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「不知火海をあげる」〜初水俣1日目〜


2022.3.31

【熊本1日目の記録】
100分de名著『苦海浄土』→アフター6ジャンクションの『水俣曼荼羅』原一男監督インタビュー→映画『MINAMATA』ときて、引き寄せられるように熊本に来ました。


今日は熊本で100年続く老舗映画館 #denkikan にて『水俣曼荼羅』(6時間の超大作!)を観た後、原監督のトークショーを聞いた。


20代に原監督の『ゆきゆきて、進軍』にうちふるえて、40代でまた帰ってきた。配信で見られる作品は今日のために全部観た。石牟礼道子『苦海浄土』も遅まきながら読んだ。


上間陽子さんは、普天間基地移設問題に振り回される沖縄の海やそれらを取り巻く環境について、地元民は充分戦って苦しんでいるのに国や沖縄以外に住む人々がそれらを無視し続けることに疲れ果て、沖縄以外に住む日本国民に「(沖縄の)海をあげる」と言った(『海をあげる』(筑摩書房))。
沖縄の海の問題は、沖縄の人だけのものじゃなくて日本ぜんたいの問題なんだよ、ってことで、私は水俣病問題にも同じように言われたように感じた。
「不知火海をあげる」って。


『水俣曼荼羅』を観れば、水俣病問題が終わってなどいないことは一目瞭然なんだけど、つい昨日、熊本地裁は原告7人の請求をまた棄却している。最高裁判決があるにも関わらず、行政が「それは司法の判断だから」と言い逃れできるなら、何のための裁判、何のための三権分立なんだろう。
しかし、「日本4大公害病の一つ」くらいの知識しかなかった私にとって、水俣病問題はまさに曼荼羅というべきにあまりに複雑な、今の日本の縮図のような気もしてる。


「海の恵みを、その日に必要な分だけとって大切にいただく。これ以上の栄華があるか」豊穣な海や自然界の仲間たちとともに、古代的な生活を営んで来た水俣の人たちに、この問題は途方もない痛みと苦しみ、絶望と分断をもたらした。市民も、患者も、一枚岩ではない。水俣内で水俣病は今でもタブー視されているという。その無念さはいかばかりか。


60年もの気の遠くなるような間、当事者は後期高齢になるまで人生をかけて戦い続けてきたのに、水俣病問題は医学的にも司法的にも行政的にも、むしろ後退しているという。私たちが甘受する現代の豊かさは数千人の死者、公害病患者の犠牲の上に成り立っている。そのことを今私はどう受け止め、どう考えたらいいのだろう。




極上馬刺し→熊本ラーメン→オープンエアのカフェでコーヒー☕️熊本さいこうだ。
明日は水俣に行きます。



#水俣曼荼羅
#denkikan
#熊本

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