見出し画像

大極拳と服作り

台湾へ行きその一ヶ月後にはまた作品展をするというなかなかハードな日々を送っていたのだが、2018年はまた一つ自分にとって大きな出会いがあった年だった。


それは大極拳との出会いだ。


大極拳に出会う前の私は、毎日の様にマラソンを走って1年に1度レースに出たりなんかもしていたのだが、歳を重ねるごとに、なんか違うな、という感覚が出てきていた。
なんというか、外に発散するスポーツではなく、自分の中に向かうような何かがしたい!と思うようになっていったのだ。

でもそれが何かはわからないまま、ある作品展の会期中、お客さんでもあるヨガのインストラクターの方にそんな話をする。

彼女が「あ〜、ひーちゃんは大極拳だね!今度連れて行ってあげる!!」

と、言い放つ。彼女のヨガもすごくいいのだが、それ勧めないんだなwと心の中でツッコミを入れるが彼女は私が求めているものをちゃんと汲んでくれていたんだと思う。
後日彼女とともに大極拳教室にいき、彼女に一生感謝することとなる。


といってもその先生の教室は家から50キロ、車で1時間半とだーいぶ離れた場所だったので、これは体験にとどまるかな、と思っていた。
しかしまた私のワクワク指数が暴れ出す。先生をひと目見た瞬間


ここに通おう


と決意する。


ここで少しだけ大極拳の説明をすると、いわゆる健康体操的なイメージが強いのだが、それというのはもともと5大流派の大極拳を第二次世界大戦後の中国が国民の健康体操としてより簡略化した簡化24式大極拳を作り、それが代表的なものとなっているからだ。
実際に大極拳は子どもから老人まで、言葉通り老若男女楽しめるものである。ゆっくりとした呼吸と、体の力を抜いて、でも虚ではなくて、まんべんなあくエネルギーを満たしてゆーっくり動き続けるため、どんな人でも無理なくできるのだ。動く瞑想と言われてもいる。
武術としての大極拳は、解説を聞くと目を潰したりきんてきを打ったり虎を抱えて山を降りる技等末恐ろしい技ばかりで、そういった武術的な着眼でレッスンをするか、養生としてのレッスンをするかは教える方の解釈や伝えたいことによってそれぞれ異なる。


私の師は、
水滴が岩を打ち少しづつ少しづつ丸みを帯びていくように、大極拳をすることによって自分の心も体もまあるくまあるくなって人生がより豊かなものになりますよ

という教えの方だった。


そうそう、それなんですよ!!!


自分の中に向かうような何か、とはそういう事を言いたかった。


そもそも服作りで自分のエネルギーやパワーといったものを外に放っていた私にとって、趣味も同じようなベクトルのものであると枯渇してしまうのだ。それを無意識に感じていたのかもしれない。

ただ立つ、押されても倒れないで立ち続けるには、力を込め続けるのではなく力みを取って、反発せず、自分の中にまんべんなあく気を満たす。
すると180cm程ある先生に押されても自分が動かないではないか!
これだよこれ。肉体的な体験を通して、精神的にもこう言う感じを求めていたことに気が付き、大極拳を続けることにした。

それからというもの、毎週日曜日は子どもの用事がない限り通い、今年で4年になる。

押されても動じない、だけでなく、受け流すこと、いなすこと、循環し続けることを徐々に学んだ。
武術的な話だけではなく、これって人生においても人間関係においても活かされるもので、肉体がそれを知ると精神もそうなっていくというか、どちらが先なのかな、と思うけれど、だんだん生きやすくなっていったのは確かだ。
日々力を込めることにばかりフォーカスしているし、一見そうしなければならないような場面が多い現代社会。
けれど最高のパフォーマンスをするには逆で、虚でなくリラックスをし、全身に気を満たす。
すると最小限の力で最大限の力を発揮する事ができるのだ。
できるのだ、と書いておいてまだできた試しがないのだが。。。。
先生が解くなんの癖もしがらみも力みも歪みもない状態を目指す
という大極拳にとても惹かれたのだ。
本来の自分に還っていくとどうなるのだろう、と。

先生ご夫婦の話を少しすると、とても自分たちに必要なものをわかっていて軸をもち、大地と繋がった生活をされている超素敵ご夫婦だ。
自分たちで家を建てながら畑を耕し大極拳をして暮らしている。
自給自足のような生活、響きは素敵だけれど、実際はとてもハードでタフでなきゃ続けられないと思う。
けれど先生たちはいつも楽しそうだし、美しい。命がキラキラと輝いている。生きるために生きてるっって感じがする。
きっとハードでも毎日活き活き過ごせているのは、生活の中でも大極拳のメカニズムを活かし、日々最小限の力で最大限の効果を発揮できる身体の使い方をしているからなのかな、と思う。
先生たちの生きる姿が大変説得力があるのだ。

私も服作りをして生きるために生きたい。

そう思うようになった。
4年経って、体調を崩すこともほとんどなくなり元気に服作りができるようになった。数年前の自分はずいぶん無理してたんだな。。。と思うことも。
何が力みなのかもわからない状態だったけれど、それがわかって本当に気持ちがいいという感覚が少しずつ磨かれてきて、
不思議なことにそうなると本当に作りたい服がだんだんわかってきたようにも思える。

85式の大極拳を一日3回3年間やって初めて自分の大極拳が見えてくると言われた。
私は毎日1回で4年経って、まだ自分の大極拳はわからないが、
花軸〜Kajiku〜とう名前にはたどり着いた。

自分の花を咲かせる
自分の軸を感じる

そんな服が作りたいと思うようになったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?