休憩に書き散らかしを
このnoteは、長い文章の置き場として使い始めました。
Facebookページには時々1000字ぐらいの文章をパッと書いて載せることがありましたが、SNSは時間が経ったら文章にアクセスし難くなるのと、Facebookに参加していない方の目に触れにくいということがありました。
Blogはずっと継続していますが、なんとなく長い文章の読みにくさを感じていました。
文章を書くことは子どもの頃からの癖です。日記はずっと付けていたし、紙の日記はやめても、タイピングの練習として文章作成ソフトで日記をずっと書いていました。
日記帳の日記も、フロッピーディスクに保存した日記も、ある時になったら一気に全部きれいさっぱり捨ててしまうということを繰り返しているのですが、それは文章を書くということが記録のためではなくて、文章を書きながら頭の整理をすること、その文章を書く時間そのものが思考の時間として好きだからということがあります。
感情に明文化できたら気持ちが良いし、書きながら思考がどんどん飛躍していったり、こんなことが原因ではないかと気付きがあったり、文章を書くことで現実が豊かになることもあります。失敗は、事実関係を文章で整理するだけで、大きく見直すこともできる。
書く、あるいは、書き散らかしながら考えることが好きというだけで、書いたものにはあまり執着がないのです。
そんな感じで、元々書くのも速いし好きなので、以前からジャズ系でのライナーノートや媒体に文章を書くことが時々ありましたが、この2年ほどでヘヴィメタルについての文章を求められることが圧倒的に増えました。
もちろん私がNHORHMなどの活動があることが大前提ですが、おそらく、100%ヘヴィメタルの中の人にはない、音楽家としての見地からの表現や分析が真新しいから求められているということで、文章の上手い下手で求められているわけではないと思っています。
だから勉強しないといけないと思い、とあるコラム講座を受け始めたのですが、コロナ禍で中断になってしまい、自宅学習になりました。
それもあって、ただ書き散らかすだけではなく〈スピード感を持って書き散らかす〉ということをやろうと思って、このnoteを動かし始めました。
よって、この文章も推敲はほぼなしです。なんとなくテーマを持って書き始めましたが、コラム講座で〈本来思っていたテーマではなく、書きながら見つけてもいい〉というのを頭の片隅に置きつつ、書いております。
前置きが長い。
近年、タワーレコードの運営するMikikiというサイトで「鋼鉄のジャズ女」という連載を持たせてもらって、ヘヴィメタルをテーマに毎月書いているのですが、なるべくジャズ演奏者としての見地を交えて書くようにしていて、メタル側でもジャズ側でも何かおもしろみのあるようにと気をつけて書いています。
それが、この1年テーマを見つけることに苦労することが多かったです。
コロナ禍でライブの中止、来日の中止、フェスの中止、新譜リリースの延期など、新しくて明るいニュースがとても少なく、また自分の生活を少しでも通常に、マシにするためあまり心に余裕もなくて、正直なところメタルの方にアンテナを向けるのが雑になってしまって、話題を見つけにくかった。
2020年4月から担当編集者が変わりました。連載を始めてから3人目ですが、全くメタルにもジャズにも詳しくない男性編集者です。ただ、引き継ぎでお会いした時に、推しバンドの赤い公園の話題になった時に目の色が明らかに変わったので、確固たる好きなものを持っている方なんだろうなと思いました。オタク同志は、推しが違っても〈推せるオタク〉はわかるものなのです。シンパシー。
そして、彼のアドバイスを受けながら、コロナ禍で取り上げる記事を選んでいったのですが、彼の提案した2つの記事が、私の記事の中で2020年最も読まれたものとなりました。
その他、『となりのメタラーさん』(BL漫画)なども提案して頂きましたが、本を買って読み、個人的には新たな世界を知って面白くてぎゃあぎゃあ言いながら読んでいたのですが、さすがにうまく扱える自信がなく、地雷になりかねないので見送りました。
全くメタルにもジャズにも詳しくないと書きましたが、それは意外とネガティブな要素にはならなくて、編集者の、一緒に学んでいく、知りたいという姿勢で、面白くて沢山読まれる記事は作れるということがわかりました。編集者もいろんな能力があると思いますが、端的にこの方はポテンシャルの高い編集者なんだろうなと、非常に感心しました。これからの記事作りも楽しみです。
2020年4-6月前半まで、2ヶ月半丸々お休みになってしまいましたから、編集者に「インタビューしてみたい」と企画を提案して、冠徹弥さんのインタビュー記事も書きました。
そして、高円寺メタルめしのオーナー、ヤスナリオさんにもインタビューを敢行。
私はアーティストとしてインタビューを受けることが圧倒的に多かったですが、インタビュー記事を書いたことはなく、せっかく時間があるからやってみたかったのです。
普段の、〈受ける側〉でのインタビューでは、実は色々不満もありました。
・同じ話を何回もしないといけない、資料に書いてあることの確認ばかり
・毎回、プロフィールのキャリアの最初の方の事項から質問される
・評論家の頭の中の音楽カテゴライズのみを前提に話が進められる
・ほぼ誘導尋問になる
・女性としての話ばかり聞かれる
・いや、そこじゃないから、という質問ばかり など。
ごめんなさい、とても嫌なやつに見えると思いますが、とりあえず、「インタビューする側の方が知っている」前提で進められることがあまりにも多くて、ちゃんと思ったことをお話しできる機会って、実はあまりないんですよ。
今でこそゲラチェックは毎回させてもらっていますが、20代の頃はゲラチェックも回ってこなくて、売られている媒体を見て「そんなこと話してないし」とか「こんな言い方していない」とか、そんなことばかりでした。
それは、私がまだ未熟だからそうされるのかなと思っていましたが、アーティストとしてのキャリアが長くなり、また自分も書くようになると、良いライターさん、良い編集者さんの時はそうではないということも、身をもってわかるようになってきました。
だからこそ、インタビューの練習をしてみたかったんです。
そしてわかったこと。
ライターはとても大変なお仕事です。時給にすると、すごく安いお仕事かもしれない、と思いました。
〈インタビューの文字起こし〉という作業を初めて経験しましたが、これが思ったより進まない。もう結構進んだかなと思ったら、まだ5分の会話しか文字起こしできていない。どれだけ時間かかるんだよと思いました。速い人は速いのでしょう。私はタイピングは結構速い方だと思いますが、誰かのソロのトランスクライブ(耳コピ)をする方が速いんじゃないかと思うぐらい、インタビューの文字起こしには時間がかかりました。面白いんですけどね。
それから、あるアーティストにインタビューすることになったら、予習で音源を聴くじゃないですか。それもリリース予定作だけではなくて、過去作も予習していくじゃないですか。大変時間がかかることです。もちろん時給は出ませんよね。そういう努力の上にインタビューは成り立っていたのだなと。
逆に、今まで私が受けたインタビューの中には、過去作を全く聴かずリリース予定作も通り一遍しか聴かず、ホームページのプロフィールだけプリントアウトして持ってきていたようなインタビュアーも結構いたんだな、なんて思いましたが。
ディスクレビュー記事も時々書きますが、こちらも非常に時間がかかる作業です。新譜を一回聴いただけでは責任持ってレビューなんて書けないですからね。
逆に、一回聴いたぐらいで書いてるんだろうなって思うレビューも思い当たったりします。ああ、嫌なやつですね私。
こんな風に、書かれる側から書く側になっての気づきがあまりにも多くて、それだけで興味深いし、めちゃくちゃ楽しいです。
あと、良い編集者がいないと絶対良い記事にならないということは、書くようになってから本当に実感しています。インタビューを受ける側ではわからなかったことでした。
特に、雑誌『ヘドバン』にライターとして関わらせてもらうようになって、編集長が血反吐を吐きながら毎号作っておられる様子を見ていると、やはり情熱が大前提なんだなということを身をもって感じています。こちらも同等の、もしくは対決できる情熱とエネルギーで応えないといけないと自然と思いますし、ヘドバンに書いてきた文章はわりと締め切りがタイトな中で書いているのですが、結構どれも気に入っています。書いていて楽しい。
中には企画だけもらって実現しなかった記事もあったのですが、編集長がそういう企画を考えているという事実がまたおもしろく、関われるタイミングは絶対食らいついていこうと思っています。ここで仕事を続ければ、書くということがもっと絶対おもしろくなることが確信できるから。私にとって、書くという行為そのものが、もっと豊かで有意義で何より楽しくなることは間違いありません。
ここまで止めずに推敲なしです。この後、ざっと見て公開にしますが、なぜこんなことを書いているかというと、今、Mikiki1月分の原稿を書いていて煮詰まったからなんですね。
煮詰まったら別の文章を書くというのも、昔からよくやっています。書くのをやめて、休憩すればいいのにね。