髪を切ったわたしは、ファーストラヴを観て号泣した
最近、髪型をベリーショートにしました。
ずっと、ぼんやりと、少年に憧れていました。だけど、なんで少年なのか、は上手く説明できませんでした。
そんなわたしが、声なき声を聴き、私がわたしを取り戻し、新しい私になっていく映画『ファーストラヴ』を観て、文字通り号泣し、少年への憧れを少し言葉に出来ただけのnoteです。
上映中も、上映後も、帰り道も、止まらない涙。
思わず映画館から家まで泣きながら歩いて帰って、途中で寄ったコンビニで肉まん買って、そのあたたかさとおいしさにまた泣いてしまったくらいには、感動した。冒頭のちょっと見苦しい画像はその時の。(ごめんね)
今、わたしから流れつづけるこの水滴を言葉に残しておかなかったら、きっと後悔するって思った。
また涙をなかったことにして、言えなかった言葉も寝たら忘れた気になって。たぶんそうすることもできたけど。今日はこの興奮のまま、書いています。意味などありません。整えず、よりわたしに近い形で出しています。
抱きしめてほしい。
そのたった一言が言えなかったのは、いつからだっけ。共生社会について学んでいるのに、笑っちゃうくらい「共生」できていなかったのは、いつから?
人の「したい」にはわりとすぐ気づくのに、自分はじっくり時間をとって拾ってあげないとわからない。きっとこれは強みでもあるけど、これが弱みになってたことに、この映画は気づかせてくれた。
途中、わたしは私を抱きしめるように、コートの袖をぎゅっと握りしめていた。そうしないと姿勢も静寂も崩れちゃいそうだったから。
手を握るだけでいい。抱きしめるだけでいいのだと思った。ぜんぶわかるなんて無理なんだから、みんな、それぞれの地獄を抱えてるだけなんだから。
わたしは今、すごく抱きしめてほしい。そう思った。
きっと止まらない涙のわけは、抱きしめられたかったわたしに私が気づいたからだと思う。
私はずっと、ほんとうの気持ちというものを出すのが苦手だった。
私は女の子だから、かわいいから、時に武器にもなるのだから、幸せだと思ってたのは、いつからだったのかも、もう思い出せない。
「生まれ変わったら、男と女どっちがいい?」
飲み会の定番トークみたいな軽さをはらんだ質問に、「迷わず女がいいわ~」と声高に言う女性の先輩のとなりで、その問いはわたしの中に鉛のように残ってた。
だって、わからなかった。
「かわいい素敵な女の子」とたまに褒めていただける機会に出くわすたびに、わたしはわたしだからかわいいのであって、わたしが女の子だからかわいいんじゃないのにと、ぼんやり思ってた。
こうやって言葉にできるようになったのも最近で、ずっと思ってることすら気づいてなかった。
相手を傷つけてはいけない、不快に思わせてはいけないと、それはもう無意識のレベルで私は思ってしまってた。そういうもんなんだって。そのためにわたしの気持ちを殺し、殺したことすら気づいていなかった。
被害者になるのにも、労力がいる世界だと思う。「気にしなくていいよ」という助言は、いつしか私自身がわたしに向ける言葉になっていた。
そうして押し殺していくと、不思議と心は穏やかになる。だけど殺された気持ちは不完全燃焼のまま、わたしが気づかない程度に心の隅に積もっていく。
その灰たちが、「髪を切りたい」という欲望としてわたしが気づく形で現れるようになった。毎日の就寝前に、「ショート 髪型」で検索する日々。たまに「中性的」という言葉がつく夜もあった。
美容院を予約した前日は、毛先まで丁寧にトリートメントをつけた。今までありがとう。ねぎらいの気持ちだった。
切ってからは、本当に世界が変わった。楽なのは、ドライヤーだけじゃなかった。鏡に映る私をみて、にやにやしちゃってた。やっと私がわたしに(物理的な意味で)なれた気がした。
これは、髪を切った直後のわたし。
どんな言葉も嬉しかったけど、「いい顔してる」という言葉の嬉しさったらなかった。
うん、わたしも、我ながら思う。いい顔してる。
こんなこと言うと、わかったような口聞くなと思われるかもしれないけど、
この世界には、いや、世界なんて広いものじゃなくて、私の周りにも、きっと「押し殺された気持ち」や「訳もなく流れる涙」というものがいっぱいあるんじゃないかなと思ってる。
でも、「訳もなく」は、本当に「訳もなく」なのかな、と思う。
「なんでわからないの?」「あなたがあなたに気づけないなんて変だよ」って言葉たち。ずっと反芻して、大きくなって、襲ってくるそれらは、時に気持ちを殺してしまう。
私の場合はずっと、押し殺された声の生き場所が、涙だった。
ちゃんとゆっくり心を掘れば、私だってわたしの答えを答えられるのに、わかんなくなる。
そんな時、相手の求めている答えを言って、よろこばれた幾多の瞬間。きっと条件付きでも、わたしが受け入れられたって、思ってしまった瞬間。
悪いのは相手じゃない。わかってる。それでもいいって、思ってしまってた私の方。諦めていることにすら気づかず、それが幸せだと疑わない私。
髪を切って、言葉にできる強さをもった今の私は、少しずつほんとうのわたしに近づいているとは思う。
でも正直、こんなに不安定な心のままで、社会になんて出られないと思ってる。だけどそれでいいと思ってる。したいことはあるから、逃げずに掘っていこうと思う。
話すより書くが得意なのも、きっとそういうこと。じっくり、相手の反応が見えずに、心ゆくまで言葉にできるから。
ここまで、つたない文章を読んでくれたあなたへ
最後に1つだけ、注意書きさせて。ずっと分けてた、表記について。
私…周囲の望む正解を出そうとする自分
わたし…じっくり心を掘ってでてくる気持ち
のつもりです。もしあなたの時間と心に余裕があれば、もう1回読んでみてください。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
あなたの地獄も、流れる涙の訳も、わたしはいつでも聴くから。
もし今泣いているなら、抱きしめさせてほしいし、
笑えているなら、一緒に笑いたいのです。
そんな感情をくれた映画に感謝しながら、終わります。またね。
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