陰謀論的夏のわくわく
「何かの気配がする」
夏の間中、私の心はそのような曖昧な言葉とわくわくで響き渡っている。
夏という季節は、隠蔽の気配に満ち溢れていと思うのだ。
家を出る。するといたるところでセミが鳴いている。
どこへ行っても何をしていても、私の歩行は蝉の声で埋め尽くされてしまう。
これではセミの大合唱の裏で何かがひっそりとささやき合っていていても、気付くことができない。
外を歩いてみる。道にはいつも以上に背丈が増した植物たちが、ぎゅうぎゅう詰めになりながらのびのび生い茂っている。
これでは何かが草むらを移動していても、気付くことができない。
空を見上げる。するとアイスクリームを何百倍にも拡大したような入道雲が浮かんでおり、普段の季節より見通しが利かない。
これでは何かが空を移動していても、気付くことができない(ラピ〇タのように雲の中に隠れていてもわからない)。
また、夕方になるとその雲が溶けるようにして大粒の雨が降ったりする。雨はカモフラージュには最適である。
このように、夏の屋外は隠れて行動するにはうってつけの季節である。
明るい夏の裏側では、私のうかがい知ることのできない「何か」に関する物語が、いたるところで展開されているのかもしれない。
私にはわからない。しかし空想は暑さに挑むように広がっていく。
蚊取り線香は本当に蚊を寄せ付けないためのものだろうか?
(※本当に蚊を寄せ付けないためのものである)
風鈴の音には一体何の効果があるのだろうか?
(※音から涼しさを感じられる効果がある)
当たり前の夏を不思議な角度から歩くことで暑さから気をそらすように頑張ってみるけれど、結局頭の中は「暑い」という言葉で埋め尽くされてしまう。
もしかすると、この暑さですら、私の気を「何か」から逸らすための、一つの作戦かもしれない。
私が知覚できる夏の裏側に生きる架空の「何か」について、今のところ有益な情報は何一つない。
が、私の気持ちをわくわくに昇華してくれる素晴らしい「何か」であることは、間違いないようだ。