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実存主義アプローチを、“ググれカス文化”から見つめ直してみる

私はこれまで、コーチとして人々の人生に寄り添ってきた。クライアントの悩みや葛藤に耳を傾けながら、一人ひとりの内なる声を引き出す。そのプロセスは、単なる問題解決を超えた「実存的な対話」と言えるだろう。

コーチングにはさまざまな流派があるが、その理念の一部は人間性心理学に由来している。特に、自己実現や個人の成長を重視する視点は、実存主義哲学や人間性心理学が提供する重要な土台となっている。人間の存在そのものに目を向け、「私はどう生きるのか?」という問いを投げかける実存主義的アプローチは、現代のコーチングに深い影響を与えている。

実存主義的アプローチが提供するのは、他者の期待や社会の規範から解放され、自分自身の意志や価値観を基盤に選択する自由と、その選択に伴う責任を受け入れる力だ。この視点は、コーチングにおける『あなたはどうしたいの?』という問いを支える重要な土台となっている。

ただし、その問いが誤解され、「自分のことは自分で」という形で受け取られてしまうリスクも否定できない。実存主義的アプローチが個人主義的な風潮を強化してしまう懸念もあるのではないか。

そのような問いが、この文章を書くきっかけとなった。



ググれカス文化の中で

「自分のことは自分で」の象徴の一つとして、私が新卒で働いていた時代にあふれていた「ググれカス文化」を思い出した。わからないことがあれば、まず自分で調べる。人に聞く前にググれ。それが暗黙のルールだった。

「ググれカス」という言葉は、2000年代後半から日本のインターネット掲示板やSNSで広まり、2008年には『現代用語の基礎知識』の新語にも選ばれた。当時、この言葉は「自分で調べればわかることを人に聞くべきではない」というネット文化を象徴していた。
インターネットが急速に普及し、検索エンジンが日常の一部となった時代。合理性や効率性が重視される中で生まれたこの言葉は、現代の価値観を反映していたと言える。

表向きは合理的で効率的なこの文化。しかし、それは同時に「自立した個」であることを強制する側面もあった。「自分の力で解決できないなら、努力が足りない」という無言のメッセージがそこにはあったように思う。こうした文化の中で働いていた私は、頼ることが弱さと見なされ、孤立感を覚えることも少なくなかった。一方で、今振り返ると、この孤立感は「助け合いやつながり」という視点が希薄だったことから生じていたのではないかと思う。

合理性を追求する一方で、つながりを失っていった――。そんな時代の側面が浮かび上がる。 振り返ると、そこには「自分のことは自分で」という個人主義の行き過ぎた影響があったのではないだろうか。

現代社会の時代背景

現代社会では、孤立感や分断がかつてないほど顕在化している。SNSをはじめとするデジタルツールの普及により、一見するとつながりは増えているように見えるが、実際には深いつながりを持てず、孤独を感じる人が増えている。うつ病や孤独死といった問題、そして「ググれカス文化」は、こうした社会のあり方を映し出しているようにも思える。

一方で、競争が激化し、「自分のことは自分で」といった個人主義的な考え方が強調される中、環境問題や気候変動、社会的不平等といった、一人では解決できない複雑な課題が増えていることも、現代の特徴の一つだ。

実存主義の哲学的深みを見失うリスク

実存主義的アプローチは、自己の輪郭を明確にし、他者との健全な関係を築くための重要な基盤を提供している。このアプローチは、クライアントが自己の本質に向き合い、自分らしい選択を行うための支援となり、特に現代社会の中でその価値が際立っている。

「私はどう生きるのか?」という問いを深めることで、クライアントが自分自身の意志や価値観に基づく選択を可能にする。それが実存主義的アプローチの魅力だ。この問いは、他者の期待や社会の規範から解放され、自分自身の本質を探る貴重なプロセスを提供してくれる。

一方で、この問いが「自分のことは自分で」という個人責任論や孤立した自己完結型の視点として捉えられるリスクも否定できない。

実存主義は本来、個人の自由や選択を尊重すると同時に、その選択が他者や社会との関係性の中でどのような意味を持つのかを問い直す哲学である。キルケゴールやハイデガーが示したように、人間は他者や世界とのつながりの中で自己を見出し、自由と責任が相互に作用する中で存在する。

しかし、実存主義的なアプローチが表面的に捉えられることで、本来の哲学的な深みが見失われてしまうことがある。たとえば、コーチングや対人支援の場面では、「あなたはどうしたいの?」という問いが、単に目の前の対象者の意志や行動を引き出すスキルとして使われる場合がある

この問い自体は、他者の期待や社会の規範から解放され、自分自身の意志を尊重するという、実存主義的アプローチの基本を反映している。

しかし、実存主義の哲学を十分に理解しないまま用いると、その問いが目の前のクライアントの「個人的な選択」だけに焦点を当て、つながりや関係性といった広い視点が欠けてしまうことがある。結果として、そのアプローチが無意識のうちに個人主義を助長してしまう危険性も否定できない

実存主義的アプローチは本来、個人を孤立させるものではなく、他者との関係性の中で自己を見つめ直す力を与えるものだ。自己を深く理解するプロセスは、他者とのつながりを再構築し、助け合いの基盤となる。

新たなアプローチを模索する必要性

実存主義は、20世紀初頭から中期にかけて生まれ、特に戦間期や第二次世界大戦後の時代に広く受け入れられた思想だ。当時のヨーロッパは、戦争や経済危機によって価値観が大きく揺らぎ、従来の宗教や社会規範が力を失いかけていた。混乱の中で、人々は新たな生き方を模索する必要に迫られていた。

そうした時代に、実存主義の哲学が示した「自分の存在意義を問い直す」という視点は、個人を再び立ち上がらせる力となった。キルケゴール、ハイデガー、サルトルといった哲学者たちが強調したのは、孤独の中で選び取る自由と、その選択に伴う責任だった自らの孤独と向き合いながら生き方を選び取る――その姿勢は、揺らぎの時代を生き抜くための重要な指針となった。

しかし、現代は当時とは大きく異なる。つながりが希薄化する一方で、人々は深いつながりや助け合いを求めているように見える。個人主義が十分に行き渡り、「自分のことは自分で」という価値観が社会に根付いた今、競争の激化や孤立感の増大といった新たな課題が浮かび上がっている。

たとえ「実存主義の哲学的深み」を理解していたとしても、まず個人が自らの選択と責任を引き受け、その上で他者との関係性やつながりを考える実存主義のアプローチは、今の時代においてどこまで有効なのだろうか

未来への提案

現代社会で「つながり」や「助け合い」を意識する視点を、支援の場にどう取り入れるべきか。その問いに向き合う際、参考になるのが仏教の「縁起」の思想やシステム思考的なアプローチだ。

仏教の「縁起」の思想は、「すべての存在は相互に依存している」という視点をもたらす。この考え方は、個人を孤立した存在ではなく、他者や環境とのつながりの中で捉えることを促してくれる。たとえば、支援の場においても、「あなたがどう生きるか?」という問いを、「他者や環境との関係の中で、どのように調和して生きるか?」という問いへと広げる可能性を示している。

一方、システム思考は、個人の選択や行動を孤立したものとしてではなく、全体の中での位置づけとして捉える視点を提供する。複雑な問題に対して、単独の解決策を探るのではなく、全体の構造やつながりを見直しながら、新たな可能性を探るアプローチだ。これにより、個人の選択が社会や環境にどのような影響を与えるのかを見つめ直すことができる。

これらの考え方を、実際の支援やコーチングの場でどう活かしていくのかは、まだ試行錯誤の段階だ。ただ、仏教が示す「相互依存」の視点や、システム思考が強調する「全体を見渡す」視点は、個人主義を超えた新たな支援の形を模索する上で、大きな手がかりとなるのではないだろうか

支援が「私はどう生きるのか?」という問いにとどまらず、「私たちはどう生きるのか?」という問いへと広がる可能性。その可能性を信じて、今の時代に適した支援のあり方を模索していきたいと思う。

最後に

コーチングや対人支援は、時代の変化とともに進化していくものだ。個人の人生を支援するという基本は変わらない。けれど、その先にある他者や社会とのつながりに目を向けることが、今の時代において大切だと感じている。


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