性欲と自己肯定感の関係とは?
性欲について書いた原稿をネットに掲載するとgoogleが評価しない。検索順位を下げる。という傾向が常態化しています。
その事実のメタ情報として、性欲について考えるのは良くないことだ、性欲に蓋をしろ、というものがあります。
しかし、じつは、性欲に蓋をしてしまえば、自己肯定感が下がるのです。
私が知る限り、性欲と自己肯定感の関係について生涯をかけて考え抜いたのが、実存主義の父といわれているキルケゴールです。
彼は膨大な量の日記を書き残していますが、そこから類推されることとして、キルケゴールは非常に性欲が強かった。
しかし、その性欲を満たすことができなかった。
なぜなら、彼はエロい自分とものすごく真面目な自分の2人の自分を心の中に抱えており、しかし結果的に、(これは生まれ持ったものもあるはずですが)真面目な自分が前景化していたので、性欲を満たすことなく生涯を終えました。
ある種の女子のように、勉強もできて、親や学校の先生に好かれ、しかし放課後にイケメンの彼氏と下半身を満たしあい、それでも指定校推薦でマーチクラス以上の大学に行き、そこでも楽しく行為する相手を見つけて下半身も上半身も充実した大学生活を送り、名の通った一流企業に就職し、そこでも同じように上半身と下半身を満たし、29歳で華麗に結婚してゆく、という人を見れば、キルケゴールはおそらく、気が狂ったように嫉妬するでしょう。
さて、なぜ性欲と自己肯定感は深くつながっているのか?
性欲も自己肯定感もともに、「関係」という社会性をその根底に持っているからです。
例えば、強すぎる性欲を普段の生活の中で見せることができない人は、誰にも内緒でマッチングアプリで相手を探し、例えば仕事終わりに待ち合わせをし、みずからの性欲を満たしています。
そういう自分は社会的に隠されるべきものですから、彼・彼女は、誰にも言えない秘密を胸に抱えたまま生きることになります。
誰にも言えない秘密、すなわち「言えなさ」は、自己肯定感をダイレクトに下げます。
それを放置したまま上半身だけで自己肯定感をあげようとしても、どうしても無理があります。先に申し上げたとおり、自己肯定感は他者との関係に依存していますから、強すぎる性欲を隠したまま自己肯定感を上げるというのは、ブレーキを踏んだままアクセルを踏むのに等しい行為だからです。
ともあれ、「私は強すぎる性欲を持っています」とか、「私はじつは変態で〇〇という行為を一緒にできる相手を探しているのです」いうのを言葉にして誰かに伝える必要があります。
それはそういった類のコミュニティの中でもOKでしょう。
そして実際にそういう相手とそういう行為をすることによって、
「強すぎる性欲や変態のところを隠さなくてもいいのだ」
「それをわかってくれる他者がいるのだ」
と驚く。同時に、そこから生まれる深い安心感が萌芽する。
驚きと安心を心底感じた時、私たちの自己肯定感は上がり始めます。
その意味で、たとえば女性用風俗で真剣に遊んでいる女子は、自己肯定感を高める入り口にいるといえます。