愛すでもなく、責めるでもなく。
書くことでわたしが掬われるものを探して、じっくり心を掘っていったら、聞こえてきたつっかえは父のことだった。
20歳になる2週間ほど前、10年以上会っていない父の連絡先を突然知ることになった。
「瞳ももう大人やから、自分で会うか会わへんか選ぶ権利があると思うねん。」という言葉とともに母から送られてきたファイルを開くと、薄っぺらい画面に懐かしい名前と電話番号、メールアドレスが表示された。
情報だけで、わたしになにを選べというのだろう。
時間が忘れさせてくれていた古傷が、戸惑いとともに少しうずいた気がした。
父は、娘の大学合格を人づてに聞いて、泣いていた、らしい。母も人から聞いただけだから、詳しい様子はわからないと言った。
こういうと親不孝に聞こえるけど。
あ、そうなんだ、と思った。泣いてくれるんだ、という驚き。
そしてぽつりぽつりと浮かんでくる行き場のない思いたち。
小学校低学年で止まっている父の中にはどんなわたしがいるんだろう。想像まではしていないのかな。わたしの誕生日を思い出す年はあったりするのだろうか。
…といいつつ、書きながら、「父」「お父さん」「父親」のどれもしっくりきていない。
それくらい、わたしにはわからない。
言葉が蝶のようにふわふわと漂っていて、どうも掴めない。
友人たちとの会話で「うちのお父さん」の話題になると、なんとなく口数を減らしていた。
ドラマや映画で当たり前のように描かれる「家族」像に少しもやっとしながらも、うまく言葉にできないでいた。
心を締めつけるまでもない小さな違和感は、愛情たっぷりの母との暮らしの中でいつしか忘れられていた。
親の離婚は子どもが選んだことではないけれど、わたしは母と生きることを選んだ。小さかったから意志の介在する余地があったのかも曖昧だけど、ほとんど直感だったけど、父との暮らしは選ばなかった。
わたしにとって母子家庭であることは、隠すまでもないけど言うまでもないことだった。
もちろん、いまでも。
この人生しか知らないから、選ばなかった方がどうだったかなんてどうでもいいと思っているし、あのときの選択を後悔したり両親を責めたりしたことは一度もない。母が酔ったときにこぼす「申し訳ない」ことをされたとは全く思わない。
ただ、血の繋がりというのは不思議なもので。
お父さんという言葉を聞くときの、あのなんとも言えない居心地の悪い感じ。
普段は記憶の片隅に眠っているのに、一度思い出すとなかなか離れてくれない。関係ない人にはしたくないと身体の奥がうずく。
だから、連絡先を知って、ボタンひとつで繋がるかもしれない距離になって、気づいた。
愛をもてるほど、もしくは責められるほど、わたしは彼を知らないのだ。
どこかで今日も生きているのだろう彼が、この長い年月、何を考え、思って生きてきたのか。
いまはまだ、戸惑いが勝ってしまっているけど、
もうすこし時間をもらって、わたしの心に受け入れる準備ができたら、娘として、ひとりの人間として、話してみたいと思う。
渡されたもののどうすればよいか分からず、でも咄嗟に指が動いて保存していたあのファイルをもう一度開いてみようと思う。
もう番号変わってるかもしれないけど。
繋がったとしても第一声はうわずってしまうだろうけど。
会ってくれないかもしれないけど。
伝わらない、届かないかもしれない未来をいくら並べても、
思いを届けない理由にはならないから。
いまはまだ「彼」という呼び方が一番しっくりくるその人を、
死ぬまでに「お父さん」と呼んでみたいから。