ。
誕生と消滅が宇宙では繰り返されているんだということ。
そのとき感じたのは、生命に対する喜びを含めた、宇宙やこの世界に対する神秘だった。
感動とは、心を揺さぶること。
その経験をもとに、新たな感情や価値観が生まれること。
この体験は、紛れもなく感動体験だった。
私はこれからも、この宇宙から絶対に切り離されることなく生きていく。
いつ滅ぶかなんて分からないけれど、何が起こるかなんて分からないけれど。
それでも私は、生きていく。