テニスと半月板損傷①
初めての投稿です。
友人の勧めでnoteを始めようと思ってから早2年が経っていました。
相変わらずコロナ禍であることは2年前と変わらず、まさか2022年もwithコロナであるとは想像していませんでした。
今回なぜnoteに記そうと思ったか。
それは2022年3月初めの頃、膝に激痛が走ったことが始まりでした。
3月のとあるシングルス大会に向けて、半年前からレッスンを増やしたり、ワンデーの試合に月に何回も出たりしていました。
きっかけは何か、それは今でも分からないのですが、実は数年前から時々膝が痛くなっては、自然と痛みが消えていっていたので、今思えば、蓄積されたものかもしれません。
スポーツクリニックへ
あまりの激痛に、スポーツクリニックを予約し受診したところ、医師から「すぐにMRIを撮りましょう」と言われました。画像を見て言われのは「骨と骨がすり減ったところがぶつかって腫瘍?が出来ている。最悪手術です。」え?どういうこと?手術って??それからヒアルロン酸の注射を打ってもらい、帰宅。テニスは続けて大丈夫と言われて、サポーターをしながらテニスをしつつ、さらに毎週の病院(リハビリ)通いが始まりました。ヒアルロン酸の注射とリハビリのせいか、通院して1ヶ月半後には痛みも消え、通院は一旦終了となり、ストレスなくテニスが出来るように。とはいえ、痛みが再発するかもしれないので、アイシングや家でのストレッチや筋トレは続けてくださいと言われ、毎日怠ることなく続けていました。
接骨院へ
それからゴールデンウィークに突入し、その期間にアフターケアをサボってしまったつけか、また痛みが再発。最初に受診した病院で同じようにヒアルロン酸の注射を打たれておしまい。この時は私は変形性膝関節症と認識していたので、治療を変えてみようと、接骨院に通い始めました。テニスもこの時からお休みすることに。そこでは様々な機械を使って保険外の治療をしてくださり、手術は最後の手段です、とにかく痛みを取りましょうと言われ、週に2回のペースで通いました。治療後は痛みが取れるのですが、1ヶ月ほど通っても時間が経つと痛みがまた出てきて、本当にこの治療で大丈夫なのだろうかと思い始めたところに、臨床検査技師のテニスの友人が私のMRIデータを見てくれて、半月板が水平断裂しているので膝専門の先生に診ていただいた方が良いと助言してくれました。
同じように半月板を損傷してきたテニス仲間からは、早く手術した方が良いと言われたり、再生治療の話も聞いたり、沢山の情報が溢れてきて、ここまでくるとどうすることが良いのかもう分からなくなり、テニスも諦めた方が良いのだろうかなど、メンタルも崩壊しかけていました。自分のことでこんなに悩んだことは人生初かもしれません。
大学病院へ
近くの大学病院も検討しましたが、また右往左往したくない。少し遠いですが、7月にご縁あって都内の大学病院の膝の名医の先生に診ていただけることに。診断はやはり「右膝内側半月板水平断裂」内視鏡で縫合もしくは切除の手術を勧められました。ただ今回手術しても5年後に再発する可能性があり、根本の原因であるO脚を直すために骨切りの手術も勧めるとの見解でした。内視鏡の手術はお願いします、骨切りに関しては家族と相談させてくださいとお伝えし、手術日に関しても無理を言って単身赴任中である8月の夫の夏休み中に入れていただきました。
内視鏡の場合は1週間の入院、骨切りをした場合は3週間の入院に加えて社会復帰への時間を要するとのことで、夫は単身赴任、受験生もいる我が家にとって私が3週間も入院し、退院してからも身動き取りづらいのは厳しいと判断し、今回は内視鏡の手術のみでお願いすることになりました。とはいえ、本当に手術で良いの?ネットでも沢山検索して、自問自答しました。そんななか、これまで仕事はずっと立ち仕事を続けていて、時々ひっかかりや痛むことがあるものの、全く痛くなく不便さを感じないこともあり、2回目の診察の時に先生から「画像だけが全てではないから、手術キャンセルでも良いよ。一度走ったり負荷をかけてみて」と言われて、2ヶ月ぶりに走ってみました。(写真はその日の記録)
するとその時私には確かな感情が生まれたのです。【生きてる!】ってこういうことなんだよなあって。怪我をしてから、何をしていても何となく生かされてる感じがしていたのです。手術が決まったものの不安で仕方なかった私は、自分で自分のやりたいことをしたい!そう再認識出来たのです。(その後やはり痛みも出ました)覚悟はついた、もうあとは手術して、リハビリして、きっと半年後にはまたテニスコートに立っているであろう、そう思っていたのに、、、
手術前にコロナ感染
手術の1週間前、コロナに感染してしまいました。仕事も早めにお休みをいただき、人との接触を避け、必要最低限の行動しかしてなかったにも関わらず。。勿論子供たちも感染し、手術はキャンセル。ようやくここまできたのに、ショックでした。しかし、長い自宅療養中は家族で濃厚に過ごせたり、良いことも沢山ありました。他にも色々なことが重なって、手術はこのタイミングでなかったのかも、きっと全ては良い方向に向かっていくはず!と今は信じています。
私は健康には自信があったし、まさか自分がこんな風に怪我をしてテニスが出来なくなるとは思ってもいませんでした。今でも何で私が?と思うことがあります。まさに晴天の霹靂とはこういうこと。だから、後悔のないように過ごしていかないと。そして、怪我を通して、一進一退、自分力が試されてるなあと思う日々。まだまだ続くであろう復帰までの道のりをここに残していきたいと思います。(決意表明)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?