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コーチの健やかな成長とは

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コーチとして活動をする中で、「コーチの健やかな成長とは?」という問いが生まれた。すぐに答えが出る類の問いではないのだと、探究を重ねる中で感じるが、じっくり味わうこの探究プロセスを…
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2024年9月の記事一覧

「言葉」が持つパワフルさと「言葉」がもつ弊害

「内省をすること」の見直しについて言葉にしてみて改めて、ことばが持つ可能性と限界を感じている。 ”ことば”というインターフェースを活用するコーチングにおいて、 人が無自覚にとらえている「言葉の定義」や「言葉の奥にある自分の解釈」を見直し続けることの必要性を感じるのだ。 たとえば、当たり前に使われている”成長”、”豊かさ”、”変化・変容”などの言葉たち。 これらの定義やとらえている質感は人によって、そして時代によっても変化していくもののように感じている。 コーチが無自覚

"自己内省の価値"の妄信について

少し離れたところから「コーチングの価値」を見直してみたいこれまでの探究は、コーチの在り方に対する批判的な視点や、コーチングのやり方によっては危険性が伴うという視点を持ち込んできた。 しかし、「”正しく”提供することができればコーチングには価値がある」というスタンスを一貫して持っていたように感じる。 今回は、あえてそこを見直してみたい。 ”自己内省の価値を妄信すること"について 最近ずっと頭に引っかかっていることがある。 身近な人が以前、 「自己内省したり、セラピーや

コーチングは、「辿り着きたいところに辿り着くこと」のためにはないのではないか。

コーチングと言う言葉の語源は「馬車」から来ていると言われる。 だけど、私はこれに長年疑問を持っていて、あえて使わないようにしてきていた。 馬車のように人を「行きたいところに連れて行く」ようなコーチングは時代にフィットしているのだろうか?私はそこに疑問を持っている。 今の時代は 「混沌として前が見えない」 「前も、後ろも右も左もわからない」 「明日どうなってるかもわからない」 そんな霧がかかったような、雪吹雪のような、そんな時代だ。 あらゆるものに気が取られ、自分の今と

おすすめしたい、7つのセルフジャーナリング手法

5年前に山川咲さんが書かれていたこのnoteが個人的にとても好きだ。 子供が起きる前の、贅沢な朝のひとり時間。 大好きな香りのお香をたいて、大好きな音楽をつけて、カフェラテをお供に本を読んでいたら、全然関係ない文脈でこのnoteのことを思い出し、久しぶりに読み返した。 特に余白期間を設けてからは、セルフジャーナリングにたくさん支えられ、救われてきた。 仕事や子育てで忙しくしていると、その外部環境に意識がとられ、それだけで時間や心がいっぱいになる。 でも、余白期間を設け