アー写ジャケットの変遷
今年2024年発売の『Echo』の情報公開となりました。
これまでアルバムは26作あるのですが、「アーティストの写真を使用したジャケット」について改めて考えるところがあり、6月ぐらいからずっと考え、振り返っていました。
2004年自主制作盤。散々CD収集をしている時期で、ジャケットは顔を出すものだと思っており、大阪の心斎橋のスタジオで撮影しました。この時は24歳、今までで一番忙しい年で、一番痩せてましたけど、あまり健康な痩せ方ではなかったです。「睨まれているようだから、CDを伏せる」と言われました。
2006年。デビュー盤は、どのような人なのかしっかり見せる意味もあるでしょうし、当時の女性のメジャー作は全て顔ジャケだったので、何の疑問もなく顔ジャケでした。ストックホルムで旧市街を歩きながら、現地のカメラマンが撮影。デザイナーが、服の色に合わせて右後方を紫色に着色しました。
2007年、二子玉川の素敵な壁が沢山あるスタジオで撮影。元々は白一色だった壁を、デザイナーが服に合わせて半分オレンジに着色。おかげでとても目を引くものとなり、商業デザイナー!と感心しました。4種類ぐらい絵柄の違うポストカードを作ったので、「全部違う人だね」と言われました。
2008年、京都のカメラマン津久井珠美さんの撮影。静かだけど芯の強い素敵な女性で、メイクも津久井さんご紹介の素敵な女性、ディレクターも女性で、女性だけの現場でとてもリラックスした撮影でした。
しかし、最初に上がってきたデザインは、不必要にエロく見える角度の写真とフォントが選ばれ、撮影時に女性陣が思っていた出来上がりと全然違うもので、女性ディレクターが頑張ってプレゼンしてこちらになりました。ほっとしました。男性のデザイナーとプロデューサーが選んだものは、こんなに目線が違うものなんだと驚き、写真は自分が思っていないところを切り取る可能性があり、デザインで誇張することも、意図したものと反対の表現も可能ということがわかり、勉強になりました。
ジャケットについて非常に下品なことをいろいろ言われたのですが、ここに書けないので書きません。
2013年、津久井珠美さんに再度撮影を依頼して撮影。ディスクユニオンに移ってから、以前のような商業的な顔ドーンというジャケットはもう嫌だと思って、『Music in You』、『Astrolabe』、『Sympathy』と、美術作品を使用していました。しかし、初のソロアルバムということで人物がわかるデザインが良いと私も思い、アー写をそのままではなく、デザイン素材として使ってもらうようにお願いしました。この時も撮ったパターンが多くて、色々言われましたね。
2014年、デザイナーのディレクションの下、横浜のスタジオで撮影。最初のジャケット案がきた時「顔、切っちゃったんですけど、怒らないで下さい」ぐらいの感じで送ってこられたんですけど、とても良かったです。やっぱり、顔ドーン、目線ドーンは嫌なので。「顔なくなった笑」「歳とったから顔載せなくなった笑」みたいなことは言われました。
2021年。こちらは本多晃子さん撮影。本田さんは、NHORHMの撮影でお世話になっていたのですが、現場が明るくなる本当に素敵な方で、一緒にいてとても楽しい。渋谷ホールを借りて撮影しました。
神戸のライブハウスCREOLEとそのマスター(故人)に宛てた作品なので、色合いは哀悼の色にしてもらいました。
最初にYouTubeの配信で発表した時に、茶化しがありました。
そこからの、今年2024年リリースのこちら。
湿板写真という方法で撮影したものを素材に、美しくデザインして頂きました。とても気に入っています。
今回、アートディレクターとして、清水幹太さんに入って頂き、清水さんのディレクションで進行しました。
前作『Dot』は、商業的視点が皆無の作品でした。
CDビジネスは厳しくなっているし、この先、大掛かりな制作が難しいかもと考え、私自身の満足度のみを追求し、徹頭徹尾自分のために作った作品です。「遺作になっても恥ずかしくないものを作る」、そんなことを考えていました。ある面で、閉じた作品でした。
そのような作品を作った後で、気持ちがすっきりしたので、一度軌道を戻しつつ、でも完全に戻さずオリジナルな道を作るには、私の視点だけでは無理で、外部視点が必要であると考え、清水さんに相談しました。
その際に、「自分の顔写真があまり好きではない、写真撮影自体が好きではない」という、今まで薄っすら思っていた感情に、初めてちゃんと向き合った気がします。
普段から自撮りもしないし、ライブ後の写真もアンサンブルのクールダウンを共演者としたいのに、他者がいきなり洪水のように入ってくる感じが苦手だし、まあ普段から写真が好きじゃないんですよ。
しかし、今回はいろんな理由があって、アーティスト写真系のジャケットにするべきだと、感じていました。
そこで清水さんが提案して下さったのが、この湿板写真。
全く知らない手法でしたが、内容を聞き資料を見せてもらうと、とても面白そう。「使えるかどうかわからないけど、撮るだけ撮ってみたい」と、興味が先にきて、すぐ撮影日を決めたんです。
撮影は、大変面白かったです。やって良かった。撮影して下さった和田高広さんは、とても気さくな方で色々お話下さって、楽しかったです。
湿板写真そのものの、プロフィール写真はこちら。
このような強い写真になり、それが世に出て改めてわかったのですが、写真が嫌というよりも、〈外見で品評されること、茶化されること〉がとても嫌だったんですよ、私。毎回なんですよ、本当、新しいアー写が出てきたら、毎回。それが20年。
『Calling』の時でさえ、最初からクレオールとマスターの追悼で作っていると真剣に言っているのにも関わらず、YouTube配信でジャケットを早出しした時にも茶化しがあったので、もう切れちゃって、その時はnoteにも書いたけど、もう本当に頭にきたし、諦めっていうか、いやもう本当にがっかりしたんです。この歳になって、もうそういう俎上に上がらなくなったかと思ったら、まだあるんかい、と。
「褒めてるものは、いいじゃない」と言う方もおられますが、嫌なのは、褒めてるんじゃなくて品評しているものですよ。この牛はお乳が出そうね、と一緒。物だと思って、品評している。私は人間です。
「気にしすぎじゃない?」もそうです。これを言う人は、点で見ている。小さな澱がどんどん溜まっていき、排水口が詰まって溢れるのを想像して下さい。
そういうことを、20代のデビューの時から散々毎年毎年やってきて、もう私は切れたわけです、『Calling』の時に。他の理由もありますが、こういうこともあってレコ発もする気分にならず、発売前に一度したきりで、しませんでした。作品は大切なものです。その大切さを守りたかったですし、静かに発売することで守れました。
それが、今回のこのアー写が出ても、そういう品評や茶化しは私の目に入る範囲で直接付きませんでした。(間接的には少し見ています、見えていますよ) 写真手法による出来上がりの重さと強さで、そういう対象じゃなくなったのでしょう。余計なことを言う余地がない写真の説得力。そこに導いて下さった清水さんと、実際に撮った写真家の和田さん、それから珍しい撮影方法にクリエイティブに対応して下さったメイクの高野さんのプロのお仕事に、敬服します。
今回、ディレクターの清水さんとしっかり話し相談した結果、この形態の撮影の提案をして下さって、ずっと傍にいたのに目を向けなかった感情や事実に気づき考えることができて、何か一つ薄皮がはがれたような、そんな感覚があります。
もう一つ、これは本当に個人的な呟きです。
他者の意見は要りません、私が感じて受け止めたという事実だけで、記録で置いておきます。
『Echo』はこのジャケットになる前、私以外の全員一致でジャケット候補は上記の正面写真だったんです。
ディレクターが、「西山さん的にはないかもしれないけど、僕とデザイナーはこれが一番強くて良いと思うと意見一致したので、ダメ元で、選択肢を狭めるために聞きます」と確認して、正面写真の表1デザインを上げてくれたんですよ。今までそういう風に確認してくれることも一度もなかったから、そのケアがありがたいな、とも思いました。
でも私は、とても良い写真だし気に入っているし、たぶん他人だったら同じくこれを選ぶけど、表1にこれは勘弁してほしいと思ったんです。
最初に見て、「屍を乗り越えてきた人の顔してるな」と思ったんですよ。
こんなこと思わなくていいのはわかってるんです。
だけど、同世代の女性ミュージシャン、いろんな事情で沢山辞めてしまったし、生き残ってるのは実力というよりも、運が良かったことと、単に執着が強かっただけだと思う。たまたま私の執着が、この仕事に向いていただけ。
コロナ以降、仲間の女性ミュージシャンとよくご飯に行ったり、深く話したりすることが多いのですが、そうすると、昔のパワハラセクハラが酷かった話から、今でもある面倒臭いこと、軽んじてくる人の話、そういう話の後で「若い女の子好きにやれ、頑張れ、応援しかない!」というところに必ず着地するのですが(笑)、そういう話をしてお焚き上げしてるんですけど、笑ってるけど結構皆、傷ついてきたんだなと、今になって実感するんですよ。
書けないけど、ひどい話ばっかりですよ。
今はこうやって友達と話して笑い飛ばせるけど、実際にそういう被害にあって、笑えない状況で辞めてしまった子、いると思うんですよ。
また、女性はライフスタイルが変わるごとに、環境的に辞めざるをえない場合も、本当に多くあります。皆幸せな人生を送っていますし、音楽するだけが良いわけではないのはわかっているけど、能力の高い人が本当にいっぱいいました。
私も色々沢山あったし、適当に強いし無視できるけど、本当は昔からかなり傷ついていたし、だから防衛していたし、だから強くなっていったところがあったんだなと、ミュージシャンの女友達と話してると思うんですよね。
たぶん皆40代になって、社会も良いように進んで、やっとそういうことが話せるし笑えるし、「あれは酷かった」と大きな声で言えるようになったんですよ。言えなかったもんね。
そういう思い出の反芻とかもあった後で、湿板写真にきっちり余すところなく出てきた私の年輪。とても良い写真だし、自分の写真として最大に気に入っていると同時に、仕事をしてきた地層みたいなものが顔に出ているので、「屍を乗り越えてきた顔してるよ」と思っちゃったんです。
辞めちゃった人とか、続けられなかった人が見たら、嫌な感じかもしれないな、なんて、考えなくてもいい明らかに考え過ぎなことを考えてしまって、「これは使えないな…傲慢だな…」と思いました。
ここら辺、デザイナーもディレクターも夫も理解できないと思うし、今関わってる裏方の人、全員男性だから、感覚的にわかってもらえないと思うんです。
今回のアルバムも、しっかり関わっている女性は、私の他はバイオリンのmaikoさんだけ。どうしてもそうなっちゃう。
それぐらいの環境でずっと生きてきて、なんだか辞めた人たちに申し訳ない気分にもなってしまった。思わなくてもいいことというのは、わかってるんですけどね。生き残ってる人の傲慢なものを、感じざるを得なかったのです。そう思った自分を、腹で受け止めています。
また、ジャケットやアー写に関する品評も含め、自分は怒っていただけではなく、その前に傷ついていたのだと、そう受け止めることができて、嫌な気持ちで怒っていた時の全ての自分を、過去に戻って抱きしめたいと思いました。
アーティスト写真一枚で、これだけ過去のことを反芻し、思考を巡らせたことはなかったです。
上記の関わって下さった3人に、感謝しています。
ジャケットには使わなかったけど、とても良い写真だし気に入っているので、プロフィール写真には使います。
フェスなどで他の出演者と並ぶことを考えると、使いにくいかもしれないですが…
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