エンリコになりたかった(2008年12月ブログ記事より)
2008年12月のブログ記事より(2020年10月加筆修正済み)
最近エンリコ・ピエラヌンツィを沢山聴き返しています。
というのは、ここ数年ほとんど聴いてませんでした。新譜も買うけど、そこまで聴かない。特に意識的に離れてたわけではありませんでしたが、あまり聴きたいと思わなかったのです。ところが、最近ふと突然聴きたくなって、以前へヴィロテしてたアルバムを片っ端から聴いています。今になったから聴こえてくる音も沢山あって、改めてフレッシュな気持ちで聴けます。
21歳ぐらいの時に『Deep Down』を初めて聴いてハマってその後聴きまくっていましたが、完全にアルバムごとトランスクライブしたのが、『Deep Down』、『No man's land』『Seaward』、『Racontti mediterranei』、『New Lands』、『Isis』も。他にも結構沢山あります。
よく媒体の取材などで「エンリコに傾倒したと書いてますが、エンリコから何を学びましたか?」と聞かれますが、必ず「エンリコのソロをコピーしても無駄だってことを学びました」ってことをお話ししています。
なぜそんな事を言うかというと、エンリコになりたくてトランスクライブするのに、すればするほどエンリコが逃げて行く感じがしてたからです。
普通は定型のコード進行の中でフレーズを見つけ、ボキャブラリーを沢山増やすためにトランスクライブするのですが、エンリコのソロを起こした譜面を見ても、定型文の中で使えるフレーズというものが全く見当たらない。良いと思った曲や演奏に限って見当たらない。
でも、そこだけ抜き出しても何の意味もないようなことばかり弾いているけど、トータルで聴いたらカッコいい。スパンが長く、自由なのだということだけはわかりましたが、そこから自分はどう応用していったらいいか、練習方法が全然わかりませんでした。とにかく、2小節とか4小節の単位で音楽が動かないのです。
とりあえず聴き取ったソロをまるまま弾くことはしていましたが、もう一つよくしていた練習は「コピーした譜面をグラフと思って、他の曲でも何の曲でもいいから、そのグラフ通りのリズムと山型谷型どおりにアドリブをする」という練習をよくしていました。言葉でうまく説明できないんですけど、要するに譜面と鍵盤を視覚的に捉えて、エンリコと全く同じ呼吸で、違う音で演奏してみるということです。
だから、応用のために音符を追いかける練習は、そこまでしていません。
勿論、曲の作り方は大変勉強になりましたが、ソロの練習はそんな感じでした。ので、緻密にコピーを活かすための練習というのは、あまりしていないんです。
今はエンリコになりたいと思わないけど、エンリコのような活動がしたいとは思います。
当時、大体の譜面は手書きですが、時々譜面ソフトで作った譜面を見て弾いていたら「エンリコの譜面、売ってるんですか?」と結構聞かれましたけど、そんなもの売ってるわけがありません。私がハマっていた時期は、エンリコが初来日する前だし今ほどヨーロッパ・ジャズが一般的でも無かったので、エンリコのCD自体も今ほど店頭には並んでませんでした。
そこで、ファンはどうしてもマイノリティーなので、ネットで情報収集をします。ですので、その頃ネットでエンリコの事を書いたり調べたりしているうちに繋がったご縁があり、実はその時期から応援して下さっている方もいて、ありがたいことだなと思っています。横濱ジャズプロのコンペの優勝や自主盤よりも前から知って下さっていて、今もライブに来て下さる方が実は結構いらっしゃったりします。
「コピーしても、練習すべきフレーズがない」と書きましたが、そのあと譜面作っても一緒にやる人がいないという問題がありました。そして、ライブできるお店もないという問題もありました。
共演者問題の方は、そういう音楽が好きなベーシストが何人かいるのでデュオで演奏していました。ドラムは問題外でした。演奏するお店の方は、なかなかそういう自由なお店にめぐり合わず厳しかったですが、そんな時に突然「今度神戸に店出します、エンリコやってるんならうちでライブしませんか?」と連絡を頂き、それが今もホームグランドで演奏させてもらっている会場、クレオールなんです。
京都のライブハウスのキャンディは20歳の時から演奏させてもらっているのですが、キャンディもずっとお客さんが入らなくてもエンリコの曲が良いと言って、そればかりでライブさせてくれていました。
もう一つ、エンリコの音楽を追いかけていて大きな出会いになったのは、実は横濱ジャズプロムナードのコンペティションです。(こちらは強引な話ですが)
2004年の3月に、エンリコが初来日をしました。
私も自主的にツアーしました。要するに来日公演全部行ったということです。この時に初めて、ネットで欧州盤の情報交換をしていた人たちとも会えました。
5会場でライブがあった中で一番心に残ったのが、横浜の赤レンガ倉庫でのコンサート。本当に素晴らしかった。5回の公演中の3回で、ステージの最初に一発コードで10分弱のインプロヴィゼーションをしていたのですが、赤レンガで聴いたD minorを基軸としたインプロヴィゼーションは本当に感動的で涙が出ました。浜離宮でやってたB majorの分は、確かその後リリースされたライブ盤に入ってたと思います。でも赤レンガのが一番良かったと思う。
その感動がずっと残っていたのですが、たまたま横濱ジャズプロのコンペの応募要綱を見たら「本選会場:赤レンガ倉庫1号館ホール」との記載が。
これに出場したら、エンリコが弾いたピアノでエンリコが弾いた会場で弾ける!と思って、応募したんです。元々は、それだけです。クラシックをやめてからコンクールみたいなものに興味なんて全くなかったし、勿論出るのも初めて。
そういう動機で出場したのですが、結果的に本選会に出ることができて、本選会のリハーサルの時間にちゃんとエンリコが初来日でほぼ毎日演奏していた曲「Winter moon」を1コーラス弾ききりました!(イベントのステージリハーサルの時って、転換もありバタバタしてるし余分に一人で弾く時間なんてほとんどないんですけど、無理矢理やりました)
「エンリコの弾いたピアノで、エンリコの弾いた会場で、エンリコの弾いた曲を弾いた! 他のマニアは、私の持ってないCDいっぱい持ってるかもしれないけど、エンリコの弾いたピアノでエンリコの曲弾けたマニアは私しかいない」と満足した状態で本選を迎えたので、本番は緊張のきの字もなかったです。
そんなこんなで、動機不純で出たコンペティションで、優勝させてもらいました。
審査員にはジャズ媒体の方もいてたので、本選会終了後の懇親会の時にスイングジャーナル誌の方と今までの音楽の経緯をお話ししたので、翌月のスイングジャーナル誌のニュース記事欄に「今年の優勝者決定、エンリコに傾倒しているのを感じさせる内容だった」という記事が載ったんですよ。
その一ヶ月後ぐらいに、レコード会社の社長さんが大阪まで会いにきてくれて、徐々にCD制作の話をはじめました。
そのまた数ヶ月後、新宿ピットインで演奏した時に、レコード会社のプロデューサーも来てたんですが、お客様の中の一人に目をとめたプロデューサーが、私に「この方はヨーロッパ系のジャズを紹介している第一人者の〜」と紹介して下さいました。私はその時は初めてのピットイン出演で緊張でいっぱいいっぱいだったので、お名前の聞き覚えはあるなぐらいでした。家に帰って改めてお名前を確認したら、エンリコのCDを沢山紹介してエンリコのCDのライナーノートも書いてらっしゃるジャズ評論家の杉田宏樹さんだったことがわかって、おおーっと思いました。特に社長が呼んだわけでもなく、エンリコに傾倒してという情報が入ったからとのことでいらっしゃって(おそらくそのSJ誌の記事でしょう)、以降デビュー盤CDのライナーノートにはじまり、ストックホルムまで取材にも来て下さって、大変お世話になっています。
21歳の時にエンリコを知って、沢山聴いてコピーして、自分でオリジナル曲を作るようになってから、自分のプロフィールに「傾倒した」と、自主盤も作っていないわりと早い時期から書いて公言していました。その頃ジャズクラブでそういう演奏をしては「もっと黒く弾け」と言われてばかりでしたから、最初からプロフィールに書いておけば面倒くさいことにならないだろうと思って、書いていたんです。誰もエンリコ・ピエラヌンツィなんて名前知らないし、その名前で黒っぽいジャズなんて期待しないですからね。
元々は『Deep Down』に始まり、soulnoteレーベルの作品が好きでした。
ですが、2000年のアルバム『Racconti Mediterranei』を聴いて、私自身が音楽に対して腑に落ちたというか、吹っ切れたというか、新たに音楽を始めようという気持ちになれたので、このアルバムが一番私にとって記念碑的なアルバムです。
これは私の個人的な印象ですが、元々クラシックをやってたからか、ジャズを取り巻く環境が妙にアメリカへのコンプレックスに見えていたのですよ。
クラシックやってる時の「ジャズ」という音楽に対するイメージは、数あるポピュラー音楽の一つにしか見えていませんでした。(というかクラシックをやっている環境が、それはそれで異質だったのですが)
勿論今はそんなこと思いませんけど、たぶんそんなことをずっと思ってたから、Racconti〜で吹っ切れたんでしょうね。
時々「そんなに好きなら習いに行けばいいんじゃない?」とプレイヤーではない人に言われることがありましたが、それはミュージシャンにはない発想かもしれません。思った事がありません。
エンリコに習ったからといってエンリコになれるわけでもないし、エンリコになろうとしたところでエンリコ以上になれるわけありません。
エンリコの何が素晴らしいのだろうと探求して見つけて、その先に自分のすべき事や美学を見つけられたらいいなと、そのためのトランスクライブと研究です。
私がいつかちゃんと自分のすべき事を見つけて、自分の音楽ができて、将来エンリコの隣にCDが置かれたりしたらいいなー、とはずっと思っていました。
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