夜桜が綺麗だった、ただそれだけのこと
どこからか、音楽が聴こえてきた。「こっちにおいでよ」と誘うような、そんな音。
引き寄せられるように音の鳴る方に向かうと、そこには美しい桜が咲いていた。
桜の名所でもなんでもない、住宅地の遊歩道に植えられた桜の木が街灯に照らされている。
ライトアップと呼ぶには大仰しい。でも、きらきらと輝く桜の花が、枝の一本一本が、大きな幹が、とても綺麗で。思わず足を止めて魅入ってしまった。
近くの住人だろうか。ベンチに腰掛けた老夫婦が同じように桜を眺めている。
目が合うとにこり、微笑んでくれた。
「桜、きれいですね」
「そうね、今年もとてもきれい」
そんな会話をして、しばしの間ぼけっと桜の木を堪能する。
今日は、風が強くて。かといって寒いわけでもなく、どことなく暖かい気配をたっぷり含んだ風が心地好い。
桜並木を犬と散歩をしてる人、桜の写真を撮る人、別のベンチでビールを飲んでる人。それぞれがそれぞれのスタイルで桜を愛でているようで、なんだかその光景が幸せを具現化したような、なんとも言えないほろ甘さを感じた。
あの場所にはたしかに、幸せだけがあった。
そういえば、あの音楽はどこから聴こえてきたのだろう。
なんの楽器かもわからなかったけど、耳に馴染むメロディー。
もしかして、桜が私をここに連れてくるために、? ……なんて。
そんな勝手なことを想像してひとり、誰にも気づかれないように笑って、帰路に着いた。