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いじめのようないじりのような過去
最近、自分の中の苦しいという感情をようやく認められるようになったので、こころの奥につっかえていた過去の記憶を初めて丁寧に取り出し、言葉にしました。
あまり気持ちのいい話でも、感動話でも、学びのある話でもありませんが、体験の共有が誰かのなにかに繋がることがあると思いたくて、書きました。
10ヶ月間のことを拙い表現力で1ページにしたので、荒さが残ったまんまですが、簡潔にいうと、小学6年生のとき軽いいじめにあった体験から、人の心を持って生きるためのヒントを得た話です。
きっかけは、些細なことでした。
席替えで隣の席になった、リーダー格の男の子と口論になり、その子がわたしの髪の毛のことをいじりました。
するとだんだんと周りの男の子がわたしを避けたり、ちょっかいをかけたりするようになり、隣のクラスからわざわざ髪を見に来る子まで出てくるようになりました。
いつもと変わらず仲良くしてくれていた女の子たちがいたことが、わたしをなんとか学校に向かわせていました。
人間の防衛本能のせいなのか、つらい記憶はいつも断片的で、すべてを記すことはできないのですが、
笑い声にあふれた学校の中で人がいない場所をみつけたときの嬉しさ、給食のときくっつける机がわたしのものだけ5cm離されはじめたときの悲しさ、わざと男の子たちに嫌がられるようなことをし、笑ってやったときの後戻りのできない感じ、などは強く覚えています。
いじられていることを笑いに変えるのが日に日に上手くなりました。傷ついていることを悟られたくないだけの、滑稽な強がりでした。
でも、ひとつだけ鮮明に覚えている記憶。はじめて人前で泣いたときのこと。
いつもよりひどめのちょっかいを受けたそうじの時間、心のダムが決壊してしまいました。
机に突っ伏して、泣いたことをなかったことにできるうちになんとかしようともがいたけれど、その日に限って叶わなくて、青い制服に広がっていく紺のしみに慌てました。だれかに見られてみんなの無邪気さの前にさらされることがいやで、こわくて、そう思うほど涙は止まらなくなりました。
聞きつけた担任の先生は、みんなを席につかせました。
そのときわたしは声を上げて泣いていて、みんなが静かになればなるほどわたしの不規則な嗚咽が目立ちました。心優しい女の子が肩さすってくれたり慰めてくれたりしました。
先生は「これっておかしいと思わないか?普通じゃないと思わないか?」とクラスメイトたちに問いかけました。
人生でいちばん、いやな時間でした。
みんなでわたしのことを話しているのに、なぜだか自分だけ置いていかれてるみたいな孤独感、そんなことをしてほしかったんじゃないという叫び、クラスメイトをまきこんでわたしの苦しみを考えさせようとする、悪意も想像力もない先生への怒りのようなもやもやしたもの、女の子の優しさを受け取れず泣くことしかできない自分のどうしようもなさ、「普通」という言葉に対する疑問と微かな恐れ、
いろんなものが混じったその状況にどうしても耐えられず、泣き腫らしたわたしは学校を飛びだしました。
いま思うと、だれでもよいだれかに止めてほしかったのだと思います。原因や状況把握をして一般化する前に、わたしの気持ちを聞いてほしかった。もちろん、みんなの前ではなく。
その夜、家にかかってきた電話におどろいた母は、あまり訳のわからぬまま、わたしを連れて学校へと向かいました。
そこには、つめたいパイプ椅子と均一なテーブルが並び、耐えられない重苦しい空気をまといながら容赦なく見つめてくる先生がいました。大人の正義感で満たされた、絶対的に「安心」な場所では、大事にならないように言葉を選んで選んで話してしまう子供の気遣いは無力でした。
「学校としても真剣に受け止めて対処していく」と言われました。学校として、とか、対処、とか、言葉がうまく入ってこなくて、しこりのように残りました。そんなことを求めてるんじゃないのに、と唇を強く噛み締めていました。そうしないとまたダムが決壊しそうで、泣きたい気持ちを悔しさで押し殺しました。
終始わたしより哀しそうで、深刻そうな顔をしてもっともらしく頷く先生の顔に幼い心は戸惑い、「大人はわかってくれないのだ」と怒りのような諦めのようなものでいっぱいになりました。大人たちがなぜわたしより辛そうな顔をしているのか、最後までわかりませんでした。
正門を出たとき、母はわたしの目を見て「大丈夫か?」と聞き、ひとり親に心配をかけたくなかったわたしは「大丈夫」と言ってしまいました。強がることで味方を減らしてしまう寂しさを、初めて覚えました。
その後、男の子たちとの気まずさは残ったけれど、いじめはなくなりました。
...いまなら。
母と共に学校に呼び出されたあの夜はわたしの傷を少しでも小さくするための時間だったのだと分かるし、
後日、先生に連れられた男の子に謝られた事実があったことも思い出せるし、
わたしに刃を向けることで必死に生を保っていた男の子たちの弱さも、生徒を救おうと精一杯に動いてくれた先生の迷いも理解できるけれど、
あのときは、吐き出す場所を失った(もしくは、愚かな強がりで消してしまった)苦しみだけが残りました。それからは大人に対してどこかで諦めを感じるようになり、一度閉じた心を開くことがなくなり、心を開くこと自体こわくなりました。
だから、
だれかによってではなく、まずは自分で自分を抱きしめないと、生きるのが苦しくなるし、
想像力を働かせて目の前の「個」だけに寄り添うことなしには、他人を救うなんてできない、
と、強く思います。
最後に、いまこれを読んでくれているあなたへ
こうして発信したいと思えるようになったのも、豊かな人との出会いがあったからです。いまの私から出てくる気持ちや言葉はすべて、出会った人たちとの(これを見てくれているあなたとのような)関係性の中で出てくるものです。
人を知り、繋がることのあたたかさ、おもしろさを知ってしまったから、もうあの頃のように、諦めたくない。心を開くことは泣きたくなるくらい恐いことだけど、だからこそ、容赦なく開き続けていたい。
改めて、noteというこの場所で、私の心と出会ってくれて、または出会い直してくれて、ありがとう。
うまく伝わったかは分からないし、なんでもいいけどなにか感じてくれたら、そんなうれしいことはないです。