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何となく南極気分(乗船まで)

10月末から2ヶ月働いた短期のバイトも、そろそろ終わりに近づいている。今日は日記は休み、バックパッカーをしていた頃の旅の話を書こうと思う。

南極へ行ったのは2005年のことで、少々記憶も薄れており、記憶違いのこともあるかもしれないが、取り敢えず書き出してみることにする。

研究者でもなく、料理人でもなく、文豪でも大金持ちでもない一旅行者が、南極へ行けると知ったのは、1999年中近東を旅行中に、シリアの宿で泊まり合わせたバックパッカーから聞いた時だった。南米アルゼンチンの最南端の町から、南極行きのクルーズツアーの船が出ており、その町の旅行代理店でツアーの申し込みができると知ったのだった。

アルゼンチン…どうもピンとこなかった。そのとき私たち夫婦は中東を旅しており、その後中欧へ行く予定で、中南米はまだまだ先。行くのか行かないのかも分からない場所で、あまり現実味がなかった。そのころ中南米は、今よりも治安が悪かったこともあるが、旅行をするための情報も多くはなかった。当時、インターネットの情報は無いに等しかったし、ガイドブックで読むことがほぼ全てだった。
それでも、南極の話を聞いてからは、中南米へ行くときは南極も含まれている事が現実味を帯びてきた。

ウシュアイア
ウシュアイアから南極まで、約1000キロ

その6年後に南極へ行ったのだが、その頃には、ネットの情報も少しは増えていた。ブログ全盛期の頃だ。
まずはアルゼンチン最南端の港町ウシュアイアへ向かった。南極ツアーを取り扱う旅行代理店が数軒あり、ツアー出発の数日前になるとツアー価格が下がるのだが、あまり待ちすぎるとチケットが無くなるため、ある程度で手を打たなければならない。

ウシュアイア 
最南端と聞いて想像するような、うらぶれ感はない

代理店の人が、2名分のチケットが取れそうだと教えてくれた。値段は1人2,000ドル…2,200だったかも?日本円で25万円くらい(チップは別)だったと思う。今から思えば破格だ。
期間は10日という事だったが実質ほぼ8日間で、船での往復に4日、中4日だ。この中4日の間、南極エリアを船でクルーズし、1日2回のランディング(南極への上陸)が予定されていた。

と言ってもそんなに細かなことは、申込時点ではよく知らなかった。私たちは南米に入ってまだ数日しか経っておらず、スペイン語が全く分からなかったのだ。ツアーに申し込むのが精一杯で、船の大きさや、設備、どんな経路なのかなど細かく聞けず、南極ツアーに申込んだのだった。

運よく(本当に運だけで旅をしていた)買ったチケットは、100人乗りのほどよい大きさの船だった。南極にホテルはないので、南極で寝泊まりするわけではなく船でクルーズをしながら、上陸する時は10人乗りほどのゾディアック・ボート(エンジン付きのゴムボート)で大陸と船を行き来する。

ゾディアック・ボート

上陸は1回100人まで、2時間以内、動物との距離は5メートル以上を保つ、という感じで(この辺りの記憶は曖昧)環境保護のための規約があった。100人乗りの船なら一度に全員が上陸できる。それ以上乗客が多いと、上陸がない船もあったし(クルーズして船から見るだけ)、逆に小さい船では揺れが大きくなってしまう。

ちなみに、格式高い豪華客船で行くとドレスコードがあり、正装を着ないと部屋から出られない。要するにディナーが食べられないという事になる。日本人には殆ど馴染みがないと思うが、イブニングドレスが必要だ。日本では結婚式の披露宴に招待されてもドレスまでは着ない。本格的なドレスコードが必要になる人生の人は、日本では少ないのではなかろうか。庶民には想像もつかないので、もしかしたら頻繁にイブニングドレスを着ている人もいるのかもしれないが…。ピアノコンサートとか?(演奏側)

もしも間違って、もしくはどうしても南極へ行きたいが、ドレスコードのある船しかなく、ドレス必須になったとしても、ウシュアイアの町にドレスとタキシードを売る店があったので(もちろん、そういう人のためにできた店だろう)いざとなれば大丈夫だ。何をもって大丈夫というのかは責任持てないが。

続きはこちら→ なんとなく南極気分(いよいよ乗船・そして上陸)

#バックパッカー #旅 #南極 #ペンギン